ふすま(衾)メモ

もう1月も半ばを過ぎてしまった。と考えると複雑になる歳。極悪なインフルエンザが収まらない。風邪には、くれぐもお気をつけて下さい。

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師走入りの碑文谷公園

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師走入りの碑文谷公園

 ブログ友たちの記事は紅葉で一杯。テレビの天気予報で「東京都心の紅葉も見ごろ」と言うことで師走初日碑文谷公園に出かけた。テレビの天気予報通り丁度身頃だった。

 四時を過ぎたからか、ボートハウスのボートがつながれて、何か寂しげに見えた。

蕎麦の花?

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蕎麦の花?

 平成二十一年十一月二十九日、ねこじゃらし公園で見つけた花である。直径3mmくらいの小さな純白の可憐な花である。

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追っかけお会式・上総妙厳寺

 ネットで見つけた上総妙厳寺。路線で調べたら自宅から三時間あまり。廃線が云々される夷隅鉄道終点二つ手前の総元駅で下車して約徒歩三十分のところであった。しかも、ヤフー路線で見ると、東京駅から直通で総武線大原までで行って夷隅線に乗り換え、終点上総中野の二つ手前の総元(ふさもと)でおりれば歩いて十五分か、二十分で行ける。午前十時に家を出ればOKらしい。何とも簡単に行けると思えるところだった。

 ところが、ちょっと家を出るのが遅かったら、東京駅の直通に間に合わずなんだかんだで六時間?、もかかり、夷隅線に乗ったら、山際の夕焼けが綺麗である。電車は一両連結で乗客は私を含めて四人、普通だったら会社帰りのサラリーマンで満員のラッシュアワー、なのに乗客が四人。廃線がうわさされているのが分かったように思った。

 車内の棚には、ムーミンキャラクターのクリスマスがぶら下がり、車窓のガラスにはムーミン谷のクリスマスが色とりどりに貼られている。リースも壁に飾ってあり、モールが車内一面に張られている。どーやら夷隅線沿線がムーミン谷をイメージして売っているらしい。

 暫くして夕焼けの山頂に城影が黒く浮いて見えた。大多喜城である。徳川四天王のひとり、本多忠勝を初代城主とする城である。
 大多喜の駅についた。駅いは武将や城のパネルが飾られている。忍者もいる。そして「上総の小京都・・・」とも書かれている。昼間来て、ゆっくり見て歩きたい。


 何とも不安になって土地の人と思われる古老に地図を見せて聞くと、「総元(ふさもと)は終点の二つ手前、私は終点で降りるが、終点だけ三台のタクシーがあって、他の駅や総元には無い。妙厳寺までは暗くなったから歩きは無理、タクシーで行ったほうがいい」と教えてくれた。

 駅は無人らしく駅員は見えない。古老は無言で改札を出て行く。そして振り返り私を誘う。
 タクシーは一台だけで、真っ暗な商店に横付けにされていた。車内灯が点いている、が、人影は見えない。さっきの古老と車内を覗いた。運転手は背もたれを倒して寝ている。古老がトントンとゲンコで窓を叩いた。ガバッと跳ね起きた運転手が降りてきて、「どうぞ」と自動ドアを開けてくれた。
 ふと振り返り親切な古老を探すと、駅の方へすたすたと歩って行く。「あぁ、お礼を言い損なった。だけど、駅へ戻るって、もしかしたら、私を心配して行過ぎたのだろうか」と心配になった。

 「妙厳寺、今日はお会式だった。昼間は大変な人で、タクシーも忙しかった」と言いながら暗闇を走りだした。数軒の商店は何処も真っ暗である。ところどころの街灯がやたら静かさをつくる。やたらスピードを上げている。だが、すれ違う車は無い。そして人影もない。

 二十分ほど山の中を走ったろうか、灯りが見えてきた。運転手さんが玄関のガラス戸を開けるとお二人のお坊さんが立っておられた。
 運転手さんが「お会式を見に来たんだって」と言うと、「二時に終わった」と言って怪訝に私を見ている。「目黒からきました。実はお会式を追っかけ見学して回ってるんです。ちょっと時間の計算を間違えて、遅くなってしまいました。申し訳ありません。ちょっと御縁起だけでもいただければ、ですが、お上人様は、何処かでお会いしたように思うんですが」というと「私は目黒の常円寺に数年いました」と言う。「あぁ、で会いしたんですね、常円寺は私の壇寺ですから」、「あぁ、私も何処かで会ったような気がしました」「御住職、こちら衾常円寺の檀家さんです。どうぞお上がりください」と本堂へ案内くださり「お会式は昼間の二時に行いました。お稚児さんも出て、たいそう賑やかでした」と御本堂と御宝前の電気を点け、御宝前御本尊の錦の幕を上げて下った。本堂横には万灯の造り花が積まれていた。

