p-113 それは目の前の暴力団員風の男が怖いという恐怖心から生じたものではなく、上司になんと言って報告しようかという意味である。 しかし、一度抜いた拳銃を事態が収まらぬまま納めるわけにはいかない。私は努めて冷静に「窓をあけろ、あけなければ撃つぞ」と言った記憶がある。のちに、その文言は記録から削除されたが、とにかく男はすぐに窓をあけた。 もちろん本当に撃とうなどという気はなかった。ただし「脅し」の気持ちがなかったというとウソになる。しかしそれは、報告の段になれば「警告」という表現に変身するのである。 男は取り調べの段階で「オマワリに銃□を向けられた」と供述した。故意に銃□を向けつづけたおぼえはないが、わずかでも男に銃口が向いたのは事実だった。だから、結果的に男が驚いて窓をあけたというわけだ。 しばらくたって、「俺は何のために拳銃を抜いたのか」と私は思い返した。拳銃をその用法に定められたとおりに使おうと思ったわけではない。とっさに感じたことは、窓ガラスを叩き割ることだけだった。しかし銃口を男に向けたことも事実である。これは法律上、立派な拳銃使用に当たるとの結論に達した。 話は現場にもどるが、周囲は黒山の人だかりだった。警察官が拳銃を抜いて暴力団員風の男とトラブっているのだから誰も見逃すはずがない。これを意識してか、男は「オマワリがよー拳銃抜いていいのかよー」と大声でやじ馬をあおりはじめた。この時間帯の盛り場は酔っ払いだらけだからタチが悪い。 早いうちにケリをつけなければ収拾がつかなくなると判断し、衆人環視のもと、かまわず両手錠をかけて逮捕した。「いったい何の容疑だよ」と男は怒鳴る。「バカヤロー、公務執行妨害に決まってるだろがー、さっきから言ってるだろバカ」と負けじと大声で叫んだ。 このような状況で警察官が控えめにしていると、やじ馬のほうが手に負えなくなる場合が多いから、やじ馬に対しても「そりゃあ、しょうがねえや」と印象づけることを忘れてはいけないのだ。もし彼らが暴徒と化したら、それこそ手に負えない。機動隊が必要になる。それも警察官が原因では笑えた話ではない。原因では笑えた話ではない。 このようなときは引き際がむずかしい。 男を「犯人として」パトカーに乗せるときも、警察官は堂々としていなくてはいけない。下手に慌てたり、自信なさそうにすると、ギャラリーを刺激することになる。下手をするとパトカーがボロボロにされることもある。 サイレンを鳴らすか? と迷ったが、「行くぞー」と言ってとりまきのギャラリーを蹴散らした。「後ろからビールびんが飛んでこなければいいな」と不安だった。 ようやく現場を離れ、管轄の本所警察署に向かった。 |

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