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先週末の伊勢湾の続きで、伊勢から和歌山方面にでも行こうと考えていたのだが
雨の予報もあり、ゆっくり家でバイクでもと。 そこへ「久しぶりに白樺荘(赤石温泉)に入りたいなあ。」と相方。 そう言えば奥静には春、夏、秋と行っているが、冬に訪れたことが無い。 この時期は凍結もあるだろうからバイクは辛いが 大井川鐵道の井川線に乗るにはいい機会かもしれない。 先月、小湊鉄道に乗ってバイクとは一味違った景色を楽しめたし 小湊と同じようにさんざん周辺から眺めてきた井川線を、 「車窓から」といった違うレイヤーを重ねてみるのも良いだろう。 時間と天気次第では、畑薙ダムから先を歩いても良いし。 行かない理由が無くなってしまった。 雨が止むのを待って、6時過ぎに出発。 圏央道もアクアラインも対向車線はいっぱいだ。 こちらの車線はガラガラ♪ 東名に入っても交通量はさほどでは無く、そのまま島田金谷ICへ。 奥静はたまらなく魅力的な場所。 毎年。多いときは年に何度か訪れている。 途中でおやつを食べながら大井川沿いを遡上。 駿河徳山駅を過ぎたあたりで大井川を渡り、県道r77へ。 ここができたら対岸のR382は旧道になるのだろう。 のんびり走れる道がまた増える。 接阻峡から先は路面に雪が残っている。 昨夜の雨、こちらでは雪だったのだろう。 せっかく冬に来ているのだから、少しは雪がないとね。 まっすぐ井川ダムへ。 少しだけ雪化粧された井川ダムはいつもより壮大に感じる。 その横を歩いて、井川駅。 まずは切符を求めに窓口へ。 鉄ちゃんじゃない我々、美味しい所だけ乗ろうと降車駅を「奥泉」に。 『片道920円、往復だと1800円になります。 片道だと硬券、往復だとこの印刷されたチケットになりますが。』 硬券にちょっとグラっと来たけど、あれを集め始めたら大変なことになるので 「往復で♪」 チケットを見ると、2日間有効? 「これ、明日も乗れるんですか?」 『あ、そうですよ。』と駅員さん。 こんな時期のこんな場所の路線。 俺たちだけの貸切だったら何だか申し訳ないよね。 なんて話していた。 切符を買っている間に改札が開くと、どこからともなく人が現れて・・・ あっと言う間に乗車率6〜7割に。 この井川線は、そもそも大井川ダム建設のために作られ、 その後、井川ダム建設のために延長された。 役目を終えた後、中部電力から大井川鉄道に譲渡され 旅客用として今も運行している。 そんな生い立ちから、レール間こそ一般的な軌道だが 車体は極端に小さく、横幅は小さなシートが3列あるだけだ。 空いている座席に座ると、間もなくして出発。 今までずっと思っていた方向と逆に進んでちょっとびっくり。 いきなり小さなトンネル。 抜けると目の前に井川ダム。 遊園地のちょっとしたアトラクションだ。 もっとも今時の遊園地の乗り物の方がよっぽど上質な乗り心地だろう。 先頭に機関車、客車は3両。機関士1名、車掌1名。 車掌さんは女性だ。 まるで観光バスのように車窓からの景色をアナウンスしてくれる。 道路にある「この下を鉄道が走っています」の看板を見ると 下を覗きこんで線路を探している。 今日はその線路から上のガードレールを見つけては喜んでいる。 この時期は木々の葉っぱが無く、見通しが利くのがありがたい。 わずかに道路と並行する区間を走る。 車と列車が出会える瞬間だ。 小湊鉄道でも味わっているが、こういう場所は妙に嬉しいものだ。 ここを過ぎると我々の好きな閑蔵駅だ。 トンネルを抜け、カーブの途中にあるこの駅は何か魅かれるものがある。 2014年にこの先が崩土して、昨年の3月まで不通だった。 そんな列車の来ない駅にずいぶん立ち寄ったものだ。 山に囲まれたこの駅は残雪もあり、ホームも凍っていた。 閑蔵を過ぎると列車は道路を離れて山間へ。 そして関の沢橋梁を渡る。 高千穂線が廃線となった今、日本一の高さとなった鉄橋だ。 窓を開け、身を乗り出して谷を覗き込む。 こんなことができるのもこの列車の良い所だ。 