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零戦の思い出 3

高校1年の夏休みから夢中になっていた零戦だったが、最後に思いがけない出来事があった。

前にも話したことがあったが、俺の母親はクリスチャンである。
自然と海外の方との交流も多くあった。
知人の外人さんが経営している輸入車修理工場に例のZeroFiterパイロットが寝泊まりしていた。

俺が熱中している話が伝わったのであろう。そのパイロットと会う機会を設けてくれた。
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※ポラロイドで撮った写真は何とかギリギリ残っていた。

たどたどしい英語で話をしたのだと思う。
「これから基地に行こう♪」
と彼の乗るDaxHondaの後ろを自転車で必死について行った。

また例の格納庫だ。
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民間人のそれも高校生が2回もここで零戦に会えたのは本当にラッキーだったと思う。
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「複座だったら乗せて一緒に飛んでやるんだけどな♪」と、そう言ってコクピットに俺を座らせて
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計器やスイッチ、レバーの説明を一つ一つ丁寧にしてくれた。
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残念ながら半分も理解できなかったと思う。
この零戦が再び日本を訪れたのは1995年。この17年後だ。
そして今もエドマロニー氏のコレクションとしてPlanes of Fame Air Museumに展示され
毎年5月の航空祭ではデモフライトであの雄姿を見せているらしい。

何よりも驚いたのは、この時のZaroFighterのパイロットのことだ。
実はこの年、リノのエアレースで優勝しているスティーブ・ヒントン氏だった。
しかも、氏は翌年の8月レシプロエンジンによるスピード世界記録を叩きだし、その翌月の9月に墜落。
瀕死の重傷から一命を取り留め、奇跡の復活をしたという。
現在はPlanes of Fame Air Museumの館長を務め、レースの方は息子さんが跡を継いでいるらしい。

この話にはまだ続きがある。
この数年後に俺が入社した会社の直接の上司が同郷の木更津の人だった。
大の飛行機好きで、当然この零戦も見ていた。
そして1995年にはチノの飛行場でスティーブ・ヒントン氏の操縦するP-40に同乗している。
上記のスティーブ・ヒントン氏の情報も教えていただいた。
人の縁とは、恐ろしいほどに素晴らしいものだ。

昨日までの記事を見て、その上司からのメールが届いた。
近いうちに遊びに行きたいと思う。
そしてできることなら、S.ヒントン氏の所へ一緒に訪れたいものだ。

靖国の零戦から始まって、色々と夢を見る一週間だった。

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