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なぜだ、貧困弱者を救済する特例措置を撤廃してまでも、今、老人ホームに居る年寄りが大事か。
これから、さらに増えるであろう老人人口は、各世代を中心にボランティアに出れない若年層や中年層から税の名の元に取れるだけ取ろうと言う考え方は、後々老人が介護を必要としてくる世代が増え出るにつれ、サービスも格段に上がるか、取り上げたお金がおしくなって、格段にサービスの低下が心配される。
いま、老人ホームに入居している年寄りは、老後は他力本願であることに変わりは無い。
今だから、議論している今だったこそ、上質の介護サービスが受けれるのだと思う。
あと、数年もしたら、団塊以下がサービスを受けることになり、経営改善という課題に直面し、質の低下・介護の放棄が、ごく少数取り上げられてきた、個人経営のホームヘルパーを雇うお金がなく、介護そのものが難しくなり、一般介護保険料を納める人口が減少してきたら、介護そのもののディ・サービスを受けれなくなるものが平等に出てくるのが狙いか。
団塊の世代が繁栄を築いてきたと考えているのだとするなら、何を残し、何を発展させ、国の国益とするのだろう。
平等と言うだけの観点からでは利益は生まれてこない。
公平と言う現実がありながら、政治家や国家公務員以下公務員だけが、公平・平等では、団塊だけが政治国家国下戦略を解してきたかのようだ。
新成長戦略とは、団塊から敬称された技術ではなく、本質的に自身の経験から来る政策と努力であったと受け止めていた俺は違ったか。
つまり、俺は、団塊から引き継いだ技術の核たる中枢にいるのではなく、技術の進歩、つまりは、改革のつど会社が独自開発してきた革新技術、そう、会社が行う事業を大きくする先行投資つまり、供給能力を軸とであると考えていた。
今の時代、今まで聞いてきた、古い技術を新しくリサイクルしてきた機械などの技術の設備投資をよく耳にしてきたが、まるで、意味の伝達にも使うことなくいた。
そんな機械が新しい商品を生み出すとは思わなかったからである。
つまり、デザインは変わるけれど、実質上、新機能となる物が欠けていたからである。
サイクルとは、転換であり、革新にちかずくものではない。
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