ふすま(衾)メモ

もう1月も半ばを過ぎてしまった。と考えると複雑になる歳。極悪なインフルエンザが収まらない。風邪には、くれぐもお気をつけて下さい。

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震災記念日・H21九月一日

 今日は九月一日、関東大震災が起きた日であり、今では「防災の日」として、「自然災害全般にたいして気をしき締めよう、対処しよう」と全国で訓練が行われた。

 大正十二年九月一日に関東大震災は起きた。その日はやたら暑い日で八歳の母は兄の伯父たちと、現目黒十一中下の呑川で水遊びをしていた。
 と、急に周りの雑木がザワザワと聞いたことの無い音をし始め、川の水がピシャッピシャっと高さ二〜三十センチほどの鋭く尖った波が沢山立って、立っていることができず、伯父たちにしがみついた。
 すると同時に、山の上から西瓜がゴロゴロと転がってきた。母は怖くなったが声はでず、ただ異様な光景を見えいるだけだったという。そして地震が収まると、急に恐ろしくなってワンワンと声をあげて泣いたといった。

 また、母の母、祖母は、オツイタチ(一日)は鎮守の氷川様と権現様(熊野神社)にお参りに行くのが常で、権現様から自宅に帰る道で地震にあった。やはり立っていることも歩くこともできず、道端の草を握り締めて地震の収まるのを待ったと言う。


 北の空は真っ黒な煙で覆われていた。

 そのあくる日のこと、大きな風呂敷を担いで鍋釜を両手に持った人々や、大八車の人々がやってきて納屋や竹やぶに住みだした。東京都心の大火災で焼け出された人々だった。祖父母や村の人たちは追い出すことはできず、なすがままにしかできなかった。

 そんな現状を見た村の世話役たちは役場に申し入れ、東が丘にお助け住宅ができた。
 一番奥に食堂があり、カレーライスとコーヒーが売られ出された。
 近い野沢の子供たちは「コーヒーは苦くて飲めなかった。が、カレーライスは美味かった」と言う。周りの地元の人々も食べることができたのだ。


 江戸時代から発達した江戸市中の殆どが灰燼に帰し、死者十万人、被災者一五〇〜一六〇万人、東京市街の七十五%が消失したと言う。


 ところが当衾や奥沢、洗足と言う郊外は一軒の倒壊も火災も無かった。それは釘を一本も使わない木組の家だったからでる。神輿がどう揺すっても壊れないと同じ木組だったからであった。


 そんなことから、東急関係幹部は目蒲線、大井町線開業と相まって「大地震にも安全な洗足地区の建売住宅」との宣伝文句で分譲を初め、大いに売れ、田園調布の高級住宅地もできたと言う。


 関東大震災は親戚のある静岡県清水や沼津にも波及、大きな被害になったことは結婚して知った。


写真は丑川(九品仏川)源流「ねこじゃらし公園」の丑川源流と楢の実。

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