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捜査活動の裏側 黒木昭雄 この映画は、連続児童殺害事件を軸にそえたドラマだけに「踊る大捜査線」のような明るさと華やかさはない。しかし、それをも凌ぐ作者の思いが伝わってくる。国民が固唾を飲んで見守る捜査活動の裏側で醜悪な人間模様と、欲に蠢く警察官僚の野望が、もうひとつの見せ場になっているからだ。 警察の世界から転じてジャーナリストになった私は、これまで警察の不祥事にからむ事件を多く取材してきた。「栃木リンチ殺人事件」「神戸大学院生殺人事件」(いずれも草思社刊)などはその一例に過ぎないが、事件解決までに30時間も要した「愛知人質立てこもり事件」などは本作品をより現実に近づけるケースだといってもいい。 凶弾に倒れた警察官を5時間以上も置き去りにした行為は人道上、許されるべきではないし、責任を取るべき立場の司令塔不在の作戦が前途有望なSAT隊員を殉職させるという大失態を演じさせたのだ。この事件のかげには、ミスとは断じていえない警察官僚の責任逃れが存在することは誰の目にも明らかである。 舞台の裏側で行われているであろう責任のなすりあいを想像すると、本作品の指摘は、にくいほど見事だと言わざるを得ない。 キャリアとノンキャリの対立は古くから根深い。ことに警察庁に本籍を置く警察官僚はわずかの地方警察在任期間をまっとうすることに意義を見いだし、事件の解決はその経歴に花を添えるためにあるという者もいる。 一方、ノンキャリ警察官の中にも己の立身出世の糸口を得るために事件に取り組む者もいる。本作品の主人公巻島もキャリア官僚の県警刑事部長曾根に後押しされる形で「桜川健児君誘拐事件」の捜査指揮を担当することになった。しかし警視庁から捜査権を奪い取ったにもかかわらず、神奈川県警は犯人を取り逃がし、刑事部長から責任を追及された巻島は、記者会見で一身に批判をあびることになる。詳細は描かれていないが、巻島の「やるべきことはしたが、残念ながら結果がついてこなかった」この一言にキャリア対ノンキャリの構図がそのまま見て取れる場面である。 結果、巻島は足柄警察署に飛ばされるが、そこであるべき警察官の姿に立ち返った様が見ることができる。僻地の、まるで流刑の地ともいうべき足柄警察署の群を抜く検挙実績は、それまで深く悩み続けた巻島の成長の証だといってもいい。総じて「挙署一体」を合い言葉に組織捜査の推進を掲げる警察組織にあって、不遇を背負った巻島と部下たちのふれあいは、信頼関係の上に築かれた組織の理想のようにも見える。 だが、どこまでも抜け目がないのが警察官僚なのだ。巻島に詰め腹を切らせた刑事部長が県警本部長として舞い戻るや、「劇場型捜査」に巻島を担ぎ出す。本部長室での澱んだ密談は伏魔殿そのものだ。曾根と前警視総監の息子植草との陰湿な対立は互いに一物を持つ官僚であるがゆえの背筋を凍らせる描写だ。「魑魅魍魎」の世界とはまさにこのことではないか。一方、「劇場型捜査」は、すでに捜査手法の一つとして確立されているフシがある。たとえば「警察関係者」によると、などと出所をぼかしたリーク情報は、ときに社会や犯人へのかく乱を目的としたメッセージであることも多い。仮に、「情報操作」と「劇場型捜査」が同意語ならば、たとえ捜査員がテレビに出なくとも劇場型捜査はすでに行われていることになる。 作品のタイトル「犯人に告ぐ」とは幾多の仕掛けの後に、最後の切り札として犯人に投げかけた巻島の呼びかけだ。 気負わずにそして堂々とテレビカメラに向かう巻島の語り口調は、犯人にとって、まるで目の前に本人がいると錯覚させるに十分な演出である。犯人と向き合い、重くのしかかる巻島の言葉のキレと随所に仕掛けられた複線に私はうなった。 (警視庁出身、作家・ジャーナリスト) 警察庁と岩手県警の醜い駆け引き(罪のなすり合い!?) いま、警察庁と岩手県警の間で、ドラマに勝るとも劣らない醜悪の駆け引きが行われているに違いない。
結論をだすのは、もはや岩手県警ではない警察庁だ! 一刻も早く調査に乗り出し、一日も早く岩手県警を切り捨てなければ警察庁までもが批判の矢面に立つことになると理解すべきである。 |
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