対岸の道から、この橋梁が見えるらしい。 以前、閑蔵側から行こうとして通行止だった道だ。 接阻峡温泉側からは行けるらしい。 今度行ってみよう♪ そして尾盛駅。 今は道路(遊歩道すら)も接続していなく、この駅に来るにはこの列車で降りるしかない。 秘境駅として有名な駅だけに2〜3人がここで降車した。 ちょっと降りたい衝動にかられたが、それはもう少し経ってからにしよう。 次は接阻峡温泉駅。 ここは道路と接続しており、駅前に直売所のようなものもあることから、 ここに停まっている列車の姿もよく見かける。 長島ダム建設により沈んだ集落が、近くに移動して接阻峡温泉として広がっている。 接阻峡温泉を過ぎると、その長島ダムによってできた湖、接阻湖が現れる。 そしてこのブログでも何度か紹介しているレインボーブリッジを渡り、 最初は上の道路から眺め。(今は車両通行止) 次は線路まで迷い込み。(今は駐車場に) 次は歩いて橋を渡って駅まで。 そしてようやく列車でここに来れた。 湖岸には旧線路を今でも見ることができる。 駅からも橋を渡って、 つぎは「ひらんだ駅」。 ここにはカヌー競技場があり、道路が湖まで続いている。 元は「川根唐沢駅」があったらしいが、今は湖に沈んでいる。 また、近くにカヌーで抜けられる旧線のトンネルがあるらしい。 そしていよいよ長島ダム駅。 もう何度も訪れている長島ダムに面した駅。 もちろん長島ダム建設によって出来た駅だ。 ダム建設による線路の付け替えが生じ、 その結果として標高差ができ急勾配になったため ここから次の駅までの区間はアプト式となっている。 駅に停車するとアプト式の電気機関車が迎えに来て接続する。 昨年はバイクで来て、ここでその接続を見た。 電気機関車に牽引されて、アプト区間をゆっくり下る。 車窓からは長島ダム。 このシーンも道路から何度となく見てきた。 最初は県道から。 そしてキャンプ場上から。 線路の真上からも。 そして「うさぎ辻」からも。 ようやく自らが乗って体験できた♪ ダムの下に小さなトンネルがある。 ダムの上から下への通路となっているトンネルだ。 ここも旧線のトンネルらしい。 こういう過去から残されたものを活用する気持ちが嬉しい。 次は「アプトいちしろ駅」。 しばらく停車して電気機関車との連結が外される。 そして一番前でかぶりつきで連結が外される様子を見ている。 どれだけ好きなんだろう(笑) ここも以前バイクで来て、機関士さんに教えてもらいながら接続を見ているのに・・・ 駅の横には大井川ダム。 そもそも大井川ダムを作るために、この井川線はひかれた。 電気機関車とは、ここでお別れ。 その横にも旧トンネルがある。 今はキャンプ場とをつなぐミステリートンネルになっている。 前にこのトンネルをチビッコで走り抜けたことがある。 次の奥泉駅までの間にもポイントで別れる線路がある。 県道r388のオレンジ色の橋を下から仰ぎ見ると、 お茶畑の中、奥泉駅に到着。 ここは寸又峡との接続駅になっているだけあって、有人駅だ。 今日はここで降りて折り返す。降りたのは我々2人だけ。 切符を駅員さんに見せると、次の井川行きが最終ですが、井川からは大丈夫ですか? と心配してくれる。優しいのね。 15分ほど駅舎の中の展示物を見学していると、下り列車がやって来た。 意外に人が乗っている。 あれ?この編成にはトロッコが接続されている。 しかも空いている♪ 外を歩く想定の服を着ているので、暖房の無いトロッコでもOK♪ 窓も壁も無いトロッコは開放感抜群! そしてまたアプト電気機関車接続。 さすがはトロッコ、さっきは見えなかった所まで良く見える。 あの道のあそこで〜 あのガードレールの下にカモシカが〜 と、バイクで走った道を相方が指差す。 その指先を他の乗客がキョロキョロ(笑) そしてさっきはわからなかったアプト式のラックとギヤ噛み合いをお尻で感じられる。 ダイレクトな木の椅子の恩恵だ。 長島ダム駅に停車すると、接続解除。 何度見ても飽きないようだ。 見るほうも大変だが、毎回ここで繋いだり外したり、行ったり来たりの電気機関車も大変だ。 