黒木昭雄の「たった一人の捜査本部」

小原勝幸を容疑者とするこの事件は、言いようのない不正義な社会構造を見せつける事になった。遺作小説『神様でも間違う』完成。

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窃盗容疑で逮捕、服役させられた元公務員
「それでも私はやっていない」(週刊朝日2008.6.13号)
(第1部)

国家権力は、時に凶器となり、いともたやすく人の一生を狂わせる||。
2005年、ある窃盗容疑で逮捕された市役所職員は、一貫して無実を訴えた。一審で無罪を勝ち取ったものの、二審では懲役1年2カ月の逆転判決を受け、刑が確定した。男性は職を失い、家族と引き裂かれ、刑務所に服役。出所した今もやるせなさと怒りが募る。事件を検証すると、そこにはずさんな司法の実態があった。
ジャーナリスト・黒木昭雄+本誌取材班


 突然、身に覚えのない罪で、犯罪者の汚名を着せられる。救いとなるはずの裁判は往々にして真実を見いだせず、「冤罪」に加担してしまう。
 長野県内のある市役所に勤めていた柳澤広幸さん(38)は、今も苦悩の日が続く。
「どうしてこんなことになってしまったのか、今でもわかりません。悔しくて悔しくて、眠れない日もあります。私は何も罪を犯していないのに、1年間も刑務所に入れられていたのです。これまでずっと、警察は正義の味方だと思っていた。でも実際は全然違った。捜査はムチャクチャで、うそも平気でつく。検察や裁判所も、結局は真実を明らかにしてくれませんでした」

 柳澤さんの事件の概略をまとめておこう。
 05年5月10日夜、東京のJR新宿駅。柳澤さんはこの日、日帰りの出張から長野県内の自宅に戻るため、午後9時ちょうどに発車する新宿発松本行きの最終列車「特急あずさ35号」に乗ろうとしていた。
 柳澤さんは、たばこを吸わない同伴者のために、6号車の禁煙の指定席を2人分取った。いったん席に荷物を置いた後、下車してトイレに行き、そのついでにホームのキヨスクでお土産のシューマイを買った。
 席に戻る前に一服しようと、喫煙ができる自由席の5号車の通路でたばこを吸っていたが、人が多くなってきたため、窓側の「1A」席に座った。隣の「1B」席に黒いトートバッグが置いてあるのが目に入ったが、特に気に留めなかった。
 発車時刻が迫り、6号車に戻ろうと車内を移動し始めた、その時だった。
「財布をðm盗(と)ったろう」

 突然、背後から呼び止められた。振り返ると、茶髪で20歳くらいの男がルイ・ヴィトンの財布を持って立っていた。柳澤さんは、
「何かの間違いじゃないですか?」
 と言い返したが、男は財布を突きつけて詰め寄り、「表に出ろ」と柳澤さんにホームに出るよう迫った。

 柳澤さんと男がホームに降りると、どこからともなく現れた女が、
「私の財布盗っただろ。ふざけるなよ」
 と騒ぎ始めた。柳澤さんは電車に乗らせてほしいと必死に訴えたが、男女は「ふざけるな」とðm凄(すご)むばかり。その剣幕に恐怖を感じ、柳澤さんのほうから駅の事務室へと歩き出した。すると男はなぜか、柳澤さんの腕をつかんで止めようとしたのだ。
 なんとか事務室までたどり着いた柳澤さんに、男はなぜか携帯電話を手渡した。柳澤さんが通話口に耳を当てると、「変(・・)なこと(・・・)言うとぶっ殺すぞ」という低い男の声が聞こえてきたという。この・3人目の男õDは何者だったのか。柳澤さんは不審に感じたが、結局今もわからないままだ。
 

令状もないまま職場にガサ入れ

プロの警察官であれば、今回のケースがõCよくある手口õDだと気付くはずだ。私が警視庁にいた時も、最終列車に乗る人に言いがかりをつけ、発車時間が迫っている弱みにつけこんで金品を脅し取るという恐喝事件が、新宿駅や東京駅といった最終列車の始発駅で横行していたからだ。

