様々な色が交わる病院で

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case3-7:闇

時は来た。
そろそろ摘出手術を始めても良い時間だ。

僕は殺人を犯すのではない。
困っている人を…臓器を欲している人の為に一仕事するのだ。
そう、これは人助けだ。

――と、その前に彼女の麻酔が切れるかもしれない。
僕は麻酔を取りにいったん部屋を出た。



ガチャ、ガチャガチャ――

「先生!先生!助けて!!」

ガチャガチャガチャガチャ――

「誰か居ないの?ねぇ!誰か!!先生!!!」

僕が戻った頃には彼女の麻酔が切れたらしく、鎖の音と彼女の悲鳴にも似た助けを求める声が廊下中に響き渡っていた。

キィ――

僕は静かにドアを開けた。

「先生!!助けて!!これを外して!!」

彼女は僕の姿を見るなり助けてと必死に懇願してきた。
それは出来ない話だ。
これから君は皆を助けるために働いてもらうんだから。

「どういう…こと…?」

そして君は僕の心の中で永遠に生き続けるんだ。
体は皆のものだけど、水沢正美という存在は僕だけのものになる!!
それが不思議と嬉しくて笑みが漏れてしまった。

「君は僕のことが好きかい?」

それは愚問だ。

「えぇ…好きよ…愛してるわ…」

君なら必ずそう言ってくれると思っていた。

「僕には君が必要なんだ」

そう、君が必要なんだ。

「えっ……」

その驚いた表情も、

「それって……どういう…」

戸惑った表情も、

「言葉のとおりさ。僕には君が必要なんだ。君の健康な臓器が――」

臓器さえ他人に譲れば君は完全に僕だけのものになる!!
僕は白衣のポケットから注射器を取り出した。

「何も恐がる事は無いんだ。ほら麻酔もあるし痛くしないから。それに臓器を取り出されている君なんて誰にも見られたくない。大丈夫、実行するのは僕一人だから。」

そう、君のこんな姿を見るのは僕一人だ。
それが僕が院長にお願いした事。
彼女の臓器摘出は僕一人でやると。
こんな彼女の姿は誰にも見られたくなかった。

「いや…来ないで……い…だ……」

彼女の怯える表情も愛しかった。

「大丈夫、この針さえ刺されば、痛みも何も君は感じなくなるんだから!!」

「イヤーーーー!!!」

僕は彼女の白い腕に注射針を刺した。
その後間も無くして彼女は意識を失った。

僕は彼女の腹部を切開し、臓器を取り出す作業を始めた。
彼女の温かい血で手が染まる。
狂気にも似た喜びが僕の中からこみ上げてきた。
僕は余すところ無く君を愛していると胸を張って言えるから。
血液も、臓器も、肉片も、全て僕のモノ――

「フフ…ククク…アハハハハッ!!」

突然背後で声がした。
僕は驚きながらも後ろを振り向くと、其処には相模薫が笑いながら立っていた。
見られてしまった!誰にも見られたくなかったのに!!
僕は彼女に歩み寄り、体を壁に押し付け、その喉元にメスを当てた。

「見てしまったんだね、誰にも見られたくなかったのに。」

「フフフ、大事にしていた彼女から臓器を取り出すなんて何処に売るか知らないけど、初めからこのつもりだったの?」

彼女はこの状況を見ても顔色一つ変えなかった。
彼女はずっと口元に笑みを浮かべていた。

「まさか、愛していたさ。だから誰にも彼女を見せず終わりにするつもりだった。君はとんだ誤算だったよ。相模薫。」

血に染まった手で彼女の頬に触れる。
彼女が何を考えているかは分からなかったけど、一つだけ明確な事があった。
彼女は僕と同じ、この状況を喜んでいる。

「さて、見られてしまった以上どうしたものか…」

一人くらい手伝いが居ても構わない、か。

「この後の処理を手伝ってくれるかい?薫。」

その後は2人で水沢正美の処理を始めた。
臓器は即座に冷凍保存し、用済みとなった体を細かく解体し、ケースに一まとめにする。
そして僕は死体を葬りに行き、彼女には残された血痕を拭いてもらった。
そして、臓器を受取人に渡し、僕の長い一日は終わった。

