黒木昭雄の「たった一人の捜査本部」

小原勝幸を容疑者とするこの事件は、言いようのない不正義な社会構造を見せつける事になった。遺作小説『神様でも間違う』完成。

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事件ダイジェスト
岩手17歳女性殺害事件【1】
 
 
「ネットラジオで生放送vol.4」
 前回に続き、本日(16日)午後8時から
「黒木懇談会」を行います。
 
 又、午後2時から放送される
「ザ・スクープスペシャル」の前提資料として、
本ダイジェストを一読して頂けると幸いです。
 
 
本日放送のUst[ユーストリーム]
 
ネットラジオはこちら。
 
夜8時から同時放送です。
 
          
      
【岩手県警が発表した事件概要】
※項目にリンクを張るなどして、随時わかりやすく加筆します。

2008年7月1日午後4時過ぎ、岩手県川井村の松草沢で宮城県若柳出身の無職、佐藤梢さん(当時17歳)の遺体が発見された。


 犯人は、梢さんの知人で岩手県下閉伊郡田野畑村出身の無職、小原勝幸(当時28歳)。小原は、6月28日深夜梢さんを誘い出し、田野畑村に戻る途中の車内で梢さんの首を絞めて殺害、遺体を松草沢に捨てた。更に小原は、遺体が発見された7月1日午後9時頃、田野畑村の県道で自損事故を起こし、翌朝、鵜の巣断崖に所持品を遺留、投身自殺を偽装して逃走。

岩手県警宮古署捜査本部は7月29日、梢さん殺害容疑で逮捕状を取る一方、小原勝幸を全国に指名手配。更に同年1030日、警察庁は小原勝幸を警察庁指定特別重要指名手配被疑者に指定、翌111日、小原勝幸の検挙に結びつく情報の提供者に対して、上限100万円の捜査特別報奨金を支払うことを公告した。



大多数の国民は、警察発表をまる写しにしたマスコミ報道でしかこの事件を知らない。ところが――――
 
 
 
【「たった一人の捜査本部」調査した事件概要】
すべての事件関係者から聞き取った情報を総合的にまとめました。

広域地図)

200610月頃、小原勝幸は三陸沿岸部に住むZ(30代の男性)の紹介で埼玉県内のSなる人物の手下として型枠大工の仕事に就いた。ところが小原は、数日で仕事場から逃げ出し、Zから逃れるように各地を転々としいてた。
 
2007年2月、小原は、同郷の友人下山ヒトシ(仮名)と二人連れの女子高生をナンパ。女子高生は、同姓同名の佐藤梢(当時17歳)だった
梢Aと意気投合した小原は梢Aを連れまわすようになり、ほどなくして梢Aは高校を退学。二人は下山のアパートに転がり込むなどしたあと、車上生活をしながら転々と暮らした。
一方、梢Bは、下山とは23度会っただけで親密な交際にはならなかった。

2人の梢 関係図 「絵図 ナンパ」)


20075月1日仕事先を郷里に求めた小原は、「もう怒ってない」と電話で答えるZの言葉を信じ、末弟を伴ってZの自宅に詫びに行った。この時梢AはZの家の前に止めた車の中で待機。そして事件が起こる。
 
小原が手土産の日本酒を差し出すと、豹変したZが、隠し持っていた日本刀の切っ先を小原に咥えさせて言った「迷惑料として120万円出せ」そして、「指を置いていけ」と脅し、実際に、左の小指の上に包丁を当てさせると、Zは、クリスタル製の灰皿を包丁の背の上にコツンコツンと落とし、出血した。そして「保証人を立てろ」と迫ると、小原は、外で待つ佐藤梢Aの名前を勝手に書いてその場から解放された。
だが小原は、それでも金を支払うことなく梢Aと逃亡生活を続け、Zの怒りはより膨らんだ。



Zの追跡は執拗だった
Zは、ウォンテッドなる携帯サイトに「この男、金を払わずに逃げている。見つけたら連絡下さい」などと、「yakuza」のidで書き込み、顔写真まで掲載した。そして、片っ端から小原情報を集める一方、「見つけたら必ず殺してやる。家に火をつける」などと言って回った。
Z曰く「要求金額は10万円。頭をたたいただけ。書き込みは認めるが自分で消した」
 
恐喝事件から1年後の2008年5月のある日、携帯サイトでZの追跡を知った小原は63日、梢Aと二人で岩手県警久慈署を訪ね、Zを被疑者とする恐喝の被害届けを提出。梢Aも刑事に事情を聴かれた。その後、事件現場に居合わせた弟も久慈署に呼び出され状況を聞かれ、当時の様子を図面にして提出。久慈署の捜査はこうして開始された。
 
そして、梢Bが小原に連れ出された2008628当日
日常的な小原の暴力に耐えかねた梢Aは、この日昼前頃、盛岡競馬場近くから宮城県の自宅に逃げ帰った。
更に昼過ぎ、「被害届けを取り下げるから戻ってきてくれ」とする連絡が梢Aの携帯に着信するも梢Aは無視した。しかし執拗な連絡に耐えかねた梢Aは、帰宅次第、家電から小原の携帯にワンギリすると約束。梢Aは帰宅直後の午後9時過ぎにワンギリを実行した。
 
10時頃、梢Aの携帯に見知らぬ番号から着信。無視すると、今度は自宅の電話が鳴った。相手は梢Bだった。このとき携帯メアドを交換した二人は、他愛のない話をメールでやり取りし、午前0時半ごろ梢Bからのメールは途絶えた。
 
一方小原は、629日午前7時頃、梢Aの携帯に右手の負傷を見せるかのような写真を送り付け、午前9時頃、田野畑村の村営住宅に暮らす次男宅に一人で現れた。小原の車の中に梢Bの姿はなかった。


 
この日の午後7時過ぎ、次男夫婦に付き添われた小原は、岩泉町の病院で右手の怪我について診察を受けた。医師は、「握ることも開くこともできない機能障害だった」と言う。

 
そして小原は、6月30日と7月1日の二日間の日中を旧友の山田(仮名)宅で過ごし、30日の午後9時過ぎ、被害届け取り下げの相談を受けた小原の父が、久慈署の千葉警部補に被害届けの取り下げを求めた。だが、、「あと2〜3日で犯人を逮捕する。家族の安全は守る」と押し切られ被害届けの取り下げを断念。
被害者の死亡推定日時は、この6月30日から翌日の7月1だった。


71日午後4時過ぎ、梢Bの遺体が田野畑村から片道約2時間の川井村で発見された。
そして午後9時過ぎ、自損事故を起こした小原は、その日の夜、両親に匿われるように実家の居間で横になった。ところが、翌朝、すきを見て自宅から逃げ出した小原は、親戚に頼み鵜の巣断崖の手前約1.5キロのところまで送ってもらい降車。その後、旧友の山田を鵜の巣断崖に呼び出し自殺をほのめかすも山田は帰宅。このとき小原は千葉刑事と携帯で話していたと山田はいうが、小原は、午前10時半ごろの弟への電話を最後に忽然と姿を消した。
山田は小原勝幸を見た最後の人物となった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
小原が残した遺留品は翌73日午後3時半ごろ、たまたま鵜の巣断崖を清掃していた役場職員に発見された。だが、この経緯はどこにも報じられていない。殺人の容疑者が逃走したら、まっ先に報じるのが普通だ。情報を集め二次被害を防ぐためだ。
だが、小原の捜索は翌日に回され、警察犬を使わず、消防団への捜索要請もなかった。当然検問などもなく、陸上の捜索は警察官15人程度だった。

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