ふすま(衾)メモ

もう1月も半ばを過ぎてしまった。と考えると複雑になる歳。極悪なインフルエンザが収まらない。風邪には、くれぐもお気をつけて下さい。

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追っかけお会式・相模原 顕正寺・平成二十一年十一月十八日
 住所 神奈川県相模原市麻溝台26  電話0427−42−1119小田急線相模原駅下車
麻溝台行き、または北里大学行きバス、麻溝台バス停下車。すぐ。



 毎年十一月十八日は相模原顕正寺のお会式である。この日はとても寒むかった。
 小田急線相模原駅前バス停で、バス運転手さんに聞くと、隣の席の老婆に「ゲンゴサンとこだネ」と聞いた。そして、「二番目のバス停で降りてください」と言う。聞いたはじめは「何?、人の名だが・・・、いいのかなぁ」と心配に思った。

 バス停御降りると大きなお寺で、「源悟山顕正寺」との看板があった。ゲンゴサンとは山号だったのである。乗客みんなが親しみをもっているお寺だったのだ。

 ドウコって言っただろうか、四角いブリキの缶に鍛冶屋の先で沢山の穴を開けてある。この缶に薪を立てて入れてある。斧で割ったのだろう。一本の薪歯豪快な割れ方の大きなものである。目の高さ以上にヒボリが上がっている。久しぶりで暖かい。風は殆ど無い。だが、時おり私の方にヒボリが来る。熱い、顔をチョッと傾けてヒボリから顔を離す。懐かしい。
 目を細めながらヒボリを見ている。何とも口元が緩い。
 焚き火は久しぶりに見たもので、何とも懐かしく、燃え上がるヒボリが暖かかい。
 あたっている人々は今日の世話役と思える古老たちだ。世間話をしている。言葉は懐かしい私の子供の頃の小父さんたちと同じ言葉に聞こえる。「万灯が来るのは七時。纏振り競争が素晴らしい。最後までいると良い」と言う。
 待ちくたびれてテントの椅子腰掛けさせてもらうと、前に御住職さんが座っていた。「開山百年で、私が七代目だ」と言う。
御縁起をお聞きすると、「田野村源悟と言う人が・・・」とお話を始められた。ノートを出しボールペンで聞き書始めたが、どうもペンが送れてしまう。そんなことで思い切って「御由緒を書いたものがありませんか」とお話しすると、最近は造ってないが、前にシオリを造ったから」と、わざわざ御本堂二階へ階段を上って行かれた。追っかけて行き、階段の下で待っていると、暫くして戻ってこられ、見せて下さった。そして、立ち読みでノートに書き換え出した。が、あせった文字で、自分でも読めない。そこでまた、思い切って「これいただけませんか」というと、「いいよ」と快くくださった。

 私はシオリのお礼として、お賽銭箱に千円札を入れてテントに帰ると「うちのメインは『手ロウソク』だ。腕にローソクをつけ火をつける。熱いんだ」と両腕の袖をまくられた。肩先の腕に幅六〜七センチ、長さ二十センチを越えるやけどの痕がある。「腕を横にして炎を上にするといくらか熱さは引くんだが、立てるとまともに炎が腕につき大火傷さ」と仰って火傷の痕を手のひらでなでた。しかし『手ローソク』がどんなものか想像できない。

 そのうち御住職がお帰りになった。そして暫くすると本堂が騒がしい。すると「手ローソクが始まった。実に行けば」と都なりの世話役のころうが言う。「私はさんかじゃぁ無いんですが」というと「大丈夫サ」といった。
本堂の縁先上がったが、中に入る勇気が無い。本堂御宝前前に法衣の両肩をはだけた御住職を始め五人の棟に経巻を下げたお坊さんが合掌しお題目を唱えている。と、左手を腰に木剣(もっけん)を右手にカチカチ鳴らせながらお題目を唱え出した。と同時に大きな本堂を一杯にした檀家さんたちが、団扇太鼓を叩きながらお題目を唱え出した。その団扇太鼓とお題目の合唱は物凄く、見ている私他数人も興奮し、口をもぐもぐさせている。お題目の「南無妙法蓮華経」を唱えているらしい。
 暫くして腕まくりしローソクを点け灯をつけた。そしてお題目木剣振りの後、腕に火の点いたローソクをつけた御住職を始めとした五人のお坊さんが満座のお題目を唱える檀家の中へ入ってきた。