あの日から、水沢正美の居た203号室は呪われた病室となった。
そこに入院した患者は、どんな軽症の患者であろうと必ず脳死状態になる。
臓器を取り出すには、最も良い状態に。

院長に成った今も僕と薫はそれを利用して莫大な金を稼いでいる。
いや、これでは人聞きが悪い。
僕達は人助けを行っているのだ。

薫は彼女の代わりとして僕の傍に居てくれているようだが、余計な気遣いだ。
僕は常に彼女と一緒なのだから。
まぁ、さしずめ薫は優秀なアシスタントの一人でしかない。

そう、ぼくと正美はずっと一緒だ。
彼女は僕の心の中にいる。
それだけではない。

死体を葬りに行ったあの日、僕は一つだけ後悔した事があった。
彼女がああなる前に渡しておけばよかったと後悔したものがある。
だから僕は彼女の死体の一部を密かに持ち帰り、院長室にある特別な冷凍庫の中に保存してある。
それには2人の名前を彫った銀色の指輪が嵌めてある。
それが体のどのパーツなのかは言うまでもないだろう。




これも一つの愛のカタチ――

case3-6:漆黒

コンコン――

翌日、早朝に僕は院長室の扉を叩いた。
中から、院長が扉を開け「ああ、君か。」と言うなり僕を部屋に招きいれた。
昨晩と同じようにソファーに腰を下ろす。

「さて、返事の方は…」

僕の心は決まっていた。
僕は小さな声で院長に答えを告げると、彼は満足そうに笑った。

「ただし、条件があるんです。」

僕が提案した条件も彼は快く受け入れてくれた。
僕はその後、院長室を後にして彼女の病室に向った。



彼女の病室の前で軽く深呼吸をし、扉を開ける。

キィ――

扉の開く音は、院長室の扉に比べて軽い音だが、僕にとってはその音も何処か重みのあるものに聞こえていた。
一歩、また一歩と彼女に歩み寄る。

「どうしたの?」

彼女は僕の顔を見てそう言った。
僕はそんなに具合の悪そうな顔をしているのだろうか?

「何でもないよ、大丈夫。」

僕は微笑んで、彼女の頭を撫でた。
彼女は何時もと変わらぬ様子で僕を見詰めてくる。

これから何もかもが変わると言うのに。
何の穢れも知らないまま死ぬのならそのほうが良い。
僕は白衣のポケットにある薬を取り出した。
何故か手が震える。

「今日から薬を一つ追加するんだ。これは今飲んでくれるかい?」

その薬とコップに入った水を、僕も何時もと変わらぬ様子で彼女に渡す。
彼女は促されるままに薬を飲んだ。
そして暫くして意識を失った。

これから彼女は人の命となる為に自分の命を落とす。
彼女の体は、臓器は、もう彼女だけのものではない。
もちろん、僕のものでもなくなるのだ。
それだけが悲しくて、僕は彼女に口付けをした。

この瞬間から、彼女は僕のものではなくなった。
彼女をストレッチャーに乗せ、怪しまれないように白い布をかぶせ、カラカラと音を立て、朝早いため人気の無い廊下を左に、右にと曲がりエレベーターに乗り、地下の解剖室へ。

――と、
その部屋の前に何故か院長が立っていた。

「もう始めてしまうのかね?」

僕は静かに頷いた。
臓器を取り出すなら文句は無いはずなのに院長の顔はどこか不満そうだった。

「残念ながら、うちには取り出した臓器を保存しとくような道具は無いんだよ。だからもう少し遅く…引き取り先が来る直前に事を進めて欲しいんだがね。」

「やってみます…麻酔も夜まではもつでしょうし。」

僕は院長の脇を通り過ぎ、彼女と一緒に解剖室へ入っていった。


解剖室…その中はとても殺風景だった。
しかし、その部屋はどこか異様な雰囲気に包まれていた。

壁には血痕が飛び散り、そのまま放置され、床にも赤い染みが広がっている。
手術を行う台の上には、何時のものだか分からない錆びた鎖が置いてあった。

僕は彼女にかけてあった白い布を取り、そっと抱え上げて台の上に移した。
先程は気付かなかったが、彼女は僕のあげたワンピースを着ていた。
僕が想像したとおり彼女にそのワンピースはとても似合っていた。
僕は嬉しくなった。

だって彼女の最期に着ている物がこのワンピースなんて!!
しかも、この姿を目に焼き付けることが出来る!
彼女はこの姿で僕の中で永遠に生き続けるんだ!!!

