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戦争する国 時代遅れ 2014/05/27 に公開
官邸前緊急行動で赤嶺政賢衆院議員があいさつ
尖閣衝突ビデオ A
2010/11/04 にアップロード
中国船の暴力行為=侵略者
米・カリフォルニア州で犬に襲われた子どもが猫に救われる(14/05/15)
2014/05/14 に公開
アメリカで、犬に襲われた子どもが、猫に救われた。 子ども用の自転車で遊ぶ4歳の男の子。 そこに、近所の犬が、白い車の陰から、そっと男の子に近づいていく。 発見!地域のチカラ 無防備地域宣言・沖縄ネットワーク
2011/01/06 にアップロード
おきなわニューストゥデー2008年2月放送 中国船の暴力行為=侵略者に内通=日本占領
=沖縄に中国人民解放軍配備
自称 人民解放軍野戦司令官・小沢一郎邸 新年の厳戒態勢
2010/01/08 にアップロード
人民解放軍野戦司令官の使命とは? 日本国を解体して「共産シナ覇権国の少数民族大和族自治区(解放前の旧日本)」の区長 に栄転させて貰う事? 2010年正月2日 世田谷区深沢 小沢一郎邸前 ロフト襲撃ビデオA
2010/05/05 にアップロード
1997年07月16日、新宿「ロフトプラスワン」にて、極左テロ組織「ブント」(そ の後「アクティオ・ネットワーク」に組織名を変更)が、「ブント」を批判する佐藤悟志 を襲撃した際の、店側の記録映像から。事件の概要とその後の経過を含めた解説頁が「ブ ント清算事業団」サイトにあります。
赤軍派 よど号 ハイジャック事件 - 1970 The Yodogo Hijacking
2012/05/16 に公開
「。。。私たちは、共産主義者同盟 赤軍派です。私たちは、北鮮に行き、そこにおいて、軍事訓練等々を行い、今年の秋、再 度、日本に上陸し、断固として、前段階武装蜂起を、貫徹せんとしています。」(197 0年 3月31日 午前7時33分 声明) 東大全共闘 安田講堂 1/2
2013/07/02 に公開
いつの時代も、社会を変える大きな原動力となったのは我ら学生だった。 今もこの社会は矛盾に満ち溢れている。 そんな社会を放置することは歴史が許さない。 我ら学生はそれを変える責務を負っているのだ。 世界と自由を我々の手に取り戻そうじゃないか。 (途中映像が乱れます。ご了承ください。) その2→http://www.youtube.com/watch?v=X7xcOi... ※このアカウントが投稿している他動画とは一切関係のない動画です。 3/4【討論!】こんなに楽しい!?共産主義[桜H22/9/4]
2010/09/03 にアップロード
◆こんなに楽しい!?共産主義 パネリスト: 安東幹(ジャーナリスト) 宇田川敬介(国会新聞社編集次長・ジャーナリスト) 小林正(元参議院議員) 佐藤悟志(人権活動家・元ブント戦旗荒派) 野村旗守(ジャーナリスト) 筆坂秀世(元参議院議員) 三宅博(前大阪府八尾市議会議員) 司会:水島総 拉致の手引きは労働組合、歴史の目撃者が語る真実〜拉致問題【舘雅子】
2013/12/11 に公開
歴史の目撃者、舘雅子さんが語る、拉致問題の真実です。拉致当時の政治情勢は地上の楽 園を信じて、日本国内でもユートピアを信じ、拉致工作員に加担した日本人の内通者の存 在を暴露しています。内容は国鉄労組、電電労組、官憲に至るまで多くの関与が語られて います。 『九評共産党』【第一評】共産党とは一体何ものか
2012/01/05 にアップロード
序文 5000年来、中華民族は黄河と長江が育んだこの地に生まれ、生活し、数十の王朝を経 て、輝かしい文明を築き上げてきた。その間、栄枯盛衰を繰り返しながら、怒涛の如き壮 大なる、感動の絵巻を展開してきた。 アヘン戦争が起きた1840年は、歴史家の間では中国近代史の始まりであり、中国が中 古の世紀から近代化へ向かう出発点であると考えられている。それ以来、中華文明は四度 の挑戦とそれに伴う対応を経験した。初めの三度はそれぞれ、1860年代初期の英仏連 合軍の北京への侵攻、1894年の日清戦争、そして1906年の中国東北地方における 日露戦争が、大きな引き金となって形成された挑戦であった。そして、それらの挑戦に対 する中国の対応は、器だけの導入(つまり、精神的なものは取り入れず、科学技術だけの 導入、即ち洋務運動)、制度の改良(即ち戊戌の変法[1]と清国の立憲)、ならびに後 の辛亥革命[2]であった。 第一次世界大戦後、戦勝国である中国の利益は、列強たちによって考慮されることはなく 、当時の多くの中国人は、初めの三度の挑戦に伴う国内の対応は全て失敗であったと考え た。その結果、五四運動[3]が起こり、そこから第四の波、つまり最後に残った一面で の対応が始まったのである。それは、文化面での全面的な西欧化であり、その後極端な革 命、即ち共産主義運動が始まったのである。 この社説が関心を寄せるのは、最後の一波に対する中国の対応の結果として生まれた、共 産主義運動と共産党である。160年余りの間、1億人に近い人々の不正常な死とほとん ど全ての中国の伝統文化・文明を代償にして、中国が選択したもの、言い換えれば中国が 押し付けられたものは、一体どのような結果であったのかを分析してみようと思う。 一 暴力による恐怖によって政権を奪取し維持する 「共産党員は自らの見解と目的を隠しごまかすことを潔しとしない。彼らは、自分たちの 目的は、暴力によって全ての現存する社会制度を覆して初めて達成できると、公然と宣言 するのだ。」[4]『共産党宣言』(マルクス、エンゲルス著)は最後にこのように締め くくられている。暴力は、共産党が政権を奪取する手段であり、最も主要な手段でもある 。これは、この党が生まれた日に決定付けられた第一の遺伝子で、以後も受け継がれてい る。 世界で最初の共産党は、実はマルクスの死後数年を経た後、ようやく生まれたのである。 1917年の10月革命の翌年、ソビエト共産党(ボルシェビキ)が正式に誕生した。こ の共産党は、「階級の敵」に対して暴力を振るう中で生まれたものであり、同時に仲間内 (即ち裏切り者)に対する暴力の中で存在を維持してきたのである。ソビエト共産党の内 部粛清の過程で、2000万人以上ものスパイ、裏切り者、異分子が殺害された。 |
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