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窃盗容疑で逮捕、服役させられた元公務員 「それでも私はやっていない」(週刊朝日2008.6.13号) (第2部) 被害者の財布の指紋を採取せず 送検後に取り調べをした区検の副検事に至っては、 「いつまでも否認していると、家宅捜索でも近所の聞き込みでもするぞ。今認めれば、やらないがな」 とまで口にした。実際に捜索も行われた。釈放や家宅捜索という言葉をぶら下げて、罪を認めるよう迫る警察や検察のやり口は、いわゆるõC人質司法õDそのものだ。いまだにこんなことをやっているとは、あきれるばかりだ。 一般人がこんな取り調べを受ければ、ðm憔忰(しょう・すい)しきるのは目に見えている。 「夜中の2時くらいまで調べられていたので、頭もだんだんぼーっとしてきて、『認めてしまって早く帰ろうか』と思ったこともありました」(柳澤さん) 折れそうな気持ちを支えたのは家族の存在だった。 「私は、自分の子供たちに『うそをついてはいけない』と教えてきた。それなのに、やってもいないことを認めて楽になるわけにはいかない。否認し続けることで死刑になるとするなら、それでもかまわないとさえ思うようになりました」 柳澤さんは、こうして最後まで否認を貫いた。そして事件から約1年3カ月が経過した06年8月9日、東京高裁は柳澤さんに懲役1年2カ月の実刑判決を宣告した。柳澤さんはすぐに上告したが、最高裁はそれを棄却。柳澤さんの実刑が確定した。 ただこのõC有罪õDは、けっしてすんなりと決まったわけではない。 一連の裁判で興味深いのは、無罪を命じた一審・東京簡裁の裁判官の判断である。少なくとも、この事件の検証に最も力を費やしたのは、この一審だと言っていいだろう。 実際のところ、一審判決と二審判決との間には、あまりに大きい事実認定のðm乖離(かい・り)がある。 まず一審では、検察側が説明した「公訴事実」、つまり柳澤さんが盗みを働いたという事実について、õC被害者õDの男女の証言以外に客観的な証拠はまったく出てこなかった。柳澤さんの取り調べを担当した刑事は証人尋問で、被害者の財布から指紋を採取したか、との問いにこう答えた。 「(指紋の採取は)しませんでした」 信じがたい話だ。 おそらくこういうことだろう。指紋の採取は試みたが、柳澤さんの指紋が検出されなかったのだ。警視庁に23年間勤務した私の経験上、バッグなど証拠品の指紋採取を怠る警察官など、絶対にいないと断言できる。要するに、警察は柳澤さんを有罪にするために、自分たちに不都合な証拠を出さなかったのだろう。 関係者が立ち会って犯罪の状況を確認する「実況見分」も、デタラメ極まりないものだった。 「ホームから柳澤さんが財布を盗むのを見た」 という女の供述に基づき、実際にホームから犯行が見えたのかどうかをチェックしたのだが、その前提となる女の身長や、女が見た場所から車両までの距離が、実際と違っていたのだ。 このあまりのデタラメぶりに、裁判官自らが新宿駅まで出向き、立ち会って実況見分をやり直した。そして、正しい身長や窓の高さを計算式にあてはめ、男女の証言が疑わしいことを導き出した。 本誌も柳沢さんの説明に基づいて状況を再現してみたが、女が立っていた位置からは、電車の壁に遮られて座席のバッグは見えず、財布を取る様子も確認することはできなかった。 裁判官は無罪判決を下した際、女の証言について、こう結論づけた。 「誤認の疑いがあり、これをそのまま信用するにはðm躊躇(ちゅう・ちょ)せざるをえない」 簡裁の裁判官が捜査手法を批判 男の証言については、
「虚偽の疑いすらある」 とした。 これだけでも驚きだが、さらに異例なのは、裁判官が警察と検察の捜査手法について言及したことだ。 「逮捕時における被害者側と被疑者側の供述内容が根本的に食い違う場合には、より客観的な証拠を収集するための裏付け捜査が求められる」 捜査の基本が欠けていると言わんばかりに、裁判官はこう続けた。 「捜査機関においては、直ちに利害関係のない新たな目撃者を確保する、早期に現場検証を行う、その場合には本件車両内まで行うことはもちろんのこと、被害者の記憶が鮮明なうちに在中品などが再現されたトートバッグを使用するなど、より適切な捜査手法が望まれる」 当然のことだろう。 そして判決を言い渡す際、裁判官は柳澤さんに向かって涙ながらに言った。 「これまで大変でしたね。