黒木昭雄の「たった一人の捜査本部」

小原勝幸を容疑者とするこの事件は、言いようのない不正義な社会構造を見せつける事になった。遺作小説『神様でも間違う』完成。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

6 長野の警察官拳銃不正使用事件

熱血警官はなぜ、免職になったのか

私の拳銃使用経験-2


 p-113


それは目の前の暴力団員風の男が怖いという恐怖心から生じたものではなく、上司になんと言って報告しようかという意味である。

 しかし、一度抜いた拳銃を事態が収まらぬまま納めるわけにはいかない。私は努めて冷静に「窓をあけろ、あけなければ撃つぞ」と言った記憶がある。のちに、その文言は記録から削除されたが、とにかく男はすぐに窓をあけた。

 もちろん本当に撃とうなどという気はなかった。ただし「脅し」の気持ちがなかったというとウソになる。しかしそれは、報告の段になれば「警告」という表現に変身するのである。

男は取り調べの段階で「オマワリに銃□を向けられた」と供述した。故意に銃□を向けつづけたおぼえはないが、わずかでも男に銃口が向いたのは事実だった。だから、結果的に男が驚いて窓をあけたというわけだ。

 しばらくたって、「俺は何のために拳銃を抜いたのか」と私は思い返した。拳銃をその用法に定められたとおりに使おうと思ったわけではない。とっさに感じたことは、窓ガラスを叩き割ることだけだった。しかし銃口を男に向けたことも事実である。これは法律上、立派な拳銃使用に当たるとの結論に達した。

 話は現場にもどるが、周囲は黒山の人だかりだった。警察官が拳銃を抜いて暴力団員風の男とトラブっているのだから誰も見逃すはずがない。これを意識してか、男は「オマワリがよー拳銃抜いていいのかよー」と大声でやじ馬をあおりはじめた。この時間帯の盛り場は酔っ払いだらけだからタチが悪い。

早いうちにケリをつけなければ収拾がつかなくなると判断し、衆人環視のもと、かまわず両手錠をかけて逮捕した。「いったい何の容疑だよ」と男は怒鳴る。「バカヤロー、公務執行妨害に決まってるだろがー、さっきから言ってるだろバカ」と負けじと大声で叫んだ。

 このような状況で警察官が控えめにしていると、やじ馬のほうが手に負えなくなる場合が多いから、やじ馬に対しても「そりゃあ、しょうがねえや」と印象づけることを忘れてはいけないのだ。もし彼らが暴徒と化したら、それこそ手に負えない。機動隊が必要になる。それも警察官が原因では笑えた話ではない。原因では笑えた話ではない。

 このようなときは引き際がむずかしい。
男を「犯人として」パトカーに乗せるときも、警察官は堂々としていなくてはいけない。下手に慌てたり、自信なさそうにすると、ギャラリーを刺激することになる。下手をするとパトカーがボロボロにされることもある。

 サイレンを鳴らすか? と迷ったが、「行くぞー」と言ってとりまきのギャラリーを蹴散らした。「後ろからビールびんが飛んでこなければいいな」と不安だった。
 ようやく現場を離れ、管轄の本所警察署に向かった。


6 長野の警察官拳銃不正使用事件

熱血警官はなぜ、免職になったのか

私の拳銃使用経験-1


 p109-113


 実際に拳銃を使用した経験のあるジャーナリストはおそらく私以外にいないのではないか。
考えてみれば「警察官上がり」のジャーナリストはきわめて少ないのだから、あたりまえのことである。そこで、私が経験した「拳銃使用事件」について書くことにする。

 それは、私が警視庁第二自動車警ら隊に勤務していた当時のことである。第二自動車警ら隊は隊本部を池袋警察署の八階に構え、警視庁管内の第四方面(新宿警察署など九警察署)、第五方面(池袋警察署など十六警察署)、第六方面(上野警察署など十警察署)、第七方面(深川警察署など九警察署)区内を担当地域としていた。

主に暴力団関係者に対する職務質問を通じ、数多くの拳銃、薬物事件を摘発するなど、輝かしい実績を誇る部署である。

 事件の舞台となったのは東京都墨田区の錦糸町である。この周辺はJR総武線をはさみ、暴力団N組とH会が勢力を二分する覚醒剤汚染地帯だった。私は獲物(暴カ団員)を求めて相棒と深川分駐所を出発した。

