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フェリーを降りてから気仙沼の町を走る。
打ち揚げられた第18共徳丸のあった鹿折唐桑駅周辺はすっかり嵩上げされ 仮設のコンビニや復興商店街も、場所を移動していた。 R45で気仙沼から南三陸を目指す。 走り慣れた海岸線の国道からいつも見ていた対岸の山が亀山だったことに気付いた。 そう思うと止まってみたくなり、道の駅「大谷海岸」に入った。 ここは津波で流された後に再建した施設。 海側には、壊れたままの大谷海岸駅のホームがそのまま残っている。 歌津を抜けて、志津川へ下りる。 盛土による嵩上げで、道路も大きく変わってしまっていた。 国道から直接防災庁舎に入る道もクローズだった。 ここには、また再来月来るだろうから・・・ 志津川から雄勝までの道沿いもずいぶん片付いてきた。 公園前に立っていた壊れたモアイ像も姿を消し 小泊集落の流された橋も、工事が始まっていた。 北上川の雄勝側も、川岸の工事を盛んに行っている。 新北上大橋は相変わらず。 雄勝も昨年の5月に訪れて以来だが、まったくと言っていいほど変わっていない。 雄勝町の中心地では、およそ630世帯が被災し、そのうち590世帯が全壊流出した。 この地区に戻りたいと申請をだしているのは53世帯という。 しかも水の被った浸水地域は災害危険区域となり、二度と住宅が建てられない規制があり 高台移転用の宅地が完成するのは3年後・・・しかも移転できるのは、震災時に住んでいた被災者だけ。 災害危険区域は住宅は造れないけど、商業施設は作れるのでそこを守るために6.3mの防潮堤を建設する。 人の住まない町の堤防に囲まれた商業施設・・・ こんな政策で復興するとは考えられない。 そんな雄勝の街だからこそ、これからも見守って行きたいと思う。 3月11日の週末だったこともあり、「おがつ店こ屋街」にもそこそこの人が訪れていた。 いつも行っていた「洸洋」はご飯が終わってしまったとか 久しぶりに伝八すしでホタテ丼。 お腹が膨れたところで、大須崎灯台を眺めて 船越の港へ・・・ 雄勝はほとんど変化を見せていなかったが、ここ船越は他の被災地のように盛土がされ 港から船越神社も見えないほど。 港としての機能をしっかりと取り戻してもらいたい。 そう願って雄勝を後にした。 最後に大川小学校にも立ち寄る。ここを素通りすることはできない。 30年前の同校の卒業生だと言う女性が話しかけてきた。 毎日かかさず訪れて、慰霊碑の周りを掃除しているという。 『ここへ来てどう思いますか?』 すぐに答えることが出来なかった。 最初に訪れた時は涙したが・・・今は泣くことは無い。 じゃあ何のために来ているのだろうか? R35GTRに乗った親父が彼女に 「津波はどこの高さまで来たんだ?」 「なんで山に逃げなかったんだ?」 と、質問していた。 彼女は黙ったままだった。 親父が諦めて立ち去った後、 『聞かれないと話しかけるけど、聞かれると答えられないんだよね。』 と、語っていた。 悪気は無いのだろうが、色々な人が訪れるのだろう。 震災遺構として残していく裏には、目に見えない様々な苦労がありそうだ。 北上川沿いの道を走りながら二人で話した。 「何のため?やっぱり、忘れないためじゃない?」 |
日々のこと
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大谷海岸は 横目に見ながらいつもスルーしてしまうところ、バイクだとなかなか停まれないです。
次回こそは!みたいに感じる場所が毎回増えて、いつになっても「次回必ず立ち寄ろう」が終わりそうにない、
だから 続ける。
2015/3/20(金) 午前 7:53
みれさん
大谷海岸、私も寄りたいと思いつつ、いつもスルーでしたので…
次回は…と思っているうちに、すっかり景色が変わっていて後悔してばかりです。
続けましょう。
2015/3/22(日) 午後 8:53 [ くろきん ]
ミレさんが、海水をかぶった道も変わったのかな。
忘れない為、思い出す為向かう。
お互いずっと行くんでしょうね?
2015/3/24(火) 午前 10:10
tt1jrさん
あの辺りは一般車が入れる道が無くなっているように見えました。
お互い、行き続けましょうwww
2015/3/24(火) 午後 10:23 [ くろきん ]