 恭しく参拝、よくよく拝見すると木彫の御祖師日蓮上人である。驚いてお聞きすると「先代御住職は仏師さんで、手彫りの御祖師さんです」とおっしゃって、欄間の長い墨跡を指差してくださる。綺麗な毛筆で書かれた長さ四メーターほどの巻紙が広げて飾られている。私には到底読めない。

 「何か、御由緒が書かれたものなぞございませんか」と言うと「あぁ、パンフは作ってないんですが」とおっしゃってB5版の御由緒を下さり、『南無手帳(南無の会編。発行人中島教之。水書坊発行。2008年第五版)』をご案内下さった。

 私は恭しく頂き、何がしかのお札を御賽銭箱に入れた。
 帰り際「お会式で配ったものです」と、お弁当と紅白餅を下さった。紅白餅はまだ柔らかい。また是非、昼間に参詣したいお寺である。

 御由緒は、その昔は真言宗の名刹不動寺と言い、全国から山伏が集まる修験の寺であった。約五百年前の文明九年、池上本門寺第八世常住院日調聖人がこの地方を布教した時、住職の法印善慶律師と問答、善慶律師は日調聖人の高い学識に敬服、日調聖人の弟子になり日賞聖人と名乗って日蓮宗の寺とした。その記念として祖師堂を建てた。その棟札は当寺の寺宝になって現存している。そして、日調聖人を開山第一世、日賞聖人自らを第二世となった。

 永禄年間に妙厳院日諦聖人の時、安房上総の頭領里見安房守が日諦聖人に帰依、天正年間に大多喜領主大木大善を奉行に祖師堂を改築、同時に境内四丁四方を寄進十万石の格式を与えた。そして、大正時代まで、歴代大多喜城主は黒塗りの籠に四人を供奉させ往来した。

 当時からある大杉は日諦聖人入山の時に」記念植樹されたもので樹齢四百五十年を超える。日諦聖人は不動寺を妙厳寺に改め山号を法受山称し、以来上総の名刹平沢大坊、上総の身延とも言われ、人々の信仰を集めた。

 また、当寺を「枕飯(まくらめし)霊場」とも言われることについて、江戸時代、当山山麓に、おさんという老婆が身よりも親戚も無く、当山祖師様を唯一の寄り処として一人で住んでいた。
 ある朝、この老婆が天寿をまっとうして亡くなった。日ごろ早朝に戸を開ける老婆だったが、戸が開いて無いのを不振に思った村人が家に入ると、不思議なことに、老婆が常に祖師様に供える霊膳が枕元におかれていた。そのことを村人が住職に話と、「そういえば、今朝の勤行に、お厨子の中から明るい光が差し、不思議なことと思った。それは、身寄りも無く死水を取ってもらえないお婆さんを哀れに思った祖師様が、自らの御霊膳をお婆さんの枕元に置き供養したもの」と言って、改めて祖師様のありがたさに合掌したといわれる。その時から当山を「枕飯に霊場」と呼ばれるようになって、人々は自らの心安き臨終を願うと同時に、末永く子孫の繁栄を願った。

 そしてまた、萩の寺とも呼ばれることについては、当山に萩の柱があると言われる。それは、このお婆さんが祖師堂改修に、山から萩お幹を採り市で商い、そのお金で一本の柱を寄進したことによる。

 身延山と枕飯霊場については、いつの頃からか身延山参詣の締めくくりとして当山を参詣、砂払いをするようになった。それは、当山が臨終正念を祈る霊場であることからで、遠く身延山を参詣、仏縁を深め帰郷した旅の終わりに当山に参詣仏祖の御加護に感謝し旅の締めくくりとするからである。

 日蓮聖人は「まず臨終のことを習うて後に他事を習うべし」と、この一生を有意義なものとするために、まず最初、人生の締めくくりをきちんと解決しておくことが大切である、と教えられておられる。当山のお祖師様に二世安楽・臨終正念を祈念し、信仰に励み安心な毎日を送り、臨終はこのお婆さんのような安らかに霊山浄土に行きたいものである。と記されていた。
 