 午後十一時すぎ、京葉道路と四つ目通りが交差する錦糸町交差点で、われわれのパトカーを意識するようにして突然左に曲がった白っぽい乗用車を見つけた。

ただちに追尾を開始した。そのまま京葉道路を西に走り蔵前警察署管内にさしかかったころ、追尾に気がついたのだろうか、目前の不審車輛は業を煮やしたように突然スピードをあげて逃走する態勢に入った。

動物的な習性なのか、相手が逃げれば当然、こちらも追う。サイレンをガンガン鳴らし、相棒が「このヤロウ止まれ」とマイクで怒鳴る。ハンドルを握る私にもプロの意地がある、腹の中で「絶対に逃がさないぞ」と叫んでいた。


 そして追跡劇がはじまった。
わずか二分程度のことだったが、私には相当な時間に感じた。
不審車輛は手配を恐れてか東に進路を変えた。結局はもとの錦糸町である。

丸井の裏を抜けて場外馬券売場前を通り、飲食店街を左に曲がったところでタクシーの客待ち渋滞にはまった。「しめしめ、バカヤロウめ」と思いつつ、相手が逃げださないうちにと、急いでパトカーから降りる。

 私は不審車輛の右側運転席から「この野郎さんざん手数をかけやがって、早く降りてこい」と怒鳴った。運転席にはおっかない顔をした五十歳ぐらいの男がいる。どこから見てもこの男こそマルB顔(暴力団風)」だ。

私は、気持ちを入れ替えてもう一度言った。
「あのですね、ふざけた走り方しないでくださーい」私の優しい誘いにのって車から降りてくるかと思ったら、クラクションを鳴らして前のタクシーに「どけ」と脅す。「コイツまだ逃げる気だな」と、その瞬間思った。

 見ると、運転席の窓に二十センチぐらいのすきまがある。
「ヨシ、ここから手を入れてエンジンのキーを抜いてやれ」と、とっさに左手を入れると、男も同じことを考えたらしく、パワーウインドウのスイッチをオンにしたため、奥深く入れていた私の左腕の上腕部がガラスにはさまれる格好になった。「痛い痛い、離してくれっ」と冗談ぽく言ったが、それでも男はクラクションを鳴らしつづける。

 「マズイ。このまま走られたら、引きずられてエライことになるぞ」そう思ったとき、とっさにフォルスターから拳銃を抜いていた。頭の中を「どうしよう。大変なことになった」という言葉にもならない感情が通りすぎていった。


6 長野の警察官拳銃不正使用事件

熱血警官はなぜ、免職になったのか

拳銃所持および拳銃使用の法的根拠-2


p106-109


 「拳銃を構える場合」は、犯人の逃走防止、自己または他人の防護、公務執行に対する抵抗の抑止がその大前提だが、警棒などほかに午段がないと認められるときに該当しなくてはならない。

 さらには、それらの要件をすべて満たしていても、事態に応じて必要最小限度の使用でなくてはならない。

 事態に応じた「必要最小限度の使用」とは、犯罪の種類、犯罪の態様、犯人の態度・行動、第三者の応援の有無、時間および場所、相手および警察官の数など多岐にわたっている。


 では、「警察官が相手に向かって拳銃を撃つことができる場合」とは、どのようなときをいうのだろうか。

 もっとも重要な要件は、「正当防衛または緊急避難に該当し、自己または他人の生命、財産を防護するため必要であると認めたとき」である。

 さらに凶悪な罪の犯人を逮捕する際などに、犯人が警察官の職務執行に対して抵抗(逃亡しようと)する場合、または第三者がその犯人を逃がそうとして警察官に抵抗する場合など、ほかに手段がないと警察官において信じるに足りる相当な理由のある場合がその要件とされている。

