|
先日、靖国神社の零戦を見て思い出したことがある。
ずっと中学生の時の事だと思っていたが、写真のメモを見ると1978年だった。 高1の夏の出来事だ。思い出しながら連載?したいと思う。 その筋のマニアではないので、薄っぺらな内容しか書けないが貴重な画像もあると思う。 楽しんでいただけると有難い。 どこかで情報を得たのか?それとも通りがかりで見つけたのかは今となっては定かではない。 陸上自衛隊 木更津駐屯地 1978年7月28日 俺は近くを流れる小川の水門の上からフェンス越しにある小型機の機体にくぎ付けになっていた。 迷彩色のその機体は、特別なオーラを放っており、滑走路でよく見かける小型機とは一線を画していた。 当時持っていた最大限の望遠レンズでその機体を追っていた。 そんな俺にフェンスの中から話しかけてきた人がいた。 「あの飛行機に興味があるのか?」 「良かったら格納庫に案内してやるよ。」 そんな会話があったのだろう。 幸運な事に俺は格納庫の中、至近距離でその機体に対面できた。 尾翼番号61-120の零戦52型(A6M5)だった。 その時はただゼロ戦だ〜と夢中になっていた。 13日後、1978年8月10日 またその格納庫脇を通った時、あのゼロ戦が外に出されていた。 翌日の1978年8月11日 たまたま通りがかったのか、それとも見たくて朝から待っていたのか。その記憶はまったく無い。 ただ、そこで初めてゼロ戦に積まれた栄エンジンの音を聴いた。 しばらく暖機し何だか調整を繰り返した後、自力で少し走ってエンジンを停めた。 また押されて格納庫に戻されていった。 その後しばらくその場にいると、格納庫からしきりに煙の様な物が滑走路に流れていった。 そして翌日。1978年8月12日 こうなると偶然通りかかった訳では無く、零戦見たさに通っていたのだろう。 この日は木更津の電気屋のオヤジも見に来ていた。 格納庫から出て来た機体は、何だか黒っぽくて昨日までの機体では無かった。 いつもは格納庫から出て右手に進み、俺の居る側に来るのだが、この日は違った。 左手の奥に進んで行った機体はこちらに向きを変えた。 エンジン音は聞こえなかったが、明らかにこちらに向って走ってきたかと思ったその瞬間。 ファインダー越しに見る機体は、明らかに零戦だった。 戦後はじめて零戦が、オリジナルの栄エンジンで日本の空に舞った瞬間かもしれない。 それにしても昨日までのグレー系の迷彩色から、たった一日でお色直しとは・・・ まるで戦渦の最中、敵地でのカモフラージュのようだ。 敵機も空母もいない平和な木更津の空を悠々と飛ぶ零戦の姿。 戦争を知らない自分に取っては、プラモデルでしか知らない曲技飛行もこなせる小型機にしか見えなかった。 観客は電気屋オヤジと俺。 着陸の時は二人で思わず拍手して、格納庫に納まるまで、じっくりと堪能した。 「零戦〜故郷の空を飛ぶ〜」というプロジェクトだったようだ。 つづく |
Airplane
[ リスト ]




UPありがとうございます。
丁寧に保存された良い記録ですね。
戦争とともに進化した航空技術が悲しくもあります。。。。。
2012/9/20(木) 午前 0:45
こんなことがあったんですか。
私の祖父は航空隊の陸軍将校だったそうです。
この話を聞きたかったでしょうね。
2012/9/20(木) 午前 3:13
凄い写真です、 当時個人で格納庫内撮影できた人はまず居ないと思います。
この写真を欲しいと考える人は多く居るでしょうね。
エドマロニー氏のゼロ初来日画像ですね、雑誌でしか見たことがありません。 当時飛行可能ゼロはこれだけです。 ドッキリ迷彩、は初来日の雑誌記事の表現でした、以後定期的に日本での飛行興行に来てくれています。
零戦は色んな意味で凄く特別な航空機です、 残念なのは今の日本では 飛べる飛行機を管理する事ができません。 昭和48年に来日した 同じくエドマロニーさんの疾風戦闘機は飛行可能でしたがすでに飛べる機体ではなくなりました。
それは当時、中島飛行機関係者の個人に請われて日本に譲渡されたからです。 しばらく群馬にありましたが、いまは無残です。
SLもそうですが動態保存が理想です、プレーンズオフフェイムにあって管理されるのが この零戦などの第二次世界大戦の航空機には幸せなのかもしれません。
2012/9/20(木) 午前 5:48 [ あるちゅう ]
すごい、これは貴重な体験ですね!