ひらんだを過ぎ、レインボーブリッジで湖上へ出る。 バイクに乗っているような人じゃないと、この風は辛いよね。 トロッコ貸切♪ 前も後も見放題♪ ひらんだ駅の先のトンネルの壁には、ライトアップされたパネルが並んでいる。 先ほどよりもゆっくり走ってくれて、じっくり楽しめる。 次の接阻峡温泉でほとんどの人が降車。 関の沢の谷底も、思い切りのぞき込める。 さすがに尾盛駅で降りる人は誰もいない。 閑蔵駅では、すれ違いのためしばらく停車。 またまた道路と並行して走って そして井川ダム手前の奥泉ダム。 接阻峡の谷底にあるこのダムは、道路からはほとんど見ることが出来ない。 行きは人も多くてのぞき込めなかったが、 帰りのトロッコからは良く見ることができた。 最後に井川ダムで 寂しい気持ちで井川駅のホームに降りると、 廃駅となった堂平駅に通じる鉄橋とトンネルが見える。 あの鉄橋の下の道を何度走っただろう。 堂平駅は畑薙第一、第二ダム建設の資材運搬に使われてその役目を終えた。 当初の計画だと、畑薙第二ダム手前まで井川線を延長して資材を運び その後は旅客用に転用して、井川集落の住民の足になる予定だったと。 その頃ちょうど佐久間ダム建設に使用していた大型トラックの転用が可能になり 列車から車両運搬に切り替わった。 列車から車へ。時代もちょうど転換期だったのだろう。 その堂平駅跡にも以前、訪れている。 駅から井川湖沿いの廃線跡を歩き、蜂箱おじさんとの出会いもあった。 あれから廃線跡にも立ち寄るのが日課になった。 その昔、TTR250で走ったこの道を、6年前にPASOで迷い込んだ。 それ時のことは何度も書いている。 それが縁で白樺荘にも通うようになった。 この日も畑薙第一ダムまで行ってからと思っていたのだが 井川から先はアイスバーン♪ 早目に宿に着いて、温泉に浸かろう♪ 5時前にチェックイン。 茶臼岳を眺めながら、ツルツルの露天風呂でのんびり。 豪華ではないが、必要十分な晩ご飯をいただき 再びお風呂。 あれ?星が見えないぞ? こうしてまた奥静に抱かれて、眠りについた。 |
DUCATI BEVEL
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お天気が崩れる予報だけど
晴れてて暖かなので、今年初べベル♪ 第四種踏切と言うらしい。 |
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神島を歩いて一周してきた我々。
お腹が空いてきたので、お昼ご飯を食べようと店を探すが見つからない。 さあどうする? しかたなく宿に戻り、何か食事ができないか聞いてみる。 宿のおばさん 「何か適当に作るから待っといて」 『はい♪』と、我々。 予約の電話をした時から感じていたのだが、とにかく言葉数が少ない。 しつこく聞けばいいのだろうが、それも何だか・・・な我々。 何が出てくるのかドキドキしながら待つ。 もっとも宿の夕食なんてお任せ料理な訳だから、そう思えばなんてことないのだが。 普通に焼鯖と煮魚の定食が出てきて、ひと安心。 お腹いっぱいいただいて、さあ午後はどうするか? どこかのカフェでのんびり〜といきたいところだが、肝心の店が無い(笑) 瀬戸内なら別の島に渡って・・・となるのだろうが ここから出たら最後、神島に戻る船は鳥羽からしか出ていない。 そもそもそれがわかっていたから、ここに宿を取ったわけだ。 ゆっくり島の時間を堪能しよう。 そう言えば宿でもらったウォーキングマップに気になる所もあった。 (今さら?) それじゃあ逆周りでもう1周してみようか♪ 午前は時計回り、午後は反時計周りだ。 時間はたっぷりある。 看板も出ていない細い道を登ると、たいがい畑がある。 結構な急勾配だ。年配の方は辛いだろうに・・・ そういえば、「ポリ缶運び」のイベント案内のポスターが港にあった。 集落には車の走れる道が無く、ご高齢の方が多いため 地元の中学生が灯油の入ったポリ缶を背負って各家庭に運ぶのだそうだ。 