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佐藤梢(B)さんの遺体が発見されて今日で2年。
地元紙にこんな見出しが躍りました。
小原容疑者どこに
事件発覚から2年
捜査難航、情報呼び掛け
(岩手日報)
徹底的に事件を調べた私にとって、「捜査難航」の文字は茶番でしかありません。
このブログをご覧の方なら、私と同じ思いを抱くでしょう。
岩手県警は捜査の限りを尽くすどころか、事件関係者が提出した情報の裏付けさえ取らず、小原勝幸を被害者とする日本刀を用いた恐喝事件を握りつぶしたままなのです。更に岩手県知事も、田野畑村民から「再捜査を求める」とする署名を突き付けられても実質動かず、結局のところこの事件は、県警、公安委員会、岩手県知事によって黙殺されたと言っても過言ではありません。
さて、7月1日の小原勝幸の一日です。
転がり込んだ先の弟夫婦の家で目覚めた小原は、午前9時頃から午後5時頃まで山田宅で過ごしたと言います。
当然、梢Bを殺し、遺体を捨てに行く時間はありません。ところが、午後7時30分頃、外出先から帰った小原はそれまでと一変し、「もう、田野畑にはいられない」と泣きながら山田に訴え、「警察が来たんじゃないか、見に行ってくれ」と怯えつつ、写真やお守りなどを山田に手渡し午後8時30分頃出て行ったというのです。
午後5時頃から午後7時30分までの間に、小原をどん底に陥れる何かが起こったという事なのでしょうか。
考えられる事は一つです。
梢Bが死んだ事を小原が知ったからです。
誰かに梢Bの死を知らされ、しかも小原自身、梢Bを殺してしまったと錯覚したからだと私は推測します。それ以外に小原を一変させる理由は見当たりません。
では、誰がそれを伝えたのでしょうか。
このあとも不思議な事が続きます。
この日、宮城に戻ると弟に伝えていた小原は、午後9時頃、宮城とは真逆の北山崎(久慈方向)に向かう直線道路で道路反対側の電柱をなぎ倒す事故を起こし、たまたま現場を通りかかった田所タカフミ(仮名)に助けられ、田所さえもが「共犯関係にあるのでは?」と噂されるなど、謎が謎を生む事態となり、 「岩手17歳女性殺害事件」は、謎の交通事故を機に、自殺偽装、全国指名手配、警察庁指定事件へと突き進む事になるのです。
(敬称略)
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事件を検討する部屋
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殺害された佐藤梢(B)さんの死亡推定日時は、2年前の今日(6月30日)から明日(7月1日)にかけての2日間でした。つまり、岩手医大医学部法医学講座の解剖結果に誤りがなければ、2日前の6月28日の深夜、小原に連れ去られた梢Bさんはこの日まで生存していた事になるのです。
★小原が拠点とする田野畑村から梢Bさんの遺体が発見された川井村までの距離は、時間にして片道2時間。往復するだけで約4時間もかかります。
6月30日午前7時10分ごろ、次男夫婦が暮らす村営住宅で目覚めた小原は、高校時代から慕っていた山田ミツオ(仮名)の自宅に連絡を入れたと言います。そして、弟夫婦が外出した午前9時、小原は梢Aに、こんなメールを送りました。
「昨日病院に行った」「夕べ弟の家に泊まった」
このメールに何の意味があるのかはわかりません。しかし、午前11時30分、小原は漁協のガソリンスタンドに立ち寄り、その足で前述した山田ミツオ宅を訪れ、正后ごろから午後5時30分頃までで過ごしていた事が確認されているのです。
さらに、午後6時50分頃には弟夫婦が暮らす村営住宅に戻り、午後8時頃、小原の弟に呼び出された父親が弟宅に出向き、午後8時30分頃、久慈署の千葉刑事に被害届の取り下げを求める電話をかけているのです。
田野畑村から川井村までの距離は往復4時間、これでは、小原一人で梢Bを殺害し遺棄することはできません。
しかし警察は「共犯者なし」と早々に断定し押し切ったのです。
繰り返しになりますが、田野畑村から川井村までの所要時間を思えば、最低でも4時間の空白がなければ小原の単独犯行を立証することはできないのです。
私には小原勝幸を擁護する気持ちはありません。むしろ、小原自身、進んで梢Bの拉致事件に関与(事件と無縁ではない)したと思っています。しかし、梢Bを隠していた場所の特定もされず、一方的に「共犯者なし」と決めつけた岩手県警の捜査結果にも納得できません。
(敬称略)
【取材メモ・山田証言】
正后頃から約5時間半に渡って小原が過ごした山田ミツオ宅に関する取材メモを転記します。
その時の勝幸の服装は『黒っぽいV字型の薄での長そでテーシャツ姿でジーパン。持ち物は、財布、携帯、銀色の鎖の腕時計、たばこ、素足にビーチサンダル』
