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三十歳で署長が務まるか p150-152
さて、一連の不祥事でキャリアの実態はすでに多くのメディアによって解き明かされているが、彼らの隠された実態は、たんにごく一部の強大な権力を持つエリート集団であるという程度のものではない。
昭和三十二二九五七)年からはじまった国家公務員上級職試験(現二困家公務員試験I種)は過去に多くのエリートを生みだし、世に送りだした。
そして、退職後は民間の優良企業への天下りもさることながら、政界に転出した者も多い。
現在、警察刷新会議の牽引役として活躍している後藤田正晴氏(昭和十四年内務省人省。元警察庁長官)を筆頭に鈴木貞敏氏(戦後キャリアとしてはじめての警察庁長官)、故人となった元警視総監の原文兵衛氏(昭和十一年内務省入省)も警察官僚OBである。
現職議員としては、内閣総理大臣を経験した元警察庁監察官の中曽根康弘氏(昭和十六年内務省に人省、終戦時は海軍主計将校)をはじめ、仏田智治氏、亀井静香氏、阿南一成氏、平沢勝栄氏もその面々である。
つまり警察キャリアと政界との癒着の歴史は古く、「不偏不党、公平中立」の精神は、それら警察官僚OB率いる強大な勢力によって歪められていると言っても言いすぎではない。
彼らが政争のために警察情報や組織をフルに活用していることは、これまで多くのジャーナリストが指摘しているが、かつて現場警察官だった私のような者には、それがどうしても許せないのだ。
警察組織は国民のために存在するのであって、特定の政洽勢力に加担してはいけないはずだ。
警察におけるキャリア制度の問題点は、教育界にたとえて考えるとわかりやすい。それはまるで文部官僚と現場の教職員が回居しているようなものなのだ。
キャリア警察官のスタートラインは警部補だが、教師でいうなら、それは教務主任クラスだろうか。新任教師がいきなり主任をまかされたら、いったいどんなことが起きるだろう。想像するだけで恐ろしい。
しかし、これはまだほんの序の口。キャリア警察官はその後「飛び級」を重ね、「実戦」経験もそこそこに、三十歳前後の若さで、約三百人の部下を持つ警察署長という職につく。警察署長といえば、校長である。
二十歳代前半でキャリア試験に合格したというだけで、親子ほど年のちがう、いわば人生の大先輩(副署長)を秘書のように従え、まわりの感情を無視した、やりたい放題が通用してしまうのだから、人間性が変わってしまうのも無理はない。
しかも、それすらわずか一年余の任期で卒業し、「つぎのステップ」に進んでいくのだから、志を立てて巡査から這い上がって署長の座を射止めた者とは、思い入れの面でも相当のちがいがある。
もしも三十歳前後の若さで、しかも実践経験の少ない校長だとしたら、はたして学校運営自体が成り立つだろうか。学校にはPTAがあり、教職員組合もある。地域との協力も重要だ。それより、現場で働く教員たちの理解が得られるだろうか。
それぞれにみずからの教育理念を持った叩きあげの教員が、はたしてキャリアという肩書を持つ若き校長の指示に従うだろうか。こんなことが通用するのは、
おそらく警察組織以外にはあり得ない。それがなぜ、警察社会では綿々とつづいてきたのだろう。
じつは警察機構の複雑な矛盾を考えるうえで、そこがいちばん重要なポイントなのである。
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