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泣ける話

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親父の話 3

 
 
 息のしてない、眠り続けたままの親父と一緒に帰ってきた。
 
 いつも日焼けして真っ黒い親父が、化粧されて真っ白い姿でちっちゃくなって
 帰ってきた。
 いつもただいまとかは言わない親父だったが、今日も言わない。

 
 親父を家に連れて行き、私が自分の部屋に着替えに行ったときポケットに入れておいた
 親父の走り書きのメモを壁に貼った瞬間号泣してしまった...
 
 
 今までの思い出が走馬灯のように、親父を誤解していたことへの後悔、反省
 謝っても、もう返ってこない返事への寂しさ......
 
 感情が涙になって溢れ出た、すべて出た。

 自分で自分に納得させ、反省させ、後悔させ一緒に暮らした親父との月日を
 約一時間流した涙に変えた。

 一時間前までの自分とは、また違う自分になっていたと思う。






 

親父の話 つづき

今まで、病室で周りに訳のわからない機械たくさんつけて
もう精一杯生きた親父がいた。

仮にでも、意識がなくても生きていた。
自分が連絡を貰い、病院でさまざまな手続きしてる間に...


みんな、線香上げて...ろうそく立てて...
手を合わせていた...今でも忘れられない。

今から30分前に人間だった人が、仏になった事を受け入れるのが
厳しかった。


親父をうちまで俺の車に乗せて帰った。思い出の地を回りながら。
スーツを親父に着せることはできなかったけど、掛けてあげて
親父の職場の前を通った。

「親父、仕事だぞ」

親父が通っていた飲み屋の前を通った。

「ここボトル入ってるか」

そんなたわいもない話しながら。


本当は家に帰りたくなかったのかもしれない。

泣ける話 親父のこと

俺は親父を軽蔑していた。
小さいころはキャッチボールとか、クワガタを捕まえたり色々
遊んでもらったが、思春期になりすっかり忘れてだんだん話も
しなくなり、男として軽蔑するようになった。

俺が学校から帰るとまだ仕事中の時間なのに盆栽の手入れ、いつも飲んだくれて帰ってくるし
休日といえば寝てばかり。
ダメ親父にしか見えなかった。
俺が就職して、実家を離れ一人暮らしをするため出発する日も何の挨拶もしなかった。
親父みたいにはなりたくないという信念だけでただただ、仕事に励んだ。

俺が長男ということもあり、仕事柄出張が多く定住できない環境だったので
仕事を辞め実家に戻った。
そのときも何の挨拶もなかった。

ある12月の寒い日、母があわてて俺のところに来て
「お父さんが健康診断で再検査を今すぐしてくださいって言う診断書隠してたのよ」
震える声で言った。俺は「そんなのすぐに検査に行かせればいいじゃん、早期発見だから大丈夫でしょ」
というと「健康診断は5月だったの...」と答えが返ってきた。

もう手遅れだった。そのときも親父を軽蔑した。
再検査が怖くて行かないから最悪な結果になったんだと、自業自得だと
親父を軽蔑した。

親父が入院し形だけの手術をして治療していたとき、若い夫婦がお見舞いに来てくれた。
「私が無理に仲人を頼んだばっかりに入院が遅れたんじゃないでしょうか?けど元気そうで安心しました
課長からぜひ仲人していただきたかったので申し訳ありませんでした」母にそういった。
親父の部下だった。そういえば8月に仲人すること張り切ってたな、そのために???

そのころから親父への考えが少しずつ変わった。
手術したら仲人はできない、一度引き受けた以上直前になって断れない。
それが親父の気持ちだったらしい。


二回目の入院の時に、母が泣いて帰ってきた。
もう歩くことすら困難になっていた親父は泣きながら病院まで歩いていったそうだ。
「来月に自分が企画した仕事の打ち合わせがあるから一時退院したい」
そういって何度も主治医を困らせた。困らせた挙句勝手に病院を抜け出した。
歩くこともままならず、ましてや一言話をすれば息切れする状態なのに...
俺が親父と同じ立場ならそんなことはできないだろう。
今まで俺は親父の何を見てきたのだろう、そう思うと涙が出てとまらなかった。
そのころからだんだん親父との距離が縮まり少しだが話するようになった。

「親父、退院のときはスーツいらないだろ?スーツは家に持ってくよ」
生きて退院はできないとわかっていた俺は親父にそういってロッカーから持ち出した。
「やめろ! 俺が退院してまっすぐ仕事に行くときジャージなんか着ていけるか!!」
力のない声でしっかり叱られた。「それもそうだな、わかったよ」そういって笑ったが
心の中では泣きたい気持ちで一杯だった。悲しくて泣きたいわけじゃなくて、今までの俺の親父
に対する思いが、情けなくて腹立たしくて泣きたかった。

もうろくに息もできなくなって、けど俺の前では強がって
「俺は死ぬまで頑張るからな!!」
そういってにこっと笑った。

それが俺にとって最後の言葉だった。
俺が荷物を取りに自宅に戻るとすぐに電話がなり亡くなったとの電話だった。

届ける意味のない荷物を持ち、また病院に戻ると親父はもう病室にいなかった....
病理解剖室に移動していた。
看護師さんが2人泣きながら病室の掃除をしていた。
「泣いたことは誰にも言わないでください。個人感情で泣いてはいけないんです、けど...」
そういうと別の看護師が「自分の病状より私たちを気遣い心配してくれる患者なんていないんです。
けど、お父さんはそれができる人だったんです、立派なお父さんですね...」

3人で泣いた。

ふと枕元のところにメモを見つけた。
それには震える細い字で
「つらいことよりも、苦しいことよりも、悲しいことよりも一番恐ろしいことは
諦めてしまうこと、すべてが終わってしまう」
そう書いてあった。泣いた。こんなに泣いたことは子どもの頃もなかったと思う。
今ではその汚いぐちゃぐちゃの走り書きが、俺の一番の宝物です。

親父、今まで一度も言ったことがなかったけど、心のそこから
   尊敬しているよ。親父の息子でよかった。
   今まで一度も言ったことないけど、ありがとう。
   そして、ご苦労様でした。

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