名誉を回復するまでがんばってください」 この時の心境を、柳澤さんはこう振り返る。 「やっと自分の無罪を認めてくれた。ただただうれしかった」 だが、その喜びもつかの間だった。二審の東京高裁では、控訴した検察側にめぼしい新証拠はなかった。それにもかかわらず、裁判長は一審で信用性が疑われた男女の供述を、 「それぞれの言い分の基本的部分は終始一貫している」 「内容自体に不審とすべき点は看取されず、相互に補完し合っているから、信用性に格別の疑問は感じない」 として、ほぼ全面的に認めたのだ。警察の実況見分についても、 「(男女の供述を)裏付けている」 と評価した。そして、一審で指摘された捜査手法の問題点については、触れることすらなかったのである。 冤罪事件に詳しい、九州大学名誉教授で弁護士の大出良知・東京経済大学現代法学部教授(刑法)はこう話す。 「日本の刑事裁判では、起訴された事件のうち約99・9%が有罪となっています。さらに一審の無罪も控訴審で逆転されるケースも少なくない。これは、裁判所が最初から有罪だという予断を持っていることを示しています。そもそも裁判というのは推定無罪の前提で、検察側が出す客観的な証拠をもって、有罪かどうかを判断するのがルール。客観的な証拠が十分でなく、有罪か無罪か判断がつかない場合は無罪であるべきなのです」 やはり裁判がおかしくなっているのか、このところ冤罪事件が相次いでいる。07年1月、誤認逮捕のまま婦女暴行などの罪で3年間も服役した男性に対し、富山県警が無実を認め謝罪した。鹿児島県議選をめぐる選挙違反事件では、07年2月、元県議ら12人の被告全員の無罪が確定している。 そして今回の事件は、柳澤さんの人生を一変させた。 約15年勤めてきた市役所を辞めさせられた。裁判費用などをまかなうために、両親は住んでいた自宅を売りに出した。そして、1年2カ月の刑期を経て出所。周囲の支えもあり、今は社会福祉法人で事務の仕事をしている。今後は、再審請求をすることも考えているという。 「自分の調書や判決文を何度客観的に読んでも、自分が罪を犯したとは判断できない。警察官も検察官も裁判官も、優秀で頭がいいはずなのに、なぜこんな簡単なことがわからないのか不思議でならないのです」 また、柳澤さんの妻はこう語る。 「父親がいない間、子どもには寂しい思いをさせました。だけど、お父さんは悪くないと子どもながらに悟っていたようです。私も子どもも無実を信じています。それが証明されて、一日でも早く元の生活に戻れればいい」 痴漢冤罪がつくられていく過程を克明に描いた映画「それでもボクはやってない」(周防正行監督)で、逮捕された主人公の弁護人役の瀬戸朝香が、こんなセリフを言う場面がある。 「物証も自白もないのに、被害者が供述しただけで起訴できるわけない」 しかしながら、警察や検察のõC有罪ありきõDの捜査によって、主人公は起訴されてしまう。本人の自白はもちろん、被害者の女性に触ったことを示す指紋や、第三者の目撃証言などの客観的な証拠が何もないまま、裁判では有罪判決が下るという衝撃的な結末が待っている。まるで、柳澤さんの事件を彷彿とさせる。 疑われたら最後、という恐ろしい現実。この事件が私たちに問いかけるものは、とてつもなく重い。 |
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「警察一家」と言う言葉が「組織防衛」の言い換えとなってしまったのは何時からなのでしょうか?
保身に走り、心無い市民になめられ、単に当務を生存しているに過ぎない警察官が増殖していると感じるのは私の錯覚でしょうか?
官は民の上に立つので誤りなど有る訳が無いですし、当然誤りが有ってもならないのですよね。
私は「キャリア制度が警察官の二極化を生み、地方組は事勿れ主義に走っている」との考えを持っています。
2009/8/11(火) 午前 0:22
ひろ団員さん
団員ひろさん かな?
まぁいいや。(失礼)
黒木昭雄です。
みなさんにもお伝えします。
今日は特に時間がなくてろくなコメントしかできずにすみませんでした。先ほども書いたとおり明日から数日間関西に行くのでバタバタなんです。
お許し下さい。
関西は田野畑村よりもネット環境は良いはず。
逐次チェックするし、できるだけコメントします。
なので、きょうは色々な事があったけど
益々頑張りましょう。
それじゃお休みなさい。
黒木昭雄
2009/8/11(火) 午前 0:37