今は本土から海底ケーブルで供給されている電力も、以前は島の発電所で自給されていたらしい。 その発電所は非常用として残されていた。 水もまた同様に、今は松阪市の蓮ダムから海底のパイプラインで島の給水タンクまで運ばれている。 3年前に島の横をフェリーで通過した時、灯台と間違えて撮影した白いタンクが給水タンクだったことに今回始めて気がついた。 島に送水が開始されたのは昭和54年ということだが、それ以前は島にある2つのダムでまかなっていたようだ。 そのダムの1つを見つけることができた。 白蛇伝説? その近くには神島中学校の校門が残されていた。 昔、海女さんが油を塗って鏡代わりに使ったという鏡石を探してこの辺を軽く一周歩き。 島唯一の車道を歩いて、神島小中学校へ。 新しい校舎は、どう見ても高齢者向けのグループホームに転用可能な造りに見えてしまう。 ここにも中学校の旧校門・・・ そして立派な体育館。 あの港からここまで資材を運ぶだけでも大変だったことだろう。 校庭に電子基準点というものがあった。 日本には1300箇所もあるというが、初めて見つけた。 午前中より雲が少なく、空は青くなってきた。 午前中、延々と下ってきた道は、延々と上り坂になる。 下りながら大瀬崎のようだと言った道は、まさに大瀬崎の登りになった。 そして再び監的哨。 やっぱり、海も空も青い方が良い。 三河湾も奥まで見えるようになってきた。 本日2度目の神島灯台。 登り坂では見えなかった景色が下りだと良く見える。 今度は八代神社の 長い階段を下る。
そう言えばこちら側にもダムがあったハズ。 タンク跡?と思われる道を辿ってみる。 あったあった♪さきほどのと同じ砂防ダムのようなダム。 ここは集落の上に位置しているため、水を流しながら利用していた様子が今でも伺いしれる。 洗濯場跡は残されている。 そこの部分だけが凹んでいた。 その先には時計台。 この島に時計は要らなかったのかもしれない。 その横では基礎工事が行われていた。 ここの集落でも新しい家が点在する。 狭い通路、そして斜面に寄り添う家。 そして、この島の家々にはみんな注連縄が飾られている。 さすがは、お伊勢さん近くの神の島というだけのことはある。 ほとんどは「蘇民将来」だ。 なかには我家と同じ「笑門」もあった♪ 漁師の島だからね「大漁満足」 そして「千客万来」 しかも灯りが点いてるし・・・ 入ろうかと思ったが相方曰く、もうビールの時間だそうで 宿に戻ってビールを飲むのだと・・・ 島には酒屋はおろか、缶ビールの販売機も無い。 今思えば、ここの喫茶店で飲めば良かったのだが・・・ 宿に戻って「かんぱ〜ぃ」 気を利かせて早目にお風呂の準備もしてくれた。 本日の宿泊客は我々だけ(笑) 当然お風呂も貸切だ♪ 陽の傾いた良い時間、 相方が風呂に入っている間に港に出てみる。 ふと振り返ると、展望風呂から手を振っているし・・・ この宿は4階建てで、最上階が展望風呂! この島でこのサービスは嬉しい限りだ。 地元で獲れたであろう魚の料理は、昨年亡くなった父親の料理によく似ていた。 乾燥のためか?風邪を引いたか?夜ものすごく喉が痛くなってきた。 そして風も吹き荒れ始めた。 |
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行きたくてもなかなか行けない場所というものは誰にでもあるだろう。
我々にとって行き難い場所は、やはりバイクで行けない場所になる。 道が無ければ話にならない。 フェリー航路の無い離島もそうだ。 今回、ずっと気になっていたけど行けずにいた伊勢湾の島に行こうと決めた。 西洋灯台150周年の年だからだろうか? 急に行くことになった。 今年2回目の積雪となった金曜日の夜、路面凍結の恐れもあるので早目に出発。 新東名の清水PAで2時間ほど仮眠を取って、夜明け前には伊良湖岬に着いていた。 水平線に雲が無ければ夜明けの伊良湖岬灯台を見に走るのだが 生憎の天気、点灯している灯台を確認するためにゆっくり歩く。 南岸低気圧のためか、とにかく風が強く海も荒れている。 