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松葉杖の重光葵(しげみつ まもる)大臣
>1932年(昭和7年)1月、第1次上海事変が起き重光は欧米諸国の協力の下、中国との停戦交渉を行う。何とか停戦協定をまとめ、あとは調印を残すだけとなった同年4月29日、上海虹口公園での天長節祝賀式典において朝鮮独立運動家・尹奉吉の爆弾攻撃に遭い重傷を負う(上海天長節爆弾事件)。重光は激痛の中「停戦を成立させねば国家の前途は取り返しのつかざる羽目に陥るべし」[1]と語り、事件の7日後の5月5日、右脚切断手術の直前に上海停戦協定の署名を果たす。なお、弁当箱状の爆弾が投げつけられた時、逃げなかったことについて
「国歌斉唱中だったから」
と答えている。
いちいち法律で定めなくても、
起立(不動)は常識だった。
戦後の重光大臣がビッコになった訳を、
戦後の教師らは教えなかった。
[ sio-san ]
2013/9/22(日) 午後 1:01
[ 暢気な家主 ]
2013/9/21(土) 午後 0:30
[ 初詣は靖国神社 ]
2013/9/16(月) 午前 11:09