車は「●●寿司」近くの駐車場に止めてきたと言っていた。右手のケガについて勝幸は、『夕べ弟のところで嫌な事があって●●(弟の名前)の家の壁を叩いてこんなになった』と言った。
勝幸は午後5時30分頃まで滞在したが、その間、携帯電話でメールのやり取りをしたり電話で刑事と話し合っていた。山田が理由を聞くと、「●●(地名)の怖い人(Z)とトラブルがあって、その人を相手に恐喝事件として被害届けをだしてある」と勝幸が答えた。
(以上::山田)
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佐藤梢と言う名の同姓同名同年齢の女性が介在する「岩手17歳女性殺害事件」は、2年前の今日、6月28日から始まりました。
午前11時。まさにこの時刻です。
小原勝幸と1年以上行動を共にした交際相手の佐藤梢Aは、
盛岡競馬場近くの駐車場から、JR盛岡駅に向かい、
電車を乗り継いで自宅のある宮城県登米市に逃げ帰ったと言います。
梢Aは「計画的ではなかった」と言いますが、私にはそうは思えませんでした。
この時既に、とてつもなく大きな事件の歯車が回り始めていたと感じるのです。
梢Aに逃げられた小原は、梢Aの携帯にこう連絡してきたと言います。
「被害届けを取り下げるから、盛岡に戻ってきてくれ」
梢Aは、その誘いを拒否したと言います。
小原が被害届けの取り下げを口にしたのは、この時が初めてでした。
既に事件の概要をご存知の方は、2年前の“この時”をリアルに思い浮かべて下さい。7月2日までの出来事を随時加筆させていただきます。
(敬称略)
※なお、再三の警告に従わず当ブログのコメント欄に書き込む一部読者の為に、
皆さんのコメントが書き込めない状況にありますが、その時は、【
【緊急設置】黒木昭雄とみんなの捜査本部
にコメントをお寄せ下さい。
ご迷惑をおかけします。
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岩手県警捜査本部は事件の流れを次のように説明します。 1 梢Aに逃げられた勝幸は、未練の為に梢Aを追って宮城県に向かった。 2 ところが、頑強に復縁を拒否され知人の梢Bに相談。 3 更に、帰りの交通費の工面を申し入れたが拒否されたために激昂し絞殺。 4 勝幸の右手は、この時抵抗されて負傷。 4 梢Bから奪取した金で岩手県の故郷に逃げ帰ったが、遺体はその道すがら遺棄。 (いずれも小原父に担当刑事が説明) 検討議題<5> 遺体遺棄現場の疑問 盛岡から勝幸が目指した田野畑村に向かうルートは大きく分けて2つあります。 一つは、国道455線から岩泉町経由で田野畑村へ 二つめは、国道106号線から宮古経由で田野畑村へ ところが、梢Bさんの遺体は国道106号線の川井村から県道171号線に入り3キロほどの松草沢に遺棄されていました。この県道の延長線上に岩泉町があります。 http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki/1357509.html そうなると、誰がみても、梢Bさんを宮城県内から連れだした勝幸が、田野畑村に向かう途中で殺害、その後遺棄したとなります。 疑問1 そもそも、勝幸が梢Bさんを殺害したとするなら、すぐに自分の犯行とバレるような状態で偽装もせずに梢Bさんの遺体を遺棄するでしょうか。 普通なら穴を掘って埋めたり、深い谷底に投げ捨てるのだと思います。 疑問2 警察の読みでいえば、遺棄した時間は真夜中ということになります。
周囲は一点の光さえない暗闇です。そんななか、勝幸はどうやって県道171号線を走ったのでしょうか。 付近を知る方ならすぐに気づくはずです。171号線は非常に道幅が狭く、場所によっては崖淵のS路カーブが連続するのです。 しかも勝幸の車はセルシオという名の大型車です。利き腕の右手に重傷を負った勝幸が選ぶルートでしょうか。昼間でさえ2時間はかかる道のりなのです。 |
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みなさん 検討議題<4−2>での活発な検討ありありがとうございます。 私的には、勝幸の右手の負傷、つまり何者かによる「リンチ」がこの日のスタートラインではないかと思えてなりません。 以下の証言は、5月13日、岩手県警と岩手県公安委員会、そして警察庁と国家公安委員会に提出した「情報提供書」から抜粋した当日の様子です。 プライベートな部分を削り、若干表現を変えました。 1 梢Aは近くのコンビニに買い出し <10:00頃> ―― 勝幸は、車の中で寝ていた ―― (梢A証言) 2 梢Aは覚悟を持って勝幸から逃げた <11:00以降> 日常的に繰り返される暴力と身勝手な勝幸に耐えかねた梢Aは、日頃から勝幸から逃げるチャンスをうかがっていた。 