 帰りの夷隅鉄道は私一人である。沿線には大多喜城と小京都と言われる城下町、そして、沢山の緑。きっとムーミン谷の人々が一杯いるのだろう。見るとこ一杯の夷隅鉄道沿線だろう。昼間、ぶらぶらしたいものである。

 この稿最後に、夜分にかかわらずお厨子を開けて、先代御住職手彫りの日蓮聖人を拝見させていただいた御住職とSお上人に心からの御礼を記し、「追っかけお会式・上総妙厳寺」を終える。
 
 
 

ブルーベリーの紅葉

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ブルーベリーの紅葉

 平成二十一年十一月二十一日のこと、庭の鉢植えした紅葉のブルーベリーを発見。「こんな綺麗に紅葉するのか」と撮影投稿したものである。
 ブルーベリーは種類も多い。こんな紅葉のほかに黄葉するものもあるだろうと思いながら・・・。

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追っかけお会式・相模原 顕正寺・平成二十一年十一月十八日
 住所 神奈川県相模原市麻溝台26  電話0427−42−1119小田急線相模原駅下車
麻溝台行き、または北里大学行きバス、麻溝台バス停下車。すぐ。



 毎年十一月十八日は相模原顕正寺のお会式である。この日はとても寒むかった。
 小田急線相模原駅前バス停で、バス運転手さんに聞くと、隣の席の老婆に「ゲンゴサンとこだネ」と聞いた。そして、「二番目のバス停で降りてください」と言う。聞いたはじめは「何?、人の名だが・・・、いいのかなぁ」と心配に思った。

 バス停御降りると大きなお寺で、「源悟山顕正寺」との看板があった。ゲンゴサンとは山号だったのである。乗客みんなが親しみをもっているお寺だったのだ。

 ドウコって言っただろうか、四角いブリキの缶に鍛冶屋の先で沢山の穴を開けてある。この缶に薪を立てて入れてある。斧で割ったのだろう。一本の薪歯豪快な割れ方の大きなものである。目の高さ以上にヒボリが上がっている。久しぶりで暖かい。風は殆ど無い。だが、時おり私の方にヒボリが来る。熱い、顔をチョッと傾けてヒボリから顔を離す。懐かしい。
 目を細めながらヒボリを見ている。何とも口元が緩い。
 焚き火は久しぶりに見たもので、何とも懐かしく、燃え上がるヒボリが暖かかい。
 あたっている人々は今日の世話役と思える古老たちだ。世間話をしている。言葉は懐かしい私の子供の頃の小父さんたちと同じ言葉に聞こえる。「万灯が来るのは七時。纏振り競争が素晴らしい。最後までいると良い」と言う。
 待ちくたびれてテントの椅子腰掛けさせてもらうと、前に御住職さんが座っていた。「開山百年で、私が七代目だ」と言う。
御縁起をお聞きすると、「田野村源悟と言う人が・・・」とお話を始められた。ノートを出しボールペンで聞き書始めたが、どうもペンが送れてしまう。そんなことで思い切って「御由緒を書いたものがありませんか」とお話しすると、最近は造ってないが、前にシオリを造ったから」と、わざわざ御本堂二階へ階段を上って行かれた。追っかけて行き、階段の下で待っていると、暫くして戻ってこられ、見せて下さった。そして、立ち読みでノートに書き換え出した。が、あせった文字で、自分でも読めない。そこでまた、思い切って「これいただけませんか」というと、「いいよ」と快くくださった。

 私はシオリのお礼として、お賽銭箱に千円札を入れてテントに帰ると「うちのメインは『手ロウソク』だ。腕にローソクをつけ火をつける。熱いんだ」と両腕の袖をまくられた。肩先の腕に幅六〜七センチ、長さ二十センチを越えるやけどの痕がある。「腕を横にして炎を上にするといくらか熱さは引くんだが、立てるとまともに炎が腕につき大火傷さ」と仰って火傷の痕を手のひらでなでた。しかし『手ローソク』がどんなものか想像できない。