僕は時間になるまで此処に彼女と一緒に居ることにした。

case3-5:潤色

院長に呼び止められて向かった先は院長室。

「まぁ、そこに座りなさい。」

院長は僕に向かって威厳をもった声でそう言った。
僕は言われるがままに院長の座っている椅子の向いにあるソファーに腰を下ろした。
暫し沈黙。
とても居心地が悪かった。

「さて…私が君を呼び止めた理由はだな――」

院長が重々しく口を開いた。
きっと言われるのはあの事だろう。
しかし、院長の言葉は意外なものだった。

「当病院の院長の跡継ぎについてなんだがね。見ての通り私はもう歳だ。そろそろ院長を若い者に継がせたいと思うんだが、私は独身だし跡を継がせるような息子も当然の事ながら居ない。」

「はぁ…」

「そこでだな、当病院に見習いとして入った頃から良い働きぶりだった君に院長を任せようと思う。」

別に僕だって好きで一生懸命働いていたわけではない。
コネを持った人たちを越したくて、自分を周りの医師達と同じ目で見て欲しくて人の倍働いていたのだ。
多分、院長や其の他の医師達は、僕を目の上のたんこぶ扱いした事を少なからず悪いと思っていて、あるいは僕がそのことに対して事を大きくする前に、ここで恩を着せたいのだろう。
それともただ罪滅ぼし的なことがしたいだけなのか…?

「しかし、だな。この病院は問題がある。それは私の落ち度が原因だ。だが、この病院の問題と同じように、君にも少し問題があるようだが――」

僕はドキりとした。
やっぱり院長はあの事を咎めるつもりで僕を此処に呼んだのだ。

「はい、言われずとも…分かっています。」

僕は腹を括った。
もうこの先に何を言われても動揺しない、そう決心した。

「まぁ、次期院長候補の君にそれは問題の気がするがまあいい。先も言ったとおりこの病院は医師の数に対して患者の数が少ないために、苦しい状況にある。それを立て直したら全てを水に流そう。」

またもや意に反した言葉。
動揺しないと決心した僕ではあったが、彼女との関係を認め、そのことを水に流すというのであれば、僕は何でもしようという気になった。

「きっと立て直して見せます。ですから――」

「その覚悟は本物だな?」

「はい!!」

院長は満足そうににやりと笑った。

「さて、では立て直す方法を話そう。これは君にしか出来ない事だ、良く聞きたまえ。」

院長の声が急に小さくなった。

「立て直すために当病院は裏世界と手を組む事にした。この病院のスタッフ全員を失業させるわけにはいかないからな。裏もこちらが病院だと知ると快く手を差し伸べてくれた。何故だか分かるか?」

僕は首を横に振った。

「人の臓器はドナーが始まって以来、高額で取引される。裏はそれを期待したのだ。臓器さえくれれば相当な額の現金を用意すると。しかし、我が病院の入院患者にはドナーに適した者は居ないし、居たとしても家族は了承してくれないだろう。」

「何が言いたいんですか…?」

嫌な予感がした。

「ただ、こんな病院でもドナーに適した患者が一人だけ居る。記憶も無ければ、身寄りもなし。どうだ、打って付けだと思わんかね?203号室の患者は。」

院長は意地の悪い笑みを浮かべ僕を見詰めた。
そんな事出来る筈がない。
彼女を、水沢正美をドナーになんて!!

「貴方は、この病院の為に彼女を犠牲にしろというのか!?」

「ふふん、それは君のエゴだよ。では君はドナーを待っている何千人もの人たちを見捨てて彼女を生かしておくというのかね?彼女一人から幾つの臓器が取れると思っている?腎臓、肝臓、心臓、肺……細かいことを言うなら目の角膜だってそうだ。それによって助かる人が何人もいるのだぞ?」

「そのために生きている人を殺せというのですか!?」

「今更何を言っている?本来ドナーとなる人は脳死状態の人が多いが、脳死とは言え、生きているのだよ?生きている患者を殺し、ドナーにするということは――たとえ意識の有無があるにせよ、やっていることは一緒なんだよ。それに……」