そしてこの日、勝幸の財布の中に千円程度の現金しかなく、しかも車のガソリンが半分しかなかったことから、「宮城までは追いかけてこれない」と決別を決断。梢Aは、盛岡駅に向かい、途中、【※1】一関で時間をつぶした後に実家のある宮城県■■■■駅を目指した。 梢Aが逃げたと知った勝幸は、梢Aが電車に乗って間もない頃から、「よりを戻したい」「今日逃げられるのは分かっていた」「被害届を取り下げるために一緒に久慈に行こう。二人で行かなければ取り下げられない」「お前(梢A)はいなくなったからどうでも良いから、(被害届を)取り下げようと思ってるから、もう一回来てくれ」等と梢Aの携帯に電話やメールを送りつけるなどして迫った。 【※1】一関で時間をつぶしたのは、父親の仕事が午後9時に終るので、それに合わせて帰宅時間を午後9時に設定した。 (梢A証言) 3 勝幸にワンコール <21:00以降> 父親に■■■■駅に迎えにきてもらった梢Aは、「家に着いたら家電からワンコしろ」としつこく迫る勝幸の要求に応じ勝幸の携帯にワンコールして電話を切った。 (梢A証言) 4 梢Aの携帯に見知らぬ携帯番号から着信 <22:10〜22:40> 帰宅して間もない頃梢Aの携帯に着信したが、【※1】見知らぬ携帯番号のため無視。 それから約20分後、【※2】今度は家の電話に着信。梢Bからの電話である事を確かめた父親が梢Aに取り次いだ。その後2人はメールアドレスを交換、22時40分頃から「最近どうしている?」「今日勝幸と別れた」「なんで別れたのかな?これからどうするつもり?」「もうイヤだよ」など計6回くらいメールを交換したと言うが29日0時30分頃を最後に梢Bからのメールは途絶えた。 (梢A証言) 【※1】Q:梢Aはなぜ友達である梢Bの携帯番号を登録していなかったのか? A:登録していたが、友達に助けを求める事を阻止するために、勝幸が、梢Aの携帯に登録されているアドレスを全て削除していた。 【※2】Q:勝幸と転々と暮らしている事を知る梢Bが、なぜこの日に限って梢Aの実家に連絡してきたのか? A:私(梢A)の携帯に連絡してきた時、既に梢Bちゃんの近くに勝幸がいて「家電にかけろ」と勝幸に指示されたのだと思う。 その時、「ちょっと変だな」と思い「なぜ家電の番号を知ったの?」と聞くと、梢Bちゃんは「友達に聞いた」と言ったので、特に気にする事もなくメールでやり取りした。この時、もしおかしさに気づいていれば梢Bちゃんは殺されることはなかったかもしれない。申し訳なく思っている。 (梢A証言) 5 梢Bが交際男性の家を出る <22:20頃> 被害者は「友達の彼氏に呼ばれた」「理由は恋愛相談」だと言い、「私、殺されるかもしれない、その時は電話するね」と笑いながら「待ち合わせのコンビニに行く」と言って部屋を出て行った。 (■■■証言・マスコミ報道) 6 被害者が防犯カメラに記録される <22:43〜23:00頃> 午後10時43分頃から17分後の午後11時頃までの間、梢Bが一人で雑誌を立ち読みする姿がコンビニの防犯カメラに記録されていたが、勝幸の姿は記録されていなかった。 (梢B父親証言) 7 勝幸の姿がガソリンスタンドの防犯カメラに記録される<2:14〜2:17頃> 8 梢Aの携帯に右手を負傷した写メが届く <7:30頃> 写メには「被害届を取り下げるからもう一度盛岡にきてくれなきゃ困る」などと梢Aを呼び出す内容が書かれていた。だが梢Aは事前に「今後あんた(梢A)は必要ない」と千葉警部補に言われていたので勝幸の要求に応じなかった。「それに、今までに何度も逃げたがそのたびに捕まり暴行されたので『もうイヤだ』と思い断った」 (梢A証言) 9 勝幸が突然次男夫婦(■■・■■)の住む田野畑村の村営住宅に来る <9:30頃> 勝幸の服装は「ジーパンに黒の長袖のTシャツで前開き」右手にケガを負っていた。ケガの理由を聞くと、「壁を何回か殴った」と言ったので、「そうなのかなぁ」と思ったが、手の甲にも傷があったので変だと思った。 (■■・■■証言) 10 勝幸の車の中にあった梢Aの荷造り <9:30過ぎ〜12:00頃>
勝幸に頼まれた■■・■■が、車の中にあった梢Aの衣類などを勝幸が持参したセブンスターの段ボール箱に収めた。在中品はトランクに入っていた衣装ケースの中の梢の荷物。「衣類、ステッチ(キャラクター)のぬいぐるみ2つ、財布、時計、スニーカー、化粧品、勝幸のじゅじゅ玉」など。この時勝幸は、「仕事がない」「もうだめだ」と言うので■■・■■が励ました。トランク内と助手席、運転席などを見たが、血痕のようなものや濡れたあと(失禁)などは無かった。ただ、運転席のシートに血が付いていて、勝幸のGパンの右の太もも付近にも血痕があった。 (■■・■■証言) |