 そのうち御住職がお帰りになった。そして暫くすると本堂が騒がしい。すると「手ローソクが始まった。実に行けば」と都なりの世話役のころうが言う。「私はさんかじゃぁ無いんですが」というと「大丈夫サ」といった。
本堂の縁先上がったが、中に入る勇気が無い。本堂御宝前前に法衣の両肩をはだけた御住職を始め五人の棟に経巻を下げたお坊さんが合掌しお題目を唱えている。と、左手を腰に木剣(もっけん)を右手にカチカチ鳴らせながらお題目を唱え出した。と同時に大きな本堂を一杯にした檀家さんたちが、団扇太鼓を叩きながらお題目を唱え出した。その団扇太鼓とお題目の合唱は物凄く、見ている私他数人も興奮し、口をもぐもぐさせている。お題目の「南無妙法蓮華経」を唱えているらしい。
 暫くして腕まくりしローソクを点け灯をつけた。そしてお題目木剣振りの後、腕に火の点いたローソクをつけた御住職を始めとした五人のお坊さんが満座のお題目を唱える檀家の中へ入ってきた。

 木剣と経巻を檀家一人一人の頭や両肩に当てている。檀家はその都度深々と頭を下げる。

 そのうち本堂の縁先まで出てきた。そして、私にもしてくださった。何とも気持ちがスッキリしたこと・・・。

 一通り本堂に上がった人々の経巻と木剣当てが終わると、縁先に並んだ語住職他は、境内の参詣人に向かって木剣振りと声高々のお題目を唱えた。

 腕にはローソクが融けて流れている。これでは火傷をして当たり前、と、御住職の両腕の大火傷痕が思い出され、納得した。

 「手ローソク」は初めて見たものだが、物凄い迫力で、一年の厄一切が取り除かれ、新しい歳の大きな御利益を感じさせてくれた。

 帰りのバスで、席を譲ってくれた少女にも、仏心を感じた。

 
 顕正寺の御縁起について『源悟山顕正寺参拝のしほり』を参考に記すと、
 当山開山野々村顕吾氏は豊臣家家臣野々村伊予守子孫野々村兼吉長男として、弘化四年(注・1847)六月、岐阜県稲葉郡方県(かたがた)村石谷に生まれた。
 三十七歳の時の作業中、墨壺の墨が眼に入り両目を失明、真言を唱えていると、「・・・身延に行け、日朝堂(身延三十六世住職)が直してくれる」とのお告げがあった。そこで野々村顕吾は日朝堂に参篭、勤行と罪障消滅を祈ると、両目の失明が快癒した。

 そして、日朝上人に「東方千ヵ寺にお礼参りをしろ」といわれ、佐渡をはじめ関東東北の寺寺を参詣、相模国下久沢山本作左衛門かたに滞在折伏。その後下溝小山源兵衛方に滞在、当家で強烈な法華信奉者得て源吾上人は、「下溝の地こそ、法華経弘通最適地とした。

 その後小山氏親戚伊八氏の力を得て井上九郎兵衛が敵地を提供九郎兵衛宅に、明治二十四年祖師堂祈祷所を建立、大島法性寺弁妙上人に師事、正中山執事祈祷講世話係りになった。

 さらに明治三十一年大本山法華経寺より白山講社社長に任ぜられ、研ぎ澄まされた上人の霊感は、蝋燭の火の燃ゆる有様のごとく人々の災禍を占い、人の善悪を問わず折伏に専念した。そのため遠地にいたるまで上人をしたって帰依する人が絶え無かった。だが、大正十年八月二十二日、七十二歳で一世を終えられた。法名を顕正院法弘日源上人号し、昭和ニ十六年準講師が追贈された。
 以来日源上人、日顕、日静、日秀、日照、日請、各御上人、そして、現日観御上人と、七代も続いている。

御本尊・・・・日蓮上人が哲学哲理によって定めた釈迦牟尼佛。

祈祷本尊・・・鬼子母神。鬼子母神は仏陀にたいし、三帰五戒、呪文を唱え「法華経の行者を擁護する」と言った方。日蓮上人は厚く信仰、日蓮宗の祈祷本尊。

立正大師日蓮大菩薩尊像二体。
 本山星降山妙純寺貫首日森猊下開眼の一体。
 横浜蓮法寺山主津川翠温大僧正より賜った一体。

敬信殿
 境内にある金龍弁才天を祀った小堂。

とある。

手蝋燭祈祷のあと、境内に下りると万灯を持たないお囃子と纏だけの一団が二団体あった。聞くと「お寺じゃぁ無い。ゲンゴさんがいたとこサ」と言って笑った。万灯は都合四基のようだった。

 境内を出る時、提灯やスポットに照らされた本堂まえお二本の松が綺麗だった。いずれ名物の二本松になるkとだろう。


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