伊良湖岬灯台の周囲は歩けるようになっているが、波が高くてとても無理。 日本の三海門のひとつである伊良湖水道を挟んだ所に位置する神島の灯台の点灯も確認できた。 そう、今日の目的地は神島。 神島に渡るには鳥羽からの市営定期船か伊良湖からの観光船しかない。 今日はここから観光船に乗る予定なのだが・・・ 果たしてこの波で大丈夫なのだろうか? 伊良湖港以外は有り得ないので、まあ来ればわかるだろうと思っていた。 フェリー乗場を兼ねている道の駅から周囲を見渡すと、桟橋にそれらしい船が停まっている。 灯台を見て遊んでいたら、よい時間になったので 桟橋に向かうと、釣竿を持った人達が十数人集まっていた。 我々以外は全員釣り人、みんな知り合いのようだ(笑) 船長さんに船賃を支払い操縦席の後の席に腰を下ろして 「別にその席でもいいけど、後の方が揺れないよ。」と・・・ 『え?そうなの?』と後を振り返ると、釣りの人達ですでに満席・・・ みんなちゃんとわかっているんだよね。 出航間際に何人か乗って来たけど、みんな操縦席の後で立ち見。 なんだここが特等席だったんじゃん♪ さすがは日本三海門だ。 船酔いするからあまり小さな船は乗らないようにしていたが・・・ 人生最大の揺れを体感できた(笑) ライフジャケットも着てないし、転覆したら・・・と周りを見ると 我々以外は全員釣客、そして全員自前のライフジャケットを着ているし・・・ わずか15分間の船旅は酔う暇も無く、無事に神島に到着した。 まずは今夜お世話になる宿に荷物を預けてしまおう。 島で一番大きな民宿だ。と言っても2軒しかなく、もう1軒はやっているのかわからない状態だった。 一番大きいだけあって、海からもよく見えたのだが、いざ行こうとなるとなかなかたどり着けない。 道らしい道が無いのだ(笑) 民家の軒下、迷路のような路地を抜けて、やっと玄関に着いた。 荷物を置かせてもらってトイレも借りる。 後でわかったことだが、島の公衆トイレは港に一箇所あるだけだった・・・ さあどこから回ろうか? ノープランな我々は、とりあえず宿の前の階段を登り始める。 この神島の集落は、港周辺の僅かな斜面に固まって建っている。 狭小な土地に2階、3階、4階建ての家が軒を連ねている。 庭というものはほとんどの家で存在していない。 家と家の間の狭い路地、そしてコンクリート製の階段が人の移動する道なのだ。 時には家の外付けのコンクリート製の階段までも・・・ まるで端島(軍艦島)の集団住宅のようだ。 手前の家の屋根伝いのような道を歩いて行くと保育園があった。 そのまま歩くと八代神社。 神島と言うだけあって、神様の支配する島と信じられているようで 立派な神社だ。 それにしても寄付者奉名板の名前に小久保さんが多いなぁ。 そして、ここも階段・・・ 島の北側の道へ ここを登ると、先ほどの伊良湖水道越しに伊良湖岬灯台が見える。 さらに登ると・・・ 神島灯台が見えて来る。 やっとここに来る事ができた。 思い起こせば3年前の正月にフェリーから眺め、いつかは・・・ と思い続けたものだった。 風雨にさらされた看板がまた良い味を醸し出している。 退息所は撤去されたようだが、別の小屋があり、灯台下のスペースも展示に使われているような感じだ。 ここでお湯を沸かして珈琲を入れ、 伊良湖のコンビニで買った 東海限定の小豆フレンチトーストでおやつ。 名古屋港や四日市港の入口になっているだけあって船の往来が激しい。 そんな船の動きを眺めて、のんびりと島の時間を楽しむ。 横では鷲よりも少し小ぶりな鳥が縄張り争いだろうか? 強烈な急降下と鳴き声で戦っている。 隣に説明書きの看板があった。 ここだけで1日のんびりしちゃいそうなので、先に進むことにする。 苔生した階段を登って行くと、さらに登る何の表示も無い階段の道があったので そちらを登ってみる。 おそらく灯明山の山頂なんだろう。 がっかりして下りて、先に進む。 いつしか階段の道は丸太の遊歩道になっていた。 腐った丸太が崩れて、そのまま尻餅と共に滑り・・・ 下まで行かなくて良かった(汗) 下った先に監的哨跡があった。 