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                 3、バターンを忘れない

                   ━ フィリピン ━

戦後フィリピンで行われたアジア水泳大会で日本人選手がメダルを獲ったが、石を投げられたりして表彰台には立てなかった。日本選手団ががフィリピン人から浴びせられた声は、「オイ、コラ、バカヤロー、カエレ」だった。戦時中の日本兵がフィリピン人に向けた言葉をそのまま浴びせられたのである。バターン死の行進での死者は約9割がフィリピン人であったと言われている。

『下級将校の見た帝国陸軍』(文春文庫)の中で山本七平は「石をもって追われた」日本軍の撤退の様子を次のように伝えている。
「30年前の、マニラ埠頭の罵声と石の雨を、昨日のことのように思い出させたからである」

現在日本では、日本軍は多くのアジア人に歓迎されたような事を言う人もいるが、バカも休み休み言え・・と言うしかない。
小松真一の『虜人日記』を読んだ事が無いのだろうか?

・・・『バカ野郎』『ドロボー』『コラー』『コノヤロウ』『人殺し』『イカホ・パ ッチョン(お前なんぞ死んじまえ)』  憎悪に満ちた表情で罵り、首を切るまねをしたり、石を投げ、木切れがとんでくる。パチンコさえ打ってくる。 隣の人の頭に石が当たり、 血がでた・・・」 (『虜人日記』)

これは21年4月、戦後8ヶ月目の記録であり、従って投石・罵声にもやや落ち着きがあるが、これが20年9月ごろだと、異様な憎悪の熱気のようなものが群衆の中に充満しており、その中をひかれて行くと、今にも左右から全員が殺到して来て、八つ裂きのリンチにあうのではないかと思われるほどであった。『下級将校の見た帝国陸軍』より)

敗戦時に、これほど憎まれてしまったのは、平素の行いが悪かったからだろう。
フィリピンでもビンタは炸裂していたのである。
フィリピンの人にとって、平手打ちを受けるよりは蹴られた方がましだという。平手打ちは相手を殺したくなるほどの屈辱なのである。日本兵は、内務班の中で、教育的指導と称し部下に日常的にふるっていたのと同じ感覚でフィリピン人に対しても平手打ちを浴びせた。

比島派遣軍参謀部で情報を担当していた元少佐、一木千秋氏はこう指摘する。

「 日本から来た軍隊は、中国や満州におったんで、フィリピンのことを知っているわけないからね。フィリピンの風習とか習慣というのは知らないで来て、戦場に出されたというような状況でしょう。フィリピンのことを知ろうともしなかったし、また、上も知らせようとしなかった。

例えば、パラオでの飛行場建設なんかで、あそこはイスラム教徒ですがね、左手で叩くともうたいへんなのに、左手で殴ってね、非常に敵愾心をあおって、襲撃を受けたりしたね。習慣を知らないからね 」
『レイテに沈んだ大東亜共栄圏』 P.83より


マレー半島と同じくイスラム教徒が圧倒的に多い蘭印では、日本憲兵の現地の慣習を無視した行為が終戦後、BC級の起訴事由になった。イスラムでは左手は不浄とされ、左手で物を与えたり、人前で人を叩くことは厳禁されているが、憲兵は遠慮会釈なく左手でも現地人を殴って恨みを買った。( 『BC級戦犯』  P.172)


『司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録愛蔵版』の中で、

司馬遼太郎が、
「昭和元年から20年まで話をずっとして・・・いまだに思う事はひとつです。あれは日本だったんだろうか?」(P208)
 と嘆息し、
「いったい昭和期の軍人(軍の中枢にいた人)に愛国心があったのだろうか。」(P203)
 と問いかける日本軍の姿であった・・・。








『BC級戦犯』 
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