 しかし、これだけで相手に向かって拳銃を撃つことができるわけではない。やはり相当数の制限があるので、以下に列挙してみる。


 一、その事態に応じて必要最小限度の使用であること。

 二、拳銃を撃とうとするときは、状況が急迫であって、とくに警告するいとまのないときを除き、あらかじめ拳銃を撃つことを相手に警告しなければならない。

 三、いかなる場合においても、相手方以外のものに危害を及ぼし、または損害を与えないように注意しなければならない。

 四、警察官職務執行法第七条に記載されている「危害許容事由」に該当しなくてはならない。


イメージ 1



拙著『警察腐敗』(講談社)より

 【01】警察庁長官狙撃事件の怪

  前述のように、数ある警視庁警察署の中でもきわだって特殊な風貌風格をそなえているのが本富士署だが、その由緒ある伝統に大きな傷をつける事件が発生した。それは、日本の警察史上最大の屈辱といえる国松警察庁長官狙撃事件である。

  一九九五年三月三十日早朝、国松孝次警察庁長官が東京都内の自宅マンション前でなにものかに銃弾三発を撃ちこまれ、瀕死の重傷を負った。日本警察のトップである現職の警察庁長官が狙撃されたのは前代未聞の出来事である。警察は組織の威信をかけて捜査に乗りだしたが、翌年になって、なんと現職の警察官でオウム真理教の熱心な信者が犯行を「自供」していたことがわかり、ふたたび世間を震撼させることになった。

  ただ、警察内部では、かなり早い段階から内部犯行説がささやかれていた。その理由はきわめて単純で、狙撃の腕前、綿密な下調べの状況などから、とても素人の仕業とは思えなかったからだ。警察庁でも、内部の犯行ではないかと疑い、ひそかに犯人探しがはじまっていた。

  また、長官狙撃が地下鉄サリン事件の直後であり、全国の警察をあげてオウム真理教への捜査を進めていたことなどから、同教団の関与も強く疑われていた。そこで、捜査を進めたところ、やがて現職警察官の中に複数のオウム信者が見つかり、そのうちの一人、のちに犯行を「自供」することになる小杉敏行巡査長が、本富士警察署の公安警察官だったのである。

  じつは、この小杉巡査長が捜査対象になったのは国松長官狙撃事件より前のことで、三月二十日に発生した地下鉄サリン事件の約一週間後のことだった。小杉巡査長がサリン事件捜査の応援のため警視庁築地署の捜査本部に派遣されてまもなく、教団から押収した光ディスクにおさめられた信者リストの中に彼の名が見つかったのだ。

  住所欄には、当時彼が住んでいた東京都文京区の警察官独身寮(菊坂寮) の所在地と電話番号が記載されており、寮の部屋からは教団の機関誌やヘッドギアなどが発見された。
  かくして、オウム捜査にたずさわっていた小杉巡査長がじつはオウム信者だったことがわかり、警視庁幹部は愕然とした。しかも、こともあろうに、警視庁の中でもキャリアの指定席となっている本富士署の中からオウム信者が出たとあっては、それこそ一大事。

  本富士署には、副署長ら幹部だけでなく、一般職員にも優秀者が集められる。それは、一にも二にも、トップのキャリア署長をお守りするためである。だから、警視庁の全職員にとって、この署に配属されるのは名誉なことであり、私も当時はそのことに多少の優越感をもっていたものだ。実際に、それくらいの存在なのである。

  そのエリートを集めた本富士暑がスキャンダルの発信源となったのでは、面目丸つぶれである。もっとも、こうした事態は、長年にわたる極端なキャリア偏重、キャリア主導のウミが出た現象といえなくもない。

  当局は極秘に小杉巡査長の事情聴取を進めたが、捜査情報漏洩などの疑いについて、本人の否定をくつがえすだけの証拠がなく、結局のところ、本富士暑から運転免許試験場に異動させることで、いったん追及を打ち切っていた。

  ところが、国松長官狙撃事件が起き、その後も捜査情報漏洩の疑いが払拭できなかったため、ふたたび小杉巡査長を任意で調べはじめたところ、一九九六年夏すぎごろから、「国松長官は私がやった」と、とんでもない話をはじめたのである。



  超極秘事項の漏洩

もちろん、警視庁はきびしい籍口令を敷いた。「自供」を知っていたのは、特命を受けた捜査員とごく一部の幹部だけである。とりわけマスコミに察知されないよう、小杉元巡査長を運転免許試験場から人事一課に異動させたことにして、都内の施設に隔離して事情聴取を続けたという。「自供」から数カ月間、小杉巡査長は事実上、軟禁状態におかれた。