監的哨は戦時中に伊良湖から発射された大砲の着弾点を確認するために建てられたらしい。 フィードバック制御のセンサーみたいな役割か? 観光用に少し手直しされているようだが、中には扉の壊れたトイレも残っており 獣の匂いに包まれていた。 そして壁にはいたるところにカタツムリが・・・ ここからの眺望も素晴らしく、その窓枠からは・・・ はみ出して立てられているこの棒が目標を定める何かだったのだろうか? そしてこの場所は映画「潮騒」のクライマックスシーンに使われていたようだ。 帰ってから復習しなくては・・・ ここからはまた下り坂。転ばないように気をつけて進む。 先には弁天岬が見えてきた。 この光景は福江島で見た大瀬崎灯台への道に似ている。 あの先にも灯台があればなあと、思ってしまう。 そんな事を考えていると、さっきから建築現場のような音が響いている。 素敵な丸太の垣根の向こう側で、 神島小・中学校の校舎が解体されているようだ。 少し高台に新しい校舎ができていた。 老朽化のためだろうか?津波対策だろうか? 生徒は今何人いるのだろうか? いずれにしてもあれだけの校舎は必要ないのだろう。 その横にはカルスト地形が見られる。 しばらく波の音を聞きながら、ゆっくりと時間の流れを感じる。 さあ次に進もうと思ったら、工事の音が聞こえ始めた。 ちょうど午前のお茶の時間だったようだ。 神島は渡り鳥も多く、バードウオッチングでも有名らしい。 グンカンドリも見られるとか・・・ 島の西側に抜けると、浜には大きな岩が横たわっている。 高圧線だろうか? 山側にあらわになった地層は、チバニアンよりも凄そうに見えるが・・・ 地元のご夫婦が作業をしている畑の中を歩く。 今時だから、車で送迎しているのだろうか? そう言えば、島で車の走れる道は、港から小学校の1本道だけだ・・・ その道を歩くと、最初の集落に戻る。 これでだいたい島が一周できた。 のんびり歩いて3時間といったところだろうか。 そろそろお腹が減ってきたので、何か食べれる所は? と探すが無い・・・ お店?のような家も閉まっている。 途中の喫茶店のようなところも閉まっていたし・・・ 港の施設も・・・ あるのはジュースの自動販売機4台だけ・・・ 長くなったので、後編に続きます。 |
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今日も見事に晴れている。
山の方も考えたが、工事中の気仙沼大島の橋を見に行こうと 自然とフェリー乗場に。 港にあった復興商店街はすっかり更地になっていた。 そういえば去年は一度も気仙沼に泊まっていなかった。 帰ってから調べてみると、今は「南町紫神社前商店街」となって昨年の11月にオープンしているらしい。 (気仙沼プラザホテルのブログより) 同ホテルにはまた泊まる機会があるだろうから、その時に訪れてみよう。 仮設のフェリーターミナルでチケットを買うのもこれが最後かもしれない。 そもそもフェリーそのものもいつまで存続するのだろう? せめてもう一度、チビッコを積んで乗りたいものだ。 三が日ということもあり、島に帰る人々でフェリーは混んでいる。 橋の開通は来年度中と言うから2019年の3月までには完成するのだろう。 実際のところ橋はすでに出来上がっていて、周辺の連結道路の完成待ちのようだ。 島の住民限定でよいから橋だけでも渡れるようにしてあげたら良いのに・・・ なんて余計なことを考えてしまう。 前回、島に渡ったのは3月だった。 次は暖かい頃がいいなあと、前に自転車を借りたレンタルサイクル屋に行くと・・・ なんと!3日までお休みとな! 島の先端の龍前崎はいいとしても、亀山くらいは登りたい。 電動アシスト自転車の予定が、自らの足で登ることになった。 寒いはずの気仙沼で、汗をかきながらの登山となった(笑) 気仙沼から志津川までのR45を走っていると、ずっと見えている山がこの亀山だ。 標高は235mとたいしたことないが、周囲が海抜数mなのだから、見晴らしは良い。 震災の時に気仙沼で起こった重油の火災が、引き波でこの亀山を襲った。 