アサヒる敗戦利得者

偽が真になるとき、真も偽になり→「新聞に真実を報道する義務は無い」毎日新聞語録

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上海 天長節祝賀会場爆弾事件
アップロード日: 2012/02/22
1932年4月、上海の天長節祝賀式場に朝鮮独立党員・尹奉吉が爆弾を投げ、
参列して ­いた白川軍司令官らを死亡させた他、野村艦隊長、駐華公使・重光葵ら日本人幹部の殆ど ­に重傷を負わせその場で逮捕された。
この映像は雛壇の白川、野村、重光、混乱する会場 ­の状況。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上海天長節爆破事件(1932年) 朝鮮人のテロ
公開日: 2013/01/07
世界史 20世紀 その2
http://www.youtube.com/playlist?list=...

音源提供
フリー音楽素材musmus
http://musmus.main.jp/
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【西村眞悟】主権回復、鈴木貫太郎と重光葵の遺業完遂を[桜H25/5/14]
 
公開日: 2013/05/14
http://www.youtube.com/JapaneseNews
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国を想う国会議員達が、国会中継だけでは伝えられない政治の動きを、ビデオレターで国 ­民の皆様にお伝えするシリーズ。今回は西村眞悟衆議院議員から、政府主催で開催し、天 ­皇・皇后両陛下にご臨席頂いた「主権回復記念式典」の意義と、それならばこそ成し遂げ ­ねばならない自主憲法制定と国軍の整備についてお話しいただきます。

<関連資料>
 
松葉杖の重光葵(しげみつ まもる)大臣
>1932年(昭和7年)1月、第1次上海事変が起き重光は欧米諸国の協力の下、中国との停戦交渉を行う。何とか停戦協定をまとめ、あとは調印を残すだけとなった同年4月29日、上海虹口公園での天長節祝賀式典において朝鮮独立運動家・尹奉吉の爆弾攻撃に遭い重傷を負う(上海天長節爆弾事件)。重光は激痛の中「停戦を成立させねば国家の前途は取り返しのつかざる羽目に陥るべし」[1]と語り、事件の7日後の5月5日、右脚切断手術の直前に上海停戦協定の署名を果たす。
 
なお、弁当箱状の爆弾が投げつけられた時、逃げなかったことについて
「国歌斉唱中だったから」
と答えている。
 
 
国歌斉唱不起立 処分不服で府を提訴 大阪地裁
2013.9.24 19:37
 大阪府立支援学校の卒業式で国歌斉唱の際に起立しなかったなどとして減給処分とされたのは違法として、同校教諭の奥野泰孝さん(56)が24日、府を相手取り、処分の取り消しと慰謝料200万円の支払いを求める訴訟を大阪地裁に起こした。
 訴状などによると、奥野さんは昨春の卒業式で国歌斉唱時に起立せず府教委から戒告処分を受けていたが、今春も同様に起立しなかったところ、前年の不起立も考慮して減給10分の1(1カ月)の懲戒処分を受けた。
 
 原告側は「公務員としての非違行為はない上、減給処分も重すぎて不当」と主張。奥野さんは提訴後に大阪市内で記者会見し
「私はクリスチャンであり、信仰上の理由から起立しなかった。不起立が誰かに迷惑をかけるとか反教育的だとかは思わない」と述べた。
 
 
 
 
上海 天長節祝賀会場爆弾事件 事件の概略
、朝鮮半島からの日本による支配を駆逐する事を目的とする大韓民国臨時政府(亡命政権)の首班金九は尹奉吉を攻撃の実行犯として差し向ける事にした。またこの攻撃計画には中華民国行政院代理院長(日本の内閣総理大臣代理に相当)であった陳銘樞などが、朝鮮人側の要人であった安昌浩に資金を提供し協力していた。これは当日の天長節の祝賀会場への入場を中国人は一切禁止されていたため、日本語が上手で日本人に見える実行犯を使うことにしたからである。
先の1月に大韓民国臨時政府傘下の抗日武装組織韓人愛国団の団員であった李奉昌が、東京で昭和天皇を暗殺しようとしたが、爆弾の威力が弱く、失敗に終わっていた(詳細は桜田門事件を参照)。その教訓から、今回の爆弾はより威力あるものを使う事とした。李と同じ組織のメンバーであった尹は弁当箱に擬装した爆弾を持って入場することに成功した。
午前10時始まった式典は、午前11時40分ごろ天長節を祝賀するため、21発の礼砲が発射され、海軍軍楽隊の演奏で君が代が斉唱された。当時国歌は2回斉唱される慣習であったが、2度目の「さざれ石の」の所で、尹が水筒の形をしたものを白川大将の足元に、弁当の形をしたものを上海日本人居留民団行政委員長で医師の河端貞次の足元に投げつけた。その直後に爆弾は炸裂し、居並ぶ日本側要人がなぎ倒された。
この爆発で、河端貞次が即死、第9師団長植田謙吉中将・第3艦隊司令長官野村吉三郎海軍中将・在上海公使重光葵・在上海総領事村井倉松・上海日本人居留民団書記長友野盛が重傷を負っている。重光公使は右脚を失い、野村中将は隻眼となった。白川大将は5月26日に死亡した。
犯人の尹は、その場で「大韓独立万歳!」と叫んだ後に自殺を図ろうとした所を検挙され、軍法会議を経て12月19日午前7時に金沢刑務所で銃殺刑となった。なお尹は戦後韓国では日本に打撃を与えた独立運動の義士として顕彰されている。事件の首謀者であった金九は事件の犯行声明をロイター通信に伝えたうえで、上海を脱出した。日本軍はフランス租界にいた安昌浩ら大韓民国臨時政府のメンバー17名を逮捕した。
 
 
 
 

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