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警察職人への道 p131-133
そんなある日のこと、管内を警ら中に一人の「不審な人物」に出会った。「不審」といっても、一見、暴力団員風だという以外は、とくに何かがあったわけではない。私は、自分の度胸を試す機会にした。
「こんにちは、ちょっとすみません」
と、警察学校で習った型通りの声がけをおこなったが、何の反応もなく、男はすたすたと立ち去ろうとした。このとき私の頭をよぎったのは、父からさんざん聞かされた若き日の「武勇伝」だった。
「あのね、人があいさつしているのに無視するの?」
と、こちらから喧嘩を仕掛けた。
たぶん彼の目には「なんだガキおまわり」としか映らなかったにちがいない。
その証拠に「若造、そんなに点数が欲しいのか、もう少し勉強したらまたおいで」とからかわれたのだ。しかし、私は生まれてはじめて暴力団員風の男に声をかけたということに興奮し、相手を勝手に怪しいやつだと決めつけていた。
「おい、逃げるのか」
「別に……」
「おまえ、なんか隠してんだろ」
完全な見込み捜査だったが、なんとか人定事項(氏名、生年月日など)を聞きだし、無線で照会センターに問い合わせると、男はなんと「覚醒剤の前歴を有する暴力団構成員」だったのだ。
当時はいまほど情報化が進んでいなかったため、無線一本で前歴がバレた「不審な男」は仰天した。なにしろ私自身もはじめての体験で動揺し、互いにオロオロするばかり。じつに滑稽な話である。
私が有利だったのは、警察官という権力を持つ立場にいたことだ。照会センターとの通話状況を傍受していた担当警部補がいち早く応援に駆けつけてくれた。
結局、根負けしたその「不審な男」がビニール袋に入った三包みの白い粉を捨てたことを白状し、みごと「御用」となったのだ。
私にとって卒業配置後半年にしての初手柄だった。以来、数々の薬物事件を手掛けることになったが、そのたびに胸を張って父に報告した。
しかし父は、「書類の書けない警察官が多すぎる、犯人をつかまえても書類に不備があったのでは仕事をこなしたことにはならない」と職人らしい言葉を私に浴びせるのだ。素直に褒めてくれない父に反発を覚えながらも、私は自分に鞭を打ち、文字どおり警察職人としての道を選ぶことになる。
「警察の仕事は階級ではない」という父の言葉は「職人は出世しない」ことを意味している。そのとおり、私は昇任することもなく本富士警察署で九年七ヵ月の歳月を過ごした。
しかし、覚醒剤所持犯人の検挙を主眼として警察活動をつづけたことや、赤坂警察署に共同捜査本部を設置した多額窃盗犯人を偶然逮捕するというタナボタや、拳銃五丁を所持していた犯人を苦心のすえに捕まえたことなどもあって、昭和六十一(一九八六)年七月、憧れの「警視庁第二自動車警ら隊」に配転になった。
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