院長は僕の肩にポンと手を置くと耳元で、

「君には分かると思うのだけどね。ドナーが見つからずに死んでゆく者の気持ち、遺された者の気持ちが。」

と言った。
それは悪魔の囁きのように僕の心を捉(とら)えた。
死を目の前になす術も無く死んでいった母の姿が蘇る。
その体は以前の面影が無いほどに痩せ細り、苦しそうに呼吸をし、「死」というナイフを突きつけられたかのような状態の母の姿。
大好きだった花にその手は二度と届く事は無かった。
医者と言う立場でありながら何もしてやれなかった自分への苛立ち。
自分の無力さへの絶望。
様々な感情が僕の心を雁字搦(がんじがら)めにした。
その為か、院長の提案に対し自分の意思を伝える事は困難となった。
『自分はどうしたいのか?』
今ではそれが分からない。
以前だったら簡単に答えを出せたものが、今となってはその逆になっていた。
彼女の姿と、母の姿が不規則に走馬灯のように浮かぶ。
眩暈、吐き気、僕はその場にしゃがみこんだ。体に力が入らない。

「答えは明日の早朝までに頼むよ。明日の夜遅くに臓器を受け取る人が来るからな、早ければ早い方がいい。結論が出た時点で決行してもらう。まぁ、良い返事を期待しているよ。杉村次期院長?」

嫌味ったらしくそう言うと、院長は部屋から出て行った。

case3-4:鶯色

『あり…が…と……』

母のその言葉が頭から離れなかった。
僕は礼を言われるような人間ではない。
僕は医者でありながら死にゆく母に何もしてあげられなかったのだから。
両親の葬式の事は良く覚えていない。
虚ろな心のまま行(おこな)った葬式は記憶に残らなかった。

僕は今、あの丘に来ている。
赤い花は相変わらず見事なまでに咲き乱れ、風に揺れている。
僕は何故か花を摘んだ。母はもう居ないのに。
花を摘んでいる手に涙が落ちる。手元は目が涙で翳(かす)んでよく見えない。
無心に花を摘み続け、いつの間にか僕は抱えきれないほどの花を持っていた。

花を抱えて丘を下り、母と父の眠る墓に花を供える。
目を瞑り、手を合わせて僕はその場を去った。



勤め先の病院に付く頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。
荷物と赤い花を抱えて病院内にある自室へと向かう。
どんなに落ち込んでも起こってしまった事はしょうがないし、時間を戻せるわけも無い。
部屋に入り、電気を点ける。後ろ手でドアを閉める。
一つ一つの動作が面倒臭いほど僕は疲れきっていた。
何とか気を紛らわせようと、赤い花を抱きしめると甘い香りがした。
故郷の香り…。
幸せな昔の香り…。
目を瞑ると母と父の記憶が蘇る。
どうしても気が紛れないと分かった僕はもう寝ることにした。
花瓶に花を活け、それで僕の長い忌引は終わった。


翌日から、いつものように仕事を再開した。
吹っ切れた訳ではないが、幾らか気持ちは落ち着き、何時も通りに過ごせるようになった。
彼女はというと、僕の不在が長かったため心配していたらしい。
心配をかけてしまった分、何かお詫びをしてあげなければ。
それに明日は彼女の誕生日だ。
彼女を喜ばせるようなプレゼントを用意しよう。

僕は仕事が終わると、早速彼女にプレゼントを買いに行った。
近くのデパートの洋服売り場で目に付いたのは淡い薄紅色のワンピース。
きっと彼女によく似合うはずだ。
僕はそれを買い、綺麗に包んでもらった。



次の日の早朝、僕は彼女にプレゼントを渡しに行ったが彼女は眠っていた。
また自室に持って帰るのも面倒だし、他の医者に見つかると不味いので彼女の寝ているベットの下に隠しておく事にした。
ふと彼女の腕に目をやると、僕のあげた時計をしていた。
寝る時くらい外せばいいのにと思いつつも、僕はそれがとても嬉しかった。
今の僕にとって彼女こそが心の支えなのだ。
そうだ、あの花も彼女にあげよう。
いつか一緒に僕の故郷に行く事もあるだろう。
母の好きだった花だ、きっと彼女も気に入ってくれるに違いない。

