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「通り魔事件」記録的
今年は秋葉原無差別殺傷事件他、「通り魔事件」が記録的だったとテレビで報じていた。何でだろうか?、挫折感からのニュース創りなどがその原因とも言われる。
私はそのほかに初期教育のズサンさがあるように思う。というのは、私は糖尿病と肺気腫から年中マスクをしている。だから歩く時もマスクをしている。そうすると、「あっ、マスク、マスク」とか「怖いおじさんがいる」と私に目をやり、指差したたり、声を出して隣の母親に話したり、ジッと私に目をやり、私を見て母親に言ったり、袖を引っ張ったりする。
私は戦中戦後に小学校を過ごした。その時に虐めを感じなかったし虐めがあった記憶もない。そして、ジッと目線を送る「ガンズケ」、「指差し」、「嘲笑」は小学校でも家庭でも窘められ怒られたと記憶する。その全部がサゲスゲの行為が意地汚い行為、卑しい行為として、家庭で、小学校、中学校と言う初期教育で教わったからの事と、私は考えている。そして、「お里が知れる」と言う言葉もあり、告げ口も嫌われ行為であった。それが現代は当たり前、当然の行為で、「誰々さんが、こうなんだって」と得意げに耳打ちされ、それがグループのリーダーになる条件のようになるとも思われる。
ところが、先日の私のブログ「元校長先生」だったか、や、「バスの中で」?の元警察官のようなガンズケが、極、自然に行われているのだ。
と考えてくると考えてくると、「ガンズケ」、「指差し」、「嘲笑」は小学校でも家庭でも窘められ怒られることがないのではないかと思われる。
誰しも、「ガンズケ」、「指差し」、「嘲笑」されたら、きっといい気持ちはしない。何んで、「ガンズケ」、「指差し」、「嘲笑」されるんだ?と怒るだろう。
まして、運動会で等級を付けるのはオカシイという教育方法もあった。そんな教育で育った人間がガンズケされ、指差され、嘲笑される、と、すれば、「何で俺が?」と思うのが当然だ。だからの最近多い無差別殺傷事件だ、と私は思う。
何時ぞやの学童殺傷事件の犯人が死刑判決されたとき、「早く殺せ」と言ったと新聞で読んだ記憶がある。そのとき、死刑になるための殺傷事件のようにも思った。「犯罪前歴者の再犯が多い」といわれる。が、それは、例え執行猶予、保護観察で釈放されても、犯罪者の話が巷にながれ、何時までも犯罪者の目で見られ追われる。前歴者は公表監視するシステムになって、当たり前のこととして、何時も目で追われる。特にこのところの「怪しいと思ったら、すぐ110番」、「疑わしくは切る」の時代ではなおさらと思われる。厚生のための刑期を終わって世間に出ても居場所がないのだ。厚生のばがないのだ。
しかし、「では、どのようにしたらいいのか?」といわれたら、その答えは分からない。ただ、「ガンズケ」、「指差し」、「嘲笑」、「告げ口」を初期教育で教えることとしか分からない。
写真は衾のある児童公園で。子供がいないのは幼稚園、小中学校授業時間内であったからである。
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