このとき、警視庁キャリアがなにを考えたかはわからないが、「自供」が真実なら、警視庁はじまって以来の大ピンチ、嘘に嘘を重ねた神奈川県警の幹部と同様、一件を「なかったことにしたい」と考えても不思議はない。

ところが、警視庁が絶対に外部に知られたくはなかった超極秘事項は、同年十月、マスコミ各社に送られた匿名の投書が発端となって明るみに出ることになってしまった。投書は二回。一回目は便箋一枚に、二回目はハガキに、どちらも、筆跡を残さないためだろう、ワープロで書かれていた。


(以下、原文どおり)。

  十月十四日付――。

「国松警察庁長官狙撃の犯人は警視庁警察官(オーム信者)。既に某施設に長期監禁して取り調べた結果、犯行を自供している。しかし、警視庁と警察庁最高幹部の命令により捜査は凍結され、隠蔽されている」

  十月二十四日付 −。

  「国松長官狙撃事件が、警視庁と警察庁最高幹部の命令で捜査が凍結されていることを、先般、数社の皆様にお伝えしました。当庁と警察庁最高幹部からの圧力で不満分子の戯言とされているようです。

  警察の最高責任者を狙撃し瀕死の重傷を負わせた被疑者が現職の警察官であったとなれば、警察全体に対する轟々たる非難や警視総監、副総監、本富士署長の引責辞職や管理者責任が問われないではすまされないと思います。

  警察史上、例のない不祥事と批判され、当庁の威信は地に落ちると思います。警察庁と警視庁の最高幹部が、自己の将来と警察の威信を死守するため真相を隠蔽されようとしても真実は真実です。

  警察官の責務は犯罪を捜査し真実を糾明することです。被疑者が法的にも社会的にも組織的にも許されないことは当然ですが、組織を守るためとして、この事件を迷宮入りさせ法の裁きを受けさせなくするため被疑者の口を封じようとする有資格者の動きは恐ろしくこれを見逃すことは著しく正義に反すると思います。

  しかし、家族を抱えた一警察官の身では、卑怯ですが匿名によるこの方法しかありません。心あるマスコミと警察庁、警視庁、検察庁の幹部の皆様の勇気と正義が最後の拠り所です。匿名をお許しください」



  警視庁を「当庁」と表現しているところをみると、この手紙を書いた人物は警視庁の職員のようで、さらに二十四日付の文面には、保身に走る「有資格者(キャリア)」を糾弾するくだりがあることなどから、小杉巡査長の「自供」を知る立場にあるノンキャリの誰かが義憤に駆られ、投書という手段に出た可能性も考えられる。キャリア偏重に対する内部の不満はいつもくすぶっていて、ことあるごとにこうしたかたちで噴出する。いずれにせよ、警視庁キャリアをあげての隠しごとは、この投書によって粉砕されてしまったのである。

  以後、国民の目はマスコミのレンズを通して、小杉巡査長が神田川に投げ捨てたとされる「証拠」の拳銃探しに注がれたが、数日にわたる中継車を引き連れた仰々しい捜索もむなしく、拳銃は発見できずじまいとなった。そして、一九九七年六月、小杉巡査長の供述があいまいだとして東京地検も捜査を打ち切ったため、真相はいまもって謎のままである。


イメージ 1

拙著『警察腐敗』(講談社)

次は『02 警察庁長官狙撃事件の怪』http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki/13595312.html
拙著『警察腐敗』(講談社)より

【02】警察庁長官狙撃事件の怪

「本富士会」 に傷をつけるな!


  この一件では、井上幸彦警視総監が辞職したのをはじめ、警視庁幹部ら九人が処分を受けた。本富士署関係では、前警備課長が処分され、署長も減給処分になった。

  しかし、これは偶然なのだろうか。警視庁発足以来、守り続けられていた「キャリア署長」の歴史と伝統が、たまたまこの大不祥事の直前に途絶えていた、とはどうしても考えられない。偶然にしては、あまりにもタイミングがよすぎるのだ。

  じつは、本富士署初のノンキャリ署長就任は、ハナから「オウム対策シフト」ではなかったのかと、本富士署関係者のあいだでは、いまでも信じられているのである。

  水元正時署長が着任したのは一九九四年七月のこと。前任の伊藤智署長は、もちろんバリバリのキャリア・エリートだ。二人が交代したのは、あの松本サリン事件から約一カ月後のことだった。当時は、まだ誰もサリン事件とオウム真理教を結びつけて考えることができていない時期である。