 木剣と経巻を檀家一人一人の頭や両肩に当てている。檀家はその都度深々と頭を下げる。

 そのうち本堂の縁先まで出てきた。そして、私にもしてくださった。何とも気持ちがスッキリしたこと・・・。

 一通り本堂に上がった人々の経巻と木剣当てが終わると、縁先に並んだ語住職他は、境内の参詣人に向かって木剣振りと声高々のお題目を唱えた。

 腕にはローソクが融けて流れている。これでは火傷をして当たり前、と、御住職の両腕の大火傷痕が思い出され、納得した。

 「手ローソク」は初めて見たものだが、物凄い迫力で、一年の厄一切が取り除かれ、新しい歳の大きな御利益を感じさせてくれた。

 帰りのバスで、席を譲ってくれた少女にも、仏心を感じた。

 
 顕正寺の御縁起について『源悟山顕正寺参拝のしほり』を参考に記すと、
 当山開山野々村顕吾氏は豊臣家家臣野々村伊予守子孫野々村兼吉長男として、弘化四年(注・1847)六月、岐阜県稲葉郡方県(かたがた)村石谷に生まれた。
 三十七歳の時の作業中、墨壺の墨が眼に入り両目を失明、真言を唱えていると、「・・・身延に行け、日朝堂(身延三十六世住職)が直してくれる」とのお告げがあった。そこで野々村顕吾は日朝堂に参篭、勤行と罪障消滅を祈ると、両目の失明が快癒した。

 そして、日朝上人に「東方千ヵ寺にお礼参りをしろ」といわれ、佐渡をはじめ関東東北の寺寺を参詣、相模国下久沢山本作左衛門かたに滞在折伏。その後下溝小山源兵衛方に滞在、当家で強烈な法華信奉者得て源吾上人は、「下溝の地こそ、法華経弘通最適地とした。

 その後小山氏親戚伊八氏の力を得て井上九郎兵衛が敵地を提供九郎兵衛宅に、明治二十四年祖師堂祈祷所を建立、大島法性寺弁妙上人に師事、正中山執事祈祷講世話係りになった。

 さらに明治三十一年大本山法華経寺より白山講社社長に任ぜられ、研ぎ澄まされた上人の霊感は、蝋燭の火の燃ゆる有様のごとく人々の災禍を占い、人の善悪を問わず折伏に専念した。そのため遠地にいたるまで上人をしたって帰依する人が絶え無かった。だが、大正十年八月二十二日、七十二歳で一世を終えられた。法名を顕正院法弘日源上人号し、昭和ニ十六年準講師が追贈された。
 以来日源上人、日顕、日静、日秀、日照、日請、各御上人、そして、現日観御上人と、七代も続いている。

御本尊・・・・日蓮上人が哲学哲理によって定めた釈迦牟尼佛。

祈祷本尊・・・鬼子母神。鬼子母神は仏陀にたいし、三帰五戒、呪文を唱え「法華経の行者を擁護する」と言った方。日蓮上人は厚く信仰、日蓮宗の祈祷本尊。

立正大師日蓮大菩薩尊像二体。
 本山星降山妙純寺貫首日森猊下開眼の一体。
 横浜蓮法寺山主津川翠温大僧正より賜った一体。

敬信殿
 境内にある金龍弁才天を祀った小堂。

とある。

手蝋燭祈祷のあと、境内に下りると万灯を持たないお囃子と纏だけの一団が二団体あった。聞くと「お寺じゃぁ無い。ゲンゴさんがいたとこサ」と言って笑った。万灯は都合四基のようだった。

 境内を出る時、提灯やスポットに照らされた本堂まえお二本の松が綺麗だった。いずれ名物の二本松になるkとだろう。

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