 話を戻そう。この時駆けつけた鉄道警察隊の警察官は、男女の言い分を聞いた後、いとも簡単に柳澤さんの両手首に手錠をかけた。
 柳澤さんが振り返る。
「この時はもう何が何だかわからなくて、とにかく恐怖を感じました。仕事や家族がこれからどうなるのかという不安に押しつぶされてしまいそうでした」
 柳澤さんは、そのまま新宿警察署に連れて行かれた。取調室で聴取を受けるうちに、柳澤さんにもこのõC事件õDの輪郭がおぼろげながら見えてきた。
 ホームで大騒ぎした女は、6号車の1B席に置いてあった黒いバッグの持ち主だった。女は警察にこう供述したという。柳澤さんがそのバックの中から財布を盗み出し、持っていた紙袋の中に入れるのを駅のホームから見た||。

「私はその財布を見たことすらありませんでした。あの若い男女は、なぜ私を陥れようとしたのか。彼らのせいで、私の人生はメチャクチャにされてしまったのです」(柳澤さん)
 刻々と時間が進む中、柳澤さんの頭に浮かんでくるのは、妻と2人の息子の顔だった。柳澤さんは刑事に、
「家族が心配しているので連絡させてください」
 と何度も頭を下げたが、
「取り調べ中はダメだ」
 と、突っぱねられた。

 当時5歳と8歳だった2人の息子は、手の掛かる盛りだった。しかし突然、一家の大黒柱を担う父親が帰ってこられなくなった。柳澤さんの妻は振り返る。
「逮捕された日、女性の警察官から『窃盗容疑で取り調べがあるので、ご主人は今日は帰れません』という電話がありました。どうしていいかわからず、主人の両親と3人で怖くて震えていました。主人がいなくなると思うと、本当に不安でたまりませんでした」
 柳澤さんにとって何よりも耐えられなかったのは、家族と無理やり引き裂かれてしまったことだという。その怒りは、男女に対してだけでなく、むしろ警察や検察、裁判所に対して向けられている。
 言うまでもないことだが、人を逮捕し、起訴し、裁判にかける上では、一点の曇りもない捜査や立証が必要だ。しかし柳澤さんの事件をみると、「疑わしきは罰せず」という刑事司法の大原則がもはや失われたかとさえ思える。

 たとえば、警察の取り調べ一つをとってみても、不可解な点が多い。
 柳澤さんは、男と言い争いをした際に学生風の男性2人がじろじろと見ていたのを思い出した。柳澤さんは、「あずさ」に連絡をとってその男性たちに話を聞いてもらうよう、刑事に頼んだ。だが刑事は、
「お前の指図は受けない」 と、要求をðm一蹴(いっ・しゅう)した。
 柳澤さんは半べそになりながら懇願した。警察が重い腰を上げてJRに連絡をとったのは午後11時過ぎ。新宿駅を出てからすでに2時間がたっていた。JRから返ってきた答えは、
「その付近には、もう誰もいません」
 刑事がすぐ連絡を取っていてくれたら、と柳澤さんは悔やむ。事件を専門に扱う刑事課の警察官が、なぜこんな単純でかつ重要な客観的証拠をおさえることを怠ったのか、理解に苦しむばかりだ。

 さらに警察は、最初から柳澤さんを犯人だと決め付けていたフシがある。
「うそなんかついていません。ウソ発見器があるならいくらでもかけてください」
 柳澤さんはこう言って、必死に無罪を主張したが、なしのつぶてだった。
「あんなものはあてにならないんだよ」
 刑事は、まるで脅迫するようにこう続けたという。
「認めないと帰れないぞ。認めればすぐに家に帰してやるぞ」
 逮捕の翌日にはこんなこともあった。令状もとらないまま、柳澤さんが働く市役所に捜索に出向き、
「やましいことがないならいいじゃないか」
 と、柳澤さんの机の引き出しやロッカーまで開けて調べている。そこまでする必要性はどこにあるのか。
(第2部につづく)

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