  事実、事件を捜査していた長野県警の刑事部は、近くに住む会社員を有力な被疑者と見立てて、マスコミもそれに沿った報道を繰り返したため、後に重大な「報道被害」として問題化することになったことだ。ところが、事件発生からわずかしか経っていない九四年九月、マスコミ各社に「サリン事件の犯人はオウムである」と断定した「松本サリン事件に関する一考察」と題する怪文書が送られていた。出所不明で誰が書いたかはわからない。だが、オウム捜査が進むにつれ、その文章に書かれたた内容が、ほとんど真実だったことが判明する。

  いったい誰が、なんの目的でこの怪文書を書いたのか。文書の作者はなぜ、当時ほとんど解明されていなかったオウム真理教の内部事情に通じていたのか。

  ジャーナリストの立花隆氏は、国松長官狙撃事件後「週刊文春」 に寄稿した「オウムとサリンの『深い闇』」と題する論文で、問題の怪文書の作者は「オウム内部に入った公安のスパイである」と指摘した。

  立花氏によると、日本の公安警察は九〇年の総選挙でオウム真理教が多数の候補者を立てたころから同教団を「監視対象」として着々と捜査体制を築きあげ、自衛隊や警察などが組織へ侵入したオウム信者の割りだしを進めていたという。

  つまり、公安警察は警視庁が教団から光ディスクを押収するよりずっと前から、小杉巡査長の「存在」を認識していた可能性があるというのだ。

  公安部の実態について詳しく書く余裕はないが、これは十分ありうる話だ。
  公安情報を得た警視庁トップが本富士会の伝統を守るために対策を施した。これがノンキャリ署長誕生の背景にある「裏事情」であるというのが、当時を知る本富士署関係者の一致した見方なのだ。

  じつは、その栄えある初ノンキャリ署長となった水元氏の前職は、警視庁公安部の中枢に位置する公安理事官であった。水元氏はその後、第八方面副本部長に転出するが、後任の石川末四郎署長の前職も公安理事官で、しかも、本富士署長の後は公安四課長に就任しているのである。

  本富士署の署長が二代続けてノンキャリアの、しかも公安畑の人間が就任するということは、それまでの警視庁の常識ではまったく考えられないことなのだ。このことからも、立花氏の分析はきわめて的を射ていたと思う。ちなみに、事件から五年たったいまも、本富士の署長は「ノンキャリ」だ。かつての同僚に問い合わせると、「われわれのあいだではオウムに関するすべてのカタがつくまで、ノンキャリ署長が続くだろうといわれているんですよ」ということだ。

  ただ、誇り高い本富士会にとっては、いささかの「救い」があった。オウム事件の一年半前に就任した水元署長が本富士署はじまって初のノンキャリ署長で、したがってキャリアに傷をつけることはなかったのは、彼らにとってさいわいだったとしかいいようがない。

  それはともかく、猛毒ガスを使用して無差別殺人におよび、全国民に恐怖を与え、世界中を震憾させた犯罪史上類例のないオウム真理教が介在しているとされる警察庁長官狙撃事件において、警視庁の現職警察官が容疑者として浮上してきたというのに、この一件が発覚した当時、新聞はいずれも「警視庁は警察庁へも報告していなかった」と書きたてた。

  新聞に掲載された二通日の告発状の内容が、内部の者しか知らないような詳細におよんでいたため、警察庁が警視庁に問い合わせて、事態を知るところとなったというのである。各紙のインタビューに応えた国松長官自身、「そらもうびっくりした」などと語っていた。

  しかし、このようなことは、警察の常識からして絶対に考えられない。警視庁に配属されたキャリアと警察庁のあいだにはしっかりしたパイプが通っていて、秘密情報を共有することはあっても、情報を秘密にしあうことなどあるわけない。事件発覚のきっかけになったとされる投書にも「当庁と警察庁最高幹部が……」という記述が見られるとおり、内部の者なら誰だって知っている「常識」である。そして、当時の警察庁最高幹部といえば、狙撃された国松長官その人である。

  ちなみに、国松長官も本富士会のメンバーだった。

全1ページ

[1]


.
検索 検索
黒木昭雄
黒木昭雄
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事