病室を出て、いつも通りに仕事をこなし、夕方にもう一度彼女の元に向かった。
手には故郷の赤い花。

コンコン――

「入るよ。」

気付かれないように花を背に隠し、病室に入る。

「具合はどう?」

聞いても意味の無い事だと分かりながらも、癖で聞いてしまう。

「うん、いつもどおりよ。」

彼女は今も僕のあげた時計をしていた。

「水沢さん、せめて寝る時くらい時計を外したらどうです?」

「嫌よ、せっかく先生がくれた時計だもの。」

冗談とはいえ、こんな風に呼び合うのは違和感を感じた。
僕達は恋人同士だというのに。

「今日は誕生日だったよね?ほら、これを君にあげるよ。」

僕は隠し持っていた花を彼女にあげた。

「わぁ、素敵!こんな綺麗な花、今まで見たこと無いわ!!」

彼女のその言葉が少しだけ引っかかった。
“今まで”?
彼女は記憶を取り戻しているのだろうか?

「その花はね、僕の故郷にだけ咲く珍しい花なんだ。君に良く似合うよ。」

自分の僅かな焦りを悟らせまいと、出来るだけ落ち着いた声で言った。

「……ありがとう。」

彼女は嬉しそうに花束をギュッと抱きしめた。
花の甘い香りが病室中に広がる。
彼女は何時もと変わらない。考えすぎだろうか?

「そうだ、もう1つプレゼントがあるんだ。」

僕は彼女の寝ているベットの下から今朝方隠しておいたプレゼントを取り出し、彼女に渡した。
そして箱を開けるように促した。
彼女は丁寧に箱を開け、中のワンピースを取り出した。

「それも君にあげるよ。きっとよく似合うよ。」

「ありがとう、隆志さん。」

嬉しそうににっこりと微笑む彼女が愛らしくて、もっと彼女を喜ばせてあげたくなった。

「そうだ、君の病気が治って退院したら、その花が咲く丘に行ってみないか?辺り一面その花が咲き乱れているんだよ?中心には桜の大木があってさ……」

「連れてってくれるの!?」

彼女は僕の突然の提案に驚き、そう聞き返してきた。
驚いた顔も愛らしい。

「うん、約束するよ。」

そんな彼女を見て、僕は微笑してそう答えた。
彼女の嬉しそうな顔を見ていると僕まで嬉しい気持ちになる。

「約束だよ?先生…」






彼女の病室から出て自室に帰る途中、後ろから肩を叩かれた。

「ちょっと杉村くん。話があるんだけど――」

振り向いた先に立っていたのは険しい顔をした院長だった。

case3-3:臙脂色

『貴方のお父さんが亡くなったそうです。』

院長からその言葉を聞き、僕は慌てて支度をして病院を飛び出した。
あの日、家を飛び出してから勘当同然だった家に戻るのは少しばかり気が引けたが、そんな事を考えている場合ではなかった。
自分の親父が亡くなったのだ。
そんなに歳を取っている訳ではなかったはずなのに。
確かめたい気持ち半分、受け入れたくない気持ち半分であった。


実家に着くと、其処にはすでに何人かの人が集まっていた。
忙しそうに皆、テキパキと動いている。
僕はその中から母の姿を見つけようと目を凝らした。
しかし――
母は何処にも居ない。
近所のお寺にでも行っているのだろうか?

「あら、隆志くんじゃない。」

色々と考えを巡らせていると叔母さんに声をかけられた。

「お久しぶりです。叔母さん。ところで母は……」

「え?知らないの?由希子さんならこの村の病院に――って、隆志くんちょっと何処に行くの!?」

僕は叔母さんの話の途中で病院に向かって無我夢中で走り出した。
この村の病院は此処からそう遠くはない。
父親の死も、母親の病気も認めたくは無い。

病院に着くなり看護婦に母親の病室を聞き、すぐさま其処に向かった。
其処にはベットに横たわる母の姿が。
母は全体的に憔悴(しょうすい)していた。以前の健康な姿など見る影も無いほどに。