今や情報がオープンですが、70年代では秘密の場面その物ですよね。なんかこの夏はコンビニでもゼロ戦の特集本が売っていて妙に気になり、私も買ってしまいました。あらためて当時の開発者の苦悩や新技術実現の歓びを知り感動しましたが、このように実機が舞い上がるのを見たら泣いてしまいそうです。
2012/9/20(木) 午前 6:19 [ くろがね880 ]
日本の技術力のすばらしさを感じますね。。
2012/9/20(木) 午前 6:25
この機体は長崎の大村飛行場でもデモフライトしたので見に行きました。しがない浪人生の私は感涙の涙に咽ました。
今年の秋に同機再来日の予定があるようです。
http://flyteam.jp/news/article/13140
2012/9/20(木) 午前 7:49 [ 熊猫 ]
感動しました どうもありがとうございます。
2012/9/20(木) 午後 9:40 [ 教頭 ]
馬賊さん
疾風…残念な事をしましたね。
この零戦もアメリカにあるからこそ、
この状態を保てるんでしょうね。
プラット・アンド・ホイットニーの部品と互換性があるものが多いようですし。
2012/9/20(木) 午後 10:50 [ くろきん ]
壺さん
眠れましたか?
今夜も続きがありますよ〜
2012/9/20(木) 午後 10:51 [ くろきん ]
オリさん
この技術がその後の航空機産業に生かされていったんですよね。
皮肉なものですね。必要悪とでも言うのだったら戦争なんか無くて進化しない方が良いですね。
2012/9/20(木) 午後 10:54 [ くろきん ]
keroさん
将校ですか…うちの祖父は満州で食事係だったそうですw
この頃はまだ元気で、一緒に写真を見ていました。
2012/9/20(木) 午後 10:56 [ くろきん ]
あるちゅーのマーニさん
確かにこの迷彩塗装の写真は貴重かもしれませんね。
たった一日でオールペンして登場した時はびっくりしました。
飛行できる環境があって、部品供給が受けられる環境があって、何よりも価値観と情熱のある人が居る環境の備わっているプレーンズオフフェイムが最良の場所なんでしょうね。
疾風は、ずいぶん傷んだ後になってからエドマロニー氏が複数の機体との交換を申し出たそうですが応じなかったようですね。唯一実動する誉エンジンが…悔しかったことでしょう。
そうそう、その時の疾風の写真も知人に譲っていただいたものがあります。
2012/9/20(木) 午後 11:06 [ くろきん ]
くろがね880さん
今だったら、あんなに気軽に入れてもらえなかったでしょうね。
良い時代だったのでしょう。
今見たら泣いちゃうかもしれませんが、当時は何もわからない高校生でしたからwww
零戦の特集本、俺も買おうかな♪
2012/9/20(木) 午後 11:10 [ くろきん ]
kawaさん
追い込まれた時にこそ開花するんですね〜
2012/9/20(木) 午後 11:11 [ くろきん ]
熊猫さん
大村にはこの翌年に行っているようですね。
んで?今年も来るんですか?
78年の17年後の95年に来日していましたので、
今年はまた17年後だな〜と思っていました。
でも…延期なんですね。
チノまで行きますか…
2012/9/20(木) 午後 11:21 [ くろきん ]
教頭せんせ
どういたしまして。
楽しんでいただけましたか?
まだ続きがありますので…
2012/9/20(木) 午後 11:22 [ くろきん ]
くろきんさん木更津にお住まいなんですか!?^^
オイラもガキの頃から木更津航空祭は行くのが楽しみで
仲間と自転車で見学行ってましたが零戦が会ったのは覚えてません。
オイラの記憶にあるのは、靖国に展示してある彗星を修復していた
のは記憶にあります。 零戦が空を飛ぶ所見てみたかったな〜
2012/9/21(金) 午前 11:28 [ れとろ ]
retoro-worksさん
当時は木更津でした。今は木更津の隣りの市に住んでいます。
零戦は彗星の修復の2年前ですね。
何となくですが…retoro-worksさんのお住まいとうちの実家は近い気がします。
2012/9/21(金) 午後 11:06 [ くろきん ]
> くろきんさん
思わず「生唾もん」で、拝読&画像に釘付け!
羨まし!
他のも、この後で引き続き読ませて頂きます。(*^_^*)
2015/2/17(火) 午後 0:38 [ ヒョウタンツギ ]
ヒョウタンツギさま
楽しんでいただけようで良かったです。
次はこちらからチノまで会いに行かないと。
2015/2/17(火) 午後 11:24 [ くろきん ]