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あかきん号との出会いは1本のTELからだった。
兄のバイクが邪魔なので買って欲しいと、H2でレースをやっていた知人からの話。 希望の値段を聞いてホイホイ引取りに行くと・・・お兄様登場。 このバイクは改造に300万かかったんだから、その値段じゃ売れない。と 弟の希望の値段の倍を言ってきた。 こちらは持って帰る気で来ているので後に引けず、しぶしぶ条件を飲んで お兄さんの希望価格でお買い上げ。 どこかで見覚えのあるバイクだなと思いつつ、家に帰ってすぐにバラバラ。 このままじゃ何だな〜とフレームのスティ類をカットし、粉体塗装に出した。 そして4ヶ月経った2008年1月。 ちょうど?「くろきんベベル」のエンジンが亡くなったので「あかきん」復活を誓い、作業が始まった。 「どうせならさらにカスタムしちゃえ」と言う事で フロントフォークはM1R。 ブレンボ砂型にディスクロータはφ320のサンスター。 フロントホイールはTZ用17インチテクマグ。 リアキャリパはゴールド小むすびに998RS用ディスク。 メーター周りは900SSの流用。 シートとステップの関係はPASOに近くて楽チン。 エンジンはハイコンプピストンにフライホイール軽量化。 1ヶ月後は第一回ミレ祭りだった。 どこかで見たことがあるはずである。出版と同時に購入し26年間穴が開くほど見ていたこの本 そして箱根。 あれから25年、再びここを走らせてやれることが嬉しかった。 最近、PASOを17インチにしてみて気付いたのだが、「あかきん」の乗り味に良く似ている。 確かにフロント回りはPASOそのものだし、シートとステップの関係もPASOに近い。 知らないうちに近づけていたのか? それでもシート高を20mm上げてあるため、旋回へのアプローチは916の様で楽しい。 黒金900SSと乗り比べると、その違いがまた楽しい。 |
My Motorcycle
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還暦の祝いにバリバリのレーサーレプリカに乗りたいと
義父が買ったバイク。 やはり楽しく乗れなかったようで、譲り受けた。 とにかく乗りやすかった。2stオイルを入れるのを忘れるほど2stを意識させないバイクだった。 2年くらい乗っただろうか? どんなに無理しても転ぶ気のしないバイクだった。 結局一度もカウルを外すことも無かった。 後に乗っている小僧も今年20歳になり、大型2輪免許も取った。 |
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80年代後半当時、京葉道路で何度か見かけ、気になる存在ではあったDUCATIのPASO。 そんな時、発表になったばかりの906に試乗する機会があり、その頃スランプ気味であったライディングに光が差した。そんな良い思い出を持っていた。 そして時は流れ〜 「くろきんベベル」復活の時に知り合った近所のベベル乗りの所に遊びに行くと、真っ赤なアイツがいた。 パソ(パゾ)750である。 中古で欲しい人を探していたが、誰も乗りたがらない。 仕方ないからバラしてフロント回りと電装をベベルに使って、後は捨ててしまうと・・・ 『ちょっと待った!』 と言う訳で我が家へ。出会いはいつも突然である。 うわさには聞いていたが、扱いにくいウェバーのキャブ。 良い印象だった906のかけらもない。 750と906ではマッチングが違うのか? そう言えば前に乗っていたダルマのSSもウェバーだったけど扱い易かったし・・・ 最初のツーリングで嫌になり、家に転がっていたデロルトに速攻で換えた。 まるで別のバイクに生まれ変わった。 やっぱドカはデロルトだね。と変に納得したものだった。 PASOに乗る人達はベベル人とは違い、あまりバイクにお金をかけない。 かけたくても、かけようがないのも事実。 元々が不人気車。安いから買ったと言う人も少なくない。 フルカバードだからメンテもしない。 不人気、安い、程度悪いのスパイラルである。 それでも俺はPASOが好き。 ドカがカジバ資本になった当時の気合の入れ方がわかる。 まずはタンブリーニによるデザイン。 バラしていくと、その後の916やMV-F4に通ずる設計思想が随所に見られる。 あの光をもらった前後16インチのハンドリング。 近未来的なスタイリング。 ボルディによるその後のドカのSTDとなったエンジン。 リンク式のリアサス。 ミラー一体型のウインカなどなど。 デスモセデイッチの様なサイドオイルクーラによる効率的な冷却方式。 タンデムを難なくこなせるのもPASOならでは 最近では唯一流通していたタイヤ(59X)が無くなるという試練が与えられているが これを乗り越え、みんな乗り続けて欲しいと思う。 我が家にも2台目のPASOがやってきた。途中で1台買っているから実は3台目。
これからは2台で出かけられるかと思うと今から楽しみである。 |
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復活の時 何年レースに使っただろうか? 復活に際してはエンジンのOHも必要だし・・・と考えていると 近所にベベルの出物があった。 これを買って「くろきんベベル」と合体させよう。 その間にエンジンを直せばいいさ。 そして赤いイモラがやってきた。 実はレースをやっている時にも一台900R1を買っているので、これで3台目のベベル。 乗る間も無く部品を移植して、安直な方法で「くろきんベベル」が蘇った。 この間に元々のエンジンはOH。 そして本来のエンジンに戻し「くろきんベベル」復活である。
ちょうどその頃、ネット上でベベルクラブの存在を知り、近所にもベベル軍団が居ることも知った。 ミーティングにも何回か顔を出し、今の仲間達と知り合うこともできた。 そして福島へのふわわキロオーバーでの連続走行。あちこちの高速での全開走行に老体は耐えられず 2008年1月、再び眠りについた。 次なる復活は何時なのか? |
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我が家にやってきたMHRではあるが、ナンバーが付くことは数えるほどしかなく そのほとんどはサーキットへ・・・ その間にクラッシュもあり、赤いMHRから銀のネイキッドイモラスタイルと変わっていった。 当時はツインレースも盛んでBOTTをはじめサウンドオブシングル、エコーデカトル、グランドスラム4と年間何戦もあった。 サーキットも筑波、SUGO、鈴鹿、間瀬、日光に山梨と足を延ばした。 結果は最高でも3位と大したことはなかったが、怪我も無くずいぶんと楽しませてもらった。 足回りは色々試した、当時出たての17インチにもしたりして 水冷の速いバイクも出てき始めた 対抗するためにNEWマシンを投入したが、乗り手が限界だったようだ そうこうしている間に人生の転機を迎え、生き物としての役目を果たし、バイクに乗る間も無くなり この時を最後に、ベベルもガレージの隅で眠っていった。 ほこりをかぶり白い粉まみれのエンジンを見ては、涙ながらに
「いつかきっとまた走らせてやるから」と声をかけたものだった。 |