「もしかして、杉村さんの息子さんですか?」

後ろから誰かに声をかけられた。
振り向くとそこには白衣を着た男が立っていた。

「私は医院長の草津と言います。」

「どうも、お世話になっております。ところで母の病気はどういったものなんですか?」

僕自身も医者だが、こんなに酷く憔悴してしまう病気など実際に見たことが無かった。

「非常に言いにくいんですがね、心筋症、拡張型かと。」

心筋症は原因不明の難病である。
拡張型は心臓の収縮力が弱まり、心不全の症状や不整脈でその病気に気付くことが多い。
肥大型と比べ、拡張型の方が重症でうっ血性心不全や重症な不整脈が起こりやすい。
母がこんな難病にかかっているなんて……今まで気付かなかった自分が悔しかった。

「こんな病院ですし、ここでやれるだけの事は全てやりましたが、結果はご覧の通りです。しかし、もっと大きな病院に移しても残念ながら結果は同じかと思われます。」

そんな事言われなくても分かっていた。
こんな状態になるまで何も出来なくても自分だって医者なのだから。
そう、こうなってしまった場合助かる可能性がある方法といえば――

「もう、こうなってしまうと心臓移植しか方法はありませんね。ただしドナーが見つかればですけど。」

そう、それしか方法は無いのだ。
しかし、ドナーを待っている人は何千人と居る。
母親にドナーがまわってくる確率などゼロに等しい。
それに、仮にドナーが来たとしても、この病院での手術は設備的に不可能だ。
他の病院に移す際に、母の体力が持つかどうか…。

「隆ちゃん…?」

今まで眠っていた母がうっすらと目を開けた。
久しぶりに聞く母の声に、こんな状況でも少しだけ安堵した。

「隆ちゃん…来てくれたのね…」

私は細くなってしまった母の手を強く握った。

「お袋!頑張るんだ!絶対に僕が何とかしてやるから!!僕のいる病院へ来れば設備も整ってるから何とかなる!だから頑張るんだ!!!」

母を死なせたくは無かった。
僕は母に面倒をかけてばっかりで何もしてあげらていない。
父についてもそうだ。僕は何て親不孝者なのだろう。

「隆ちゃん…」

母は僕の手を弱々しくそっと握り返してきた。

「隆ちゃん…立派になったわねぇ。でも私は、この地で生ま育ったから最期まで此処から離れたくないの。最期くらいはこの地で迎えたいの…」

「最期だなんて言うなよ…!」

「ねぇ、隆ちゃん。一つだけお願いがあるの…」

「何だ?何でも言ってくれ。」

「この病室から見える景色はいつも…同じ…。だからね、あの花が見たいの…よく隆ちゃんが小さい頃に一緒に行った…あの丘の…あの花が……」

「わかったよ。お袋…」

僕は脇目も振らずに病室を飛び出し、一目散に駆け出した。
それが母の望みだというのなら今からでもいい、少しでも親孝行になることをやってやりたい。
あの丘は病院から500メートル位のところにある。丘というよりは小さい山みたいな感じの場所だ。
母親が欲しがっている花は今頃が丁度時季だから咲いている筈。
そんなことを考えながら急いで目的場所まで小さな山を駆け上がる。

頂上に着く直前で、木や雑草だった景色が急に開けた。
そこには辺り一面に母が大好きだった赤い花が咲き乱れていた。

ぶわっ――

強い風が吹き、花弁(はなびら)が舞い上がる。
咲き乱れている赤い花の中心には桜の木がある。その木が立っている場所は頂上に当たる。
今は丸裸の桜の木が、舞い上がった花弁によって花が咲いているかのように見えた。
昔は此処に、母と二人でよく花を摘みに来たものだ。
この赤い花はこの村にしか咲かない花である。
母はこの花が本当に大好きで時季になると毎日家に飾っていた。
あの頃が懐かしくて、今となっては遠い昔で…それが切なくて涙が出そうになった。

僕は手近にあった花を5本程摘み、花を大事に抱え急いで病院に戻った。

「ほら、お袋が大好きな花だよ!」

僕がそう呼びかけると母は瞑っていた目を薄っすらと開けた。

「隆ちゃん…取ってきて…くれたのね…」

苦しそうに、途切れ途切れに言いながら、母は僕の持っていた赤い花にその細い手を伸ばした。

「あり…が…と……」

母の手は花にとどかず、ゆっくりと下に落ちた。

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