そのため、中腹から上は禿山だ。 先ほど海面から見上げた橋を、今度は眼下に見下ろす。 それにしても風が強い。西からの風が遠くの山からの雪を運んでくる。 中腹にある大島神社に立ち寄ってから、 島の南側に下りて海沿いに回ろうか。 南側の道は行き止まり・・・ 何か乗り物に乗っているのなら、行って戻ればよいが 徒歩で下ってまた同じ道を登るのは辛い。 被害が少ないうちにUターンして、休暇村に向かう。 ベベルで行ぐべえで泊まるとしたら、どこだろう? なんて話しながら宿舎を探索。 そのまま田中浜へ降りる。 この辺は前回、横目に見ながら自転車で走った場所だ。 その時に見逃していた「みちびき地蔵」を探しながら歩くと 田んぼ道に小さな看板があった。 みちびき地蔵の話はこんな内容だ。 その地蔵は、明日死ぬという人の魂が亡者の姿になって、天国に導いてもらえるように挨拶に来ると言い伝えられている。 母子がその地蔵をしばらく見ていると、亡者の姿になった大勢の村人や、牛馬までもが次から次へと挨拶に来て、天へと上がっていった。 この様子を見た母親は怖くなり、子の手を引いて急いで帰宅した。子は父にその話をしたが、狐にでも化かされたんだろうと取り合ってもらえなかった。 翌日、島の浜辺の潮が引き、家族で潮干狩りに出かけた。浜辺には大勢の村人が出ていて、村の老人は、こんなにも潮が引くのは何十年ぶりだと話している。 やがて潮が満ちてくる時間になってもまだ潮が満ちてこない。 村人がおかしいと思っていたところ、沖の方から、山のように高い大津波が浜へ襲ってきた。 親子は急いで裏山に上り、3人とも助かったが、他の逃げ遅れた大勢の村人が津波にさらわれて亡くなった。 母親は、昨日見た亡者はこの津波で死ぬ人だったんだと確信した。 村の書きつけには、この津波で61人が亡くなり、牛馬6頭が死んだと記されている。 みちびき地蔵には今でも花や線香が欠かさずに供えられている。 朝からずっと歩いていることもあり、空腹も限界。 フェリー乗場からすぐの所に確か食堂があった。 さっき前を通った時に開いていたような気がする。 開いてなければ気仙沼まで戻らないと・・・ 天は我らを見放していなかった♪ ちゃんとお店は開いていた。 中は暖かく、もう天国のよう。 温かいフカひれラーメンにしようか迷っていると、 これから蒸すから時間かかるけどいい? どうせ次のフェリーには間に合わないし、その次はさらに1時間先。 あと瓶ビールとレモンサワー♪ 今思えば、このまま大島に宿を探せば良かった(笑) おじさんはおもむろに、外に牡蠣を取りに行った。 ここの牡蠣は当然地元大島産で、外洋側で育てられたものらしい。 生は苦手な俺だが、ここの蒸牡蠣は本当に美味しく食べられた。 多分、今まで生きて来た中で、一番牡蠣が美味しいものだと思えた瞬間だった。 フカひれの入っていないラーメンを食べ終わる頃、ちょうどフェリーの出航の時間だった。 そう遠くに行く元気も無い。 前から気になっていた岩井崎に行ってみよう。 気仙沼港に延びるバイパスの橋の工事下を抜けて、岩井崎へ。 亀山の上から見ていて、ずっと気になっていた岬だ。 仮設の駐車場から仮設の歩道を歩く。 しかし、風が強い。 気を抜くと、海まで吹き飛ばされてしまいそうだ。 沖合いには岩礁があるのか、白波が立つ場所がある。 震災後に取り上げられていら龍の松も、ここにあったんだね。 ここも芝生が緑の時に、ゆっくり訪れてみたい。 岩井崎灯台にも当然立ち寄る。 遠くに大島の龍舞崎灯台が見える。 大島が天然の防波堤と言われているのは、そういうことだったんだ。とあらためて感心。 取り壊されずに残っている気仙沼向洋高校に一礼して、R45へ出る。 流された鉄道の橋も、バス用に架け替え工事が進んでいる。 何時の日か、再び線路が敷かれる時が来るのだろうか? 三陸道も歌津ICまで延びて来た。 せっかくなので、さんさん商店街にも立ち寄るが きっとまた3月に来るだろう。志津川で給油を済ませ、そのまま三陸道へ。 今年もこうして東北で始まった。 またこんな感じで一年間お付き合いをお願いします。 |




