黒木昭雄の「たった一人の捜査本部」

小原勝幸を容疑者とするこの事件は、言いようのない不正義な社会構造を見せつける事になった。遺作小説『神様でも間違う』完成。

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 頭デッカチのモヤシ警察官(1) p185-187
 
 
 三十代の警部−たしかに彼らは階級上は「上」かもしれない。しかし、現場でどれだけの仕事をこなしてきたかは、はなはだ疑問だ。
 
「おれは若いころ○○の事件を手がけ、これだけの仕事をしてきたんだ」と武勇伝を披露する署長もいるが、下の者はさめた気持ちで聞き流す。実際、猛勉強のはてに昇任を繰り返しながら階級というけわしい階段をのぼりつめてきた彼らが、一ヵ所(一所属)にとどまって、「そんな仕事ができるはずがない」というのが、警察を知る者の見方である。
 
 警察内部の階級は現場の警察業務とは無縁である。
 
階級が上だから仕事ができるとはかぎらない。バブル崩壊後の公務員試験はどこも高い競争倍率になっている。警察官の採用試験倍率も例外ではなく、ペーパーテストで優秀と認められたものだけが合格するという異常な事態になっている。
 
 私が新米のころはまれだった東京六大学をはじめとする有名大学卒業の巡査も、いまではけっして珍しくない。警察官の学力が向上するのはいいが、体力的に見劣りするのでは一般市民にとって心もとない。本当に国民が求めているのは、有名大学を卒業し、将来偉くなることだけを夢見る警察官ではなく、「警察官になって、本当に世の中のために働きたいんだ」と熱望する若者ではなかろうか。
 
 警視庁は、この不況時に採用された警察官こそ優秀であると評価するが、反面、昔にくらべていちじるしく衰えを見せている部分がある。それは強靭な体力と見た目の逞しさだ。
 
 本当に警察組織が国民の安全を願っているなら、まず採用試験制度を見直し、ペーパーテスト重視の試験制度を廃して、人間重視の採用試験制度に変えなければいけない。
 
現在のように「試験成績上位者が優秀である」という、明らかに学力成績に偏った採用試験制度をつづけていけば、いずれ警察官は見た目も貧弱なモヤシぞろいになってしまうだろう。
 
もしも、やる気重視、体力重視の試験制度に改めるなら、新たに警察官を志望する若者にとって、この試験制度は大きな見方になるはずだ。これまでの試験制度では合格できなかった人でも、第一次試験が面接試験ならば、ペーパーテストだけで生きてきたようなモヤシは当然、落とされるからである。
 
 
 
 
 
 
 接待・ゴマすりがあたりまえの選考・選抜試験(2) p182-183
 
 たとえ新米警察官でも卒配後は地域係の交番勤務員となって激務に明け暮れることになる。地域課の動務はあらゆる一一〇番通報に対して迅速に対応しなくてはならない。そのうえ、「目標」という名の交通違反取り締まりノルマや巡回連絡の実施ノルマ、さらには地域課の柱でもある職務質問による検挙活動は毎日数字に表れるから、経験のない新米警察官にとってはひじょうにつらい毎日だ。
 
 ひとり立ちするまでのあいだは、指導巡査と呼ばれる先輩に付き添われて、一つひとつのハードルを越えていくが、それがいつまでもつづくわけではない。警察官として生き抜いていくためには、早く自立し、あらゆる警察事象に対応できる「その道のプロ」にならなくてはいけないのである。しかし、新米警察官は古参の先輩を見て、こう考えるのだ。「このまま交香勤務に埋もれるのは嫌だ。勉強しよう。そして旱く偉くなって命令する立場になろう……」
 
 そうなると、地道に現場経験を積むことがばからしくなる。そんな時間があったら参考書のひとつも読んだほうがいい。そのせいか「俺は子供のころから警察官になりたかったんだ。だからがんばって勉強したんだ」という警察官適格者が、最近ひじょうに少なくなってきたように思う。
 
 
 
 
 
