黒木昭雄の「たった一人の捜査本部」

小原勝幸を容疑者とするこの事件は、言いようのない不正義な社会構造を見せつける事になった。遺作小説『神様でも間違う』完成。

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キャリアの現場指揮が招いた大騒動 p160-162

 それは私がまだ警視庁本富士警察署に勤務していたころの苦々しい思い出である。

 平成七(一九九五)年にオウム真理教による一連の事件(小杉巡査長事件)発覚まで、警視庁本富士警察署の歴代署長には束京大学法学部を卒業し、警察庁志望者のなかで上級職試験成績トップの超一流のキャリア中のキャリアが就任するという不文律があった。

私がその栄えある本富士警察署に勤務していた当時の署長も、警察庁採用後わずか五、六年の若き警視だった。

 どんよりと曇った昭和五十年代のある夏の日のこと。

場所は上野警察署管内に隣接する池之端文化センター。われわれ本富士署員は署長以下約五十名態勢で現場に警備本部を設置し、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を支持する在日朝鮮人総聯合(朝鮮総連)の集会警備にあたっていた。

警備実施に先立ち署長から、「公安情報によれば、敵対する在日本韓国人居留民団(民団)が同集会場を襲撃する可能性があるという話があった。会場の外周を固め、民団員の進人を絶対に阻止し、違法行為があれば必ず検挙せよ」と訓示があった。

 当時、新米巡査だった私は、同文化センターの正面玄関で出入りする者のチェックを担当していた。朝からどんよりと曇っていた空は一段と黒さを増し、いまにも雨が降りだしそうな空模様となっていったが、それが「事件」の発端だった。

 当時の現場警察官は、警備実施にあたるときは必ずUWという無線機を携行し、各ポイント間および隊長間で密接な連絡を取り合うことになっていた。私のUWに「地下鉄湯島駅付近に複数の男女が蝟集(いしゅう)している」と、外周を警戒している触覚員から報告が入った。

 警備係の主任はただちに、この状況を全警戒員に連絡した。一瞬にして付近に緊張が漂ったが、若き署長は上空の黒い雲が気になったらしい。五分、十分と時間が過ぎていくうち、彼は腕時計に目をやりながら、「あいつらまだ来ないだろう、雲行きが径しいから、いまのうちにカッパを取りに行かせたらどうだ」と軽く言いだしたのだ。

 警備課長は困った顔をしながら、「わかりました」としか答えなかった。「バスで戻るんだろ、いいからまとめて行かせろ」という署長の言葉に逆らえなかったのは警備係長も同じである。ただちに三十名ほどが集められてバスに乗り、警察署にカッパを取りに戻った。

 警備が手薄になったこのときを、民団員は見逃さなかった。五十名を超える民団員が二手に分かれ、文化センターの正面玄関に立ちふさがるわれわれを押しつぶすようにして分厚いガラス戸を破り、集会会場になだれ込んだのだ。館内は怒号で騒然となった。あちらこちらで悲鳴が聞こえ、阿鼻叫喚、乱闘の場と化したのである。

 緊急転進で現場に戻った警察官と、応援に駆けつけた機勤隊員との協力で現場が鎮められたのは、発生から一時間も経過してからのことだった。右腕を負傷した私に、警備諜長が静かにこう言った。「朝鮮総連の集会に民団が襲撃したからわれわれも助かったが、もしこれが逆だったら、こんなものではすまなかっただろうな」

 この警備は相手を侮った失敗のお手本のようなものだった。まして彼らの突入時、最高責任者たる署長も現場を離れていたのだから、お話にならない。ちなみにこのキャリア署長は、その後に本部長として赴任したそれぞれの県警で不祥事が起きているが、いまだに失脚することなく生き残っている。

 

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