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(衾囃子東ヶ丘会・H21・9・20
衾囃子は衾熊野神社祭礼に渡御先導する五十嵐さんを中心とした自由が丘自緑囃子(旧矢畑囃子)と衾氷川神社本祭り連合渡御先導の東ヶ丘会がある。
どちらも小型トラックに櫓を組んでの演奏パレードで、一目では「同じ人たちの演奏?」と見紛う。しかし、氷川神社連合渡御先導は東が丘会であり自由が丘熊野神社祭礼は自由が丘、緑ヶ丘在住の人々の自緑(じろく)囃子(旧矢畑囃子)で違う。
衾囃子東ヶ丘会の氷川神社祭礼連合渡御先導の初めは平成元年(一九八九)、東が丘在住の長老小杉勝金さん(明治四十一年生まれ)と、『目黒大観(昭和十年刊)』編纂委員の元朝日新聞記者未亡人、東が丘在住の小杉実(昭和二年生まれ)さん、小杉敏(さとし。昭和三年生まれ)さんが代表になり、大菊総本店二階での都立連合連合渡御懇談会席上で先導が決まった。
衾囃子東ヶ丘会の誕生は古い。しかし、会としてまとまったのは太平洋戦争(第二次世界大戦)終戦直後、世の中が落ち着いてきた昭和二十一年、前述の今は亡き小杉勝金さんと小杉実さん、東ヶ丘在住の前述『目黒大観(昭和十年刊)』編纂委員、元朝日新聞記者某氏、現長老小杉敏(さとし)さんを中心として存続していた。
その御囃子を、現在、東ヶ丘在住の前述『目黒大観(昭和十年刊)』編纂委員、元朝日新聞記者某氏が応援、衾囃子東が丘会が出来上がったのだ。
しかし、小杉勝金さん、小杉実さん、『目黒大観(昭和十年刊)』編纂委員、元朝日新聞記者某氏は早くに亡くなり、現在は小杉勝金さんご子息衛(まもる)さん、元朝日新聞記者某氏未亡人、小杉敏さんが意志を継いで衾囃子東が丘会を存続、今回は小杉敏さんをリーダーとして、その人々のお孫さん、中学高校生のお嬢さんたちが囃子の中心となって演奏していた。
(一部『平町商店街五十年史「わたしの平町」・平町商店が五十年史編集委員会編』参考)
写真は衾鎮守氷川神社本祭り連合渡御を先導する「衾囃子東が丘会」
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