 接待・ゴマすりがあたりまえの選考・選抜試験(1) p182-183
 
 さて、こうしたお勉強一辺倒の一般昇任試験とは別に、世間ではあまり知られていないが、選考(推薦)試験、選抜試験制度というものがある。それは毎年おこなわれる一般昇任試験と異なり、各所属(警察署)単位に一定の基準を満たした「優秀な警察官」を選出し、特別枠として合格させようというものだ。
 
 選考試験というのは、巡査部長であれば四十歳以上で、実務経験十三年以上の者、警部補であれば五十歳以上で、巡査部長を五年以上勤めた者で、いずれも勤務成績が優良と認められた者が対象となる。これに対して選抜試験では、巡査を三年以上勤め、勤務成績が優良で、一階級上の階級に必要な能力を有するものと認められる者が対象となる。ひらたく言えば、選考試験は年功序列的であるのに対して、選抜試験は年齢が若くても優秀で実績があればチャンスを与えられる。
 
だから、選抜試験に受かるのは大変なことなのだ。
 
 
 これらの制度は、多忙で昇任試験勉強に着手できず、なかなか昇進できない「優秀な現場警察官」にも出世のチヤンスを与えようという発想から生まれたものだ。「現場のプロ」たちが現場で培った経験を階級昇任にも生かすことで、部下や同僚たちに剌激を与えることができる。その結果、警察組織を活性化させ、組織の骨組みを強くし、事件に強い体質をつくりあげることができるというわけだ。
 
 こうした制度の特殊性から、人事課が一手に握っている権限の一部を各所属(警察署)の「昇任適任者選考委員会」に委譲した。選考委員会の会長は警察署長、委員は副署長および課長である。各所属とも年間およそ十名程度の優秀者を選出し、彼らに受験の機会を与える。最終的に合格するのは選出された者のおよそ半分程度だ。
 
 ここでもまた、警察社会がお得意とするホンネとタテマエの使い分けが発揮される。タテマエ上、選考委員によって「昇任適任者」に選ばれた者はすべて平等ということになっているが、実際には選任された段階で序列がつけられていて、あらかじめ合格者も決まっているのである。残りの約半数は、いかにも厳正に試験をして選抜したということを装うためのダミーにすぎない。
 
 当初、この制度は現場で苦労をしている警察官にとって朗報だった。なにしろ日ごろの努力と苦労がまさに階級として反映されるのだから、励みも出ようというものだ。しかし、やがてこの画期的な制度も少しずつ形骸化し、公的であるはずの試験制度そのものが昇任適任者選考委員会の私物と化し、適正な選考がおこなわれなくなっていった。
 
 貢ぎ物や「相談」という名の接待、異常なまでのゴマすりが日常化し、あげくのはてに、それを要求する不届き者すら出る始末となった。その結果、真に実力ある者にとって、この制度の存在そのものが不満を影積させる原因となっていった。
 
 
 
 
警部補と警部のあいだの厚い壁(3) p177-182
 
 
 警部昇任試験の受験資格は、高卒大卒ともに警部補として四年以上の実務経験が必要とされている。したがって最短であれば「三十歳前後の警部」が誕生するわけだが、前にも述べたように、そんな警察官は滅多にいない。しかし、このあたりまでくれば、出世をめざす若者にとって一応の安心感が生まれる
 
 なぜなら、警部補当時のように、実務能力がないからといって、部下からの突きあげをくらうことも少なくなるからだ。つまり、警部という職制が現業部門から管理部門に移行し、実務能力よりも管理能力が要求されるようになるということである。くわえて、ここまでくれば、将来ある若き警部として組織上もてはやされ、特別扱いを受ける立場になるから、下々にとって目くじらを立てる相手ではなくなるのだ。
 
 警部昇任試験はそれまでとは試験の様式が一変する。
 
ショートアンサー形式の試験はなくなり、もっぱら管理論文(部下を管理するための能力を問う論文)と面接試験になる。したがって必要とされるのは知識ではなく、官僚的な政治力であり、警部になろうとする者は必然的に組織の派閥構成に敏感になる。つきつめれば、将来有望な誰(キャリア)にぶら下がるかが以後の出世に影響するのだ。
 
