鼠屋日誌

〓ねずみや〓香川県観音寺市柞田町黒渕

田植え

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今日は、田植えの手伝いです。
『林の前』と言う田んぼからスタートです。
山田神社の馬場の松林があった横の田んぼなので、『林の前』と呼ばれています。

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黒い淵

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かつては、『山田』と呼ばれ、江戸時代になり黒渕と呼ばれたこの土地。
なんで、黒渕と言う地名か分かりませんでしたが、この書物が証明してくれました。
私の実家にも、かつて井戸が二つ、出水が一つ屋敷内にありました。
今でも、キレイな水の湧く池が黒渕地区内に多く点在しています。

なるほど、湿地帯で、柞田川の伏流水が多く湧く地域、黒い淵が、我が黒渕地区の所以でした。
他地区が干ばつの時も、黒渕はかえって豊作だったというこの一文、何か黒渕気質を物語っているようでなりません。

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恒例の年越

今年も黒渕の有志で、
五社参り用の餅をつき、

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山田神社の飾り付けを行い、

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除夜の刻太鼓を鳴らし、

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昼間ついた餅を奉納しながら、歩いて五社参りをしました。

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山田神社に帰って来たのは、午前4時でした。

年越し五社参りをやりだして10年目。参加者数も少なく、風前の灯火ですが、深夜に出会う各神社の世話人とのふれ合いや、有志との世間話が楽しく、継続できました!
例年、十三塚のミニストップで休憩していましたが、今年は、昨年開店した我がローソン黒渕店で休憩しました。
節目の年に、神社の飾り付けも奉納できました。
気負わず、今後も可能な限り、この恒例行事を継続できればと考えています。

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ぼちぼちかがわ

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うちのじいちゃんが、「ぼちぼちかがわ」という老人クラブ機関紙の新年1月号に載りました!

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火の用心

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今年も柞田分団の「火の用心」お札製作に奉仕させていただきました。
故郷に貢献できるのは、大変名誉なことです。
どうぞ2017年が、柞田町にとって良い年になりますように!

PS この絵にはお酒にまつわる、縁起の良い故事が3つ入っています。

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黒渕の文化財

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つい最近まで、黒渕公民館には半鐘が吊るされていました。
戦前まで、この半鐘を使い、洪水や火災の合図を送っていたと聞いています。
この半鐘、降ろしてみて発見がありました。
黒渕出身で陸軍少将だった、井下忠助という人が寄付したものでした。
山田神社の赤心橋の欄干にもこの方の名が刻まれています。
この方は、観音寺では名の知れた方でした。

陸軍大学校
卒業記念
施主歩兵大尉
井下忠助
大正十年

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黒渕太鼓ブルーレイ

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今年も黒渕太鼓のブルーレイディスクを製作しました。黒渕太鼓関係者に限り、お譲りしますので下記アドレスまで、メールをお願いします。

kurofuchidaiko@yahoo.co.jp

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平成28年秋祭り

胸の痛む中、今年の本祭が実施されました。
被害に合われた方の事を思うと、無念でなりません。
また、初めて掛合となった今年、祭りと安全について、改めて考えずにはいられませんでした。
どうぞ、大好きな祭りが、大好きでいられますように。

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敬老の日

今日は、敬老の日です。
私の祖父は、今月末で満102歳です。
今でも、朝起きて新聞を読むこと、メジャーリーグを観ること日課としています。
この写真は、5月の連休に、お小遣いをひ孫に配っている様子です。

郷土史にあかるく、短歌を趣味にしています。
今となっては、誰も知らない、山田神社の御堀の橋が「赤心橋」であること(欄干に名が彫られていること)や、大鳥居は山田の石工で作ってもらい、ちょうさのゴマに乗せて運んだこと、柞田村の郷社だった山田神社の秋祭りには県から勅使が来て、盛大に祭が行われていたなど、さまざまな昔話を教えてもらっています。
これからも、もっと長生きできるよう祈っています。
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黒渕の北海道開拓民

大正六年に建て替えられた山田神社拝殿の寄付者を記した、『郷社山田神社拝殿再建築喜納人表』が境内に残されています。
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この記念碑を見ると、黒渕村の者以外に、宮崎市、下関市、北海道と記された者がいます。
特に“北海道”と記された者が30名以上おり、全体の3分の1以上を占めています。
さらに、黒渕村の者よりも、その者達の方が高額の寄付をしています。
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推測するに、
明治時代、開拓民として、多くの黒渕村の二男三男が北海道へ移住した。
北海道では、荒地の開墾に、相当な苦労を重ねた。
ようやく暮らしが落ち着いた大正の初め、故郷の黒渕村から山田神社の拝殿建替えの知らせが来た。
交通手段が未発達で、容易に黒渕村に帰郷できない時代、せめて故郷に自分の名前を刻みたいと、黒渕出身者で有志を募り、寄付を行った。
その後、移住した開拓民は北海道の地で生涯を終えた。
完成した拝殿を直接見た者は、数少なかったであろう。
それから、約100年経った現在。
記念碑には、当時の開拓民の名前が、明確にしっかりと刻まれている。

↓その時(大正6年)に建てられた拝殿の最後の姿。
昭和60年にこの拝殿は建て替えられ、今その姿を見ることはできない。
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