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刷り込み教育が本格化する p168-170
初任科教養課程では警察官として必要な法律や条例、規則など各部門にわたって学習することになるが、それ以外にも、現場の警察官にとって必要な実務教養も加わる。術科訓練と呼ばれる柔道、剣道、さらに拳銃射撃は必修科目で、卒業までに柔剣道いずれかの初段をとらなければいけないことになっている。ひととおりの訓練が終わると、実務修習と呼ばれる職場実習がおこなわれる。
じつは、このころから基本的な警察官の心得とでも言うべき刷り込み教育が本格化する。実務修習では「本物の警察官」と同じスタイルで第一線の現場に立つが、拳銃の弾倉には実弾は込められていない。指導巡査と呼ばれる警察官について交番勤務やパトカー勤務をこなし、実務を体験するのだ。
私が壮絶な死体にはじめて出会ったのは、小金井警察署に一ヶ月ほど実務修習で勤務したときのことだった。国分寺駅前交番で勤務していると、突然一一〇番通報が入った。先輩から、「マグロ(轢断された遺体)だ、行くぞ」と声をかけられ、交番を飛びだした。鉄道事故で死者が出たというのである。
現場に着くと、駅員が車輪のすきまに深く食い込んだ肉片を取り除き、電車を移動するところだった。夜間のため、暗くて見づらい。懐中電灯で照らすと、人の手首が見える。「ギョッ」として体が固まった。「段ボール箱もってこい」と怒鳴ったのは指導巡査である。「なにボサーッとしてるの、早くこれもっていきなさい」とホームの売店のおばさんに言われた。胴体は真っ二つで、遺体には頭がない。「早く探せ、つぎの電車が来るぞ」。もちろん電車は全線ストップしているのだが、線路上で作業にあたっている新米に恐怖を感じさせようとしたのだ。
段ボール箱を抱えてひとりの先輩がホームの下から出てきた。「頭が見つかったよ、それより早く五体を確認しよう」。肉片がつぎっぎに段ボール箱に入れられてホームに並んだ。「学生、全部あるか確認しろ!」と刑事が私に怒鳴る。事件現場は待ったなしであることを痛切に感じながら、被害女性の肉片を数えた。わずか一ヶ月間の実務修習だったが、経験は何にも勝ると痛感した。
実務修習を終えて警察学校に戻ると、卒業までの期間は実務修習での経験を生かした実戦的な科目がカリキュラムに組まれ、われわれ学生も、実際の警察現場を意識しながら勉強することになる。
一方、術科訓練は日に日に厳しさを増していく。教官の□癖は「一人で三人の相手と戦える体力をつくれ」である。ヘルメットをかぶり、編上靴をはく。濃紺の出動服の下には防護衣を着装し、防炎マフラーで身を包む。ポケットには消火器が収められ、ジュラルミン製の大盾を携行して走らされる。
それは真夏の炎天下の訓練だった。ヘルメットには防石用のライナーがついている。助教は「ライナー下ろせ」と叫ぶ。部隊活動は指揮官の命令が絶対である。またたく間に息苦しくなる。「なぜ俺はこんなことまでしなければならないのか」そんな思いが頭をよぎるが、「この苦労は自分一人ではない。多くの同期生が同じ条件のなかで歯を食いしばって耐えているのだ」そう自分に言い聞かせるしかない。そして、疲労が極限に達するころ、まさに「上」への絶対服従が体に染みつく仕組みになっているのである。
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