 むろん、組織も彼らに配慮をする。警察署の課長代理の職を転々とする、通称「人工衛星」と呼ばれる定年前の警部と比較すれば、その扱いは歴然としている。「若き警部」には本部勤務が約束され、管理職試験(警部が受ける管理職への昇格のための試験。同じ警部でもこの試験に合格しなぃと警視への道は開けなぃ)合格への道が近づき、「人工衛星」とはかけ離れた待遇を受けることができる。
 
 以上の一般昇任試験は主に法律問題を中心としたペーパーテストだ。だから、試験が近くなると警らをさぼって街路灯の下で参考書を読んだり、トイレに逃げ込んで問題集をこなしたりするようになる。
 
 警察関連の業界誌には、「楽して合格! 昇任試験マル秘対策」などという企画が組まれ、一人前の警察官がまるで予備校生のようにみずからの合格体験を語っているというありさまだ。試験直前は、夜中までお勉強。翌日は、寝不足で勤務。とても一般の国民に読ませられるシロモノではない。
 
 
 
 
 
警部補と警部のあいだの厚い壁(2) p177-182
 
 
 
 巡査部長のつぎは警部補である。
 
大卒者の受験資格は現階級(巡査部長)の実務経験が一年、高卒者は実務経験が三年必要となる。
 
したがってともに一回目の試験で合格したとすると、なんと二十六歳前後の警部補が誕生することになる。私は警察の階級システムをよく知っているから「なんと」と表現したが、一般の人にはわかりづらいかもしれない。
 
とにかく「二十六歳の警部補」というのは、スゴイことなのだ。私の二十三年間の経験でも、そんな警察官に出会っていない。仮にいたとしても、そうした実務経験の浅い幹部が増えるのはひじょうに恐ろしいことになる。そこで、試験だけで出世した「優秀な警察官」がどうなるかについて話をしよう。
 
 巡査部長試験に合格すると関東管区警察学校に入校し、初級幹部として必要な実務および管理教養(私生活をふくむ部下の実態の把握)を受ける。その後、昇任配置という形式で新たな勤務先が与えられ、そこで交番の新任巡査部長(主任)として勤務する。
 
 交番勤務といえば、直接市民に接する場である。したがって、事件、事故の初動的な処理取り扱い件数は交番勤務員が圧倒的に多くなる。巡査部長は、そうした交番のなかで責任者としての実務能力と度胸、人柄が部下から求められる。しかし、うら若い新任巡査同然の巡査部長に、いったい何が求められるのか。
 
 ケンカの仲裁や酔っぱらいの取り扱いは日常茶飯事である。困りごとの相談から被害臨場、部下の実績管理など、現場の仕事は机上の試験に合格し、学校で学んだ程度ですべてをこなせるほど甘くはない。つまり警察現場で必要なのは、階級ではなく、まさしく経験と実力、そして勘である。
 
 警部補についてもまったく同じことが言える。警部袖は「係長」としての職を担うため、責任はさらに大きく、いわばプレーイングマネージャーとして、みずからも実績をあげなければならない。さらにりリーダーシップをとって部下をまとめる能力も必要だ。これまた経験のない者がその立場を維持するのはきわめて苦しい。
 
 下手を打って古参の部下にやり込められることもある。その場しのぎに「すいません」を連発する「上司」も多い。しかし、「すいません」で済めばいいが、そうもいかないことが少なくない。だから、本来、現場の責任者として対応する立場の警部補が、その場から逃げだしたりすることもある。
 
 勢いに乗って昇進をつづければ、将来、警察署長の椅子も夢ではないが、道に迷って挫折すると、「元若きエリート」という看板が負担となって自滅してしまうケースもある。
 
 過去の「若き幹部」を見ると、このあたりが上級幹部への正念場のようである。
 
 
 
 

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