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今はテスト、就活、その他もろもろ(苦笑)のことに気をとられてばかりの毎日だけど、こういう遺書を読むと改めて、「ちゃんとしなきゃ!」と思う。
たくさんの人に読んでほしいので、特別攻撃隊だった方のブログ記事からトラックバックさせていただいた。
時間があったら読んでみてください☆
こういう遺書を読んで、いつも[今の日本人の感覚と違う]感じること。
悪いこといいこと関係なく、軍事的な教育のせいだということ中にはもあるけど気にしないで書きます。
・自分が国のために役に立つ、と確信しているところ。
手紙なので多少自分を鼓舞しているのかもしれないけど、自分が国を変える礎になれる!という喜びみ たいなものが伝わってくる。今の日本人で言えば、選挙に参加できる一票を持っているのに、その一票 じゃ何も変わらないと決め付けて選挙権を行使しないこととは対照的。選びたい有能な政治家がいない から、というのは言い訳だと思う。そういう人たちが選挙に参加しなくても、選挙では誰かが当選し、 政策を実行するんだから。
・家族以外の身近な人たちとのつながり。
遺書の中にもあるように、家族はもちろんのこと。でも戦時中の遺書には、家族以外の、例えば町長さ ん・隣近所・小中学校の先生などへ連絡してほしいと書いてあるものが多い。
トラックバックさせていただいた遺書には、「上海でお世話になった下宿の人々」にも出撃の連絡をし てほしい、とある。
今の私には、やはり今とはだいぶ違うなと感じる。
今の時代は隣近所など地域の人との 関係が薄れ、若い人たち(最近はそうとも限らない)のモラルが 低下していると言われている。
私もそのうちの一人だと自覚できる。
だって、隣のうちの苗字は知ってても下の名前は知らないし、家族構成もぼんやりしかわからない。何 の職業かは全く知らない。
さらに小中学校の先生とは全くつながっていない状態。年賀状も昨今は携帯のメールで済んでしまうた め、ほとんど出さない。
こんな人は多いのではないか。
・自立心が強い。
トラックバックさせていただいた、遺書を書いた本人の犬童さんは当時18歳。
「上海から一年振に内地に帰りましたが、一週間ぐらいで攻撃命令が下り、面会も出来たのですが、もし面会して未練でも残り、立派な働きができない様な事があっては申し訳ないと思ったのです。どうぞ悪しからず。」 (遺書より抜粋)
家族に面会する時間があっても面会すると意思が弱くなるので面会しなかった、ということだと思う。
死ぬとわかっているのに、普通は死ぬ前に一目家族に会っておきたいというのが心情だろう。
私には考えられない。21歳になったのに、精神年齢ではまだまだ甘ったれのオコチャマだと感じる。
これは自立心というよりは自己管理かな?
・上とかぶるかもしれないが、精神年齢の高さ。
現代が低いのか、昔が高かったのかはわからないが、
「大日本帝国に生まれた事をつくづく感謝します。」「ニッコリ笑って行きます。」と最後の家族への手 紙に書き残す精神力。。
これが本心だったのか、家族を思いやってこう書いたのかはわからない。
でも私にはマネができない。
以上です。他の遺書とも読み比べても、上記のようなことが書いてあることが多いと思いました。私の感想です。
最後に、この遺書書いた犬童憲太郎さんのご遺族が亡くなられたということで、ご冥福をお祈りします。
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