ここ最近、眠りにつく前にどうしても思い出してしまう、あの時のこと。
楽しかったことやみんなの笑顔、大切なものをたくさん思い出す。
だけど、それ以上に深い闇にとらわれて、気づくと涙が頬を伝っている。
あの頃のことを思い出して、今でも思うことと、今だから思うことと。
吐きだしたいの。
だから書こうと思います。でも、けっして綺麗な話じゃない。
まだ中3だった頃の私の、小さな世界で起きた大きな事件。大きな闇。
はたから見れば、たいしたことのない話かもしれない。
世の中はもっと理不尽で、汚いことなんていくらでもあるだろうから。
だけどそれでも、当時の私たちにとっては衝撃の連続だったあの日々の話。
私個人の、感情的な偏見もあると思う。
だけどこれは、事実です。
ファン様限定にしようかとも思いましたが、出来れば多くの方に、知ってほしい。
汚く長い文章になると思いますが、読んでくだされば幸いです。
*
私は中学のとき、吹奏楽部でした。
小さな学校の、小さな部活。部員も少なく下手くそでしたが、みんな精一杯練習に取り組む、楽しい部活でした。
自分たちの代が入学する数年前までは、学校全体が荒れていて、吹奏楽部もその当時の顧問が部活を放棄してしまうほど荒れていたそうですが、私たちより2つ上の先輩たちが部活を立て直してくれたのです。
(余談ですが、私はその時の部長に憧れて今の高校に入学し、高校でも吹奏楽部に入りました。今でも先輩のことを尊敬しています。)
ひとつ上の代の先輩が部活を引退し、部長に任命された私はこれまで以上に部活を活性化させられるよう、仲間と協力して努力しました。少ない部費を出来るだけ講師の先生のレッスン費に回せるよう、文化祭の模擬店で売上を上げるために工夫をしたり、外部のイベントに積極的に参加したり。先輩たちが築き上げてくれたこの部活を守っていきたいと強く思っていました。そしてコンクールでは、次こそ必ず、目標である「県大会出場」を果たしたいと思っていました。2年連続でダメ金で、おしくも県大会出場を逃していたので、自分たちの代では必ずその先へ進みたかったのです。正直、技術的にはほとんどの部員がかなり下手くそだったので、いろいろ考えた末、大会曲を早くから練習し完成度を高めようということになり、7月末のコンクールに向けて1月から練習を始めました。
ところが次の年、部活の顧問が転任することになったのです。
衝撃でした。4年しか自分たちの学校に勤務していなかったので、まさか転任することになるとは誰も思ってもみなかったのです。でもこればかりはどうしようもありません。たくさん泣いたけど、最後は笑顔で見送りました。
そして4月。新しくやってきた音楽の教師が吹奏楽部の顧問になりました。
顧問が変わって、いつも来ていただいていた講師の先生も変わったのですが、前の講師の先生に私たちはこう言われていました。「先生を味方につけなさい。」この時はまだ、私たちはこの言葉の意味が半分もわかっていませんでした。でも、早く新しい先生と仲良くなって、コンクールに向けて一緒に頑張りたい。そう思って、部員もみんな積極的に新しい顧問とコミュニケーションをとっていました。
が、この時からすでに、顧問と部員との間には壁があったと思うのです。
顧問は何かと、自分が前の学校に勤めていたときのことを自慢げに話してきました。
前の学校では毎年金賞だった。自分が指揮を振っていた。自分は生徒に大変好かれていた。
あとでわかったことですが、この話のほとんどは嘘でした。
たしかにその学校がいつも金賞を取っているという功績はありましたが、それは別の先生が顧問をしていたときの話。彼は副顧問で、ほとんど指揮なんて振っていなかったそうです。顧問をしていた先生が転任されたあとに顧問になってコンクールにも出たけど、そのときは銀賞と銅賞。しかも生徒には嫌われていた。
それだけならただの見栄っ張りですみました。
しかし、部員たちが心を開いて接したのをいいことに、顧問の行動がどんどんつけ上がり始めたのです。
音楽準備室に私物を持ち込み、その部屋のコンセントでポットやパソコン、印刷機などを使い、完全に私物化。
朝も昼も職員室には絶対におらず、防音室になっているその部屋に引きこもっています。
「昼休みにその日の部活の予定を聞きに来い」と言われ、部長だった私は毎日その部屋に行かなければなりませんでした。風の噂ですが、その顧問が「前の学校で生徒との間に子供を作ってしまった」なんていう恐ろしい話があり、気持ち悪くて、本当に嫌だった。近づきたくもなかった。御信用にポケットにカッターを潜ませていたこともあります。
また、私たちが今まで大切に使ってきた部費を勝手に使い出したときも驚きました。
楽器や楽譜を知らない間に購入していて、会計の保護者に領収書だけポイッと渡したのです。
前の学校ではそういう制度だったのかもしれませんが、部費の少ないうちの部活で同じことをされては破産します。足りない楽器や楽譜だって、講師の先生経由で他校から貸してもらったりしていました。
毎年学校側でも何かひとつ楽器を買うためにお金を出してくれるのですが、顧問が書いためちゃくちゃなリストは校長に即行で却下されました。ひとつ買ってもらうだけでもありがたいことなのに、いくつも高い楽器の名前を書いて出したそうです(リストの一番上には75万のバスクラ)。これでは何も買ってもらえなくなります。
ただでさえ校長は吹奏楽のことなんて好きでもなく、何も知らない人でした。私の推測ですが、前の顧問が飛ばされた原因はこの校長にあると思っています。校長が前顧問を嫌っているのは、誰が見てもわかりました。
最初はフレンドリーに接していた部員たちも、顧問の言動に、次第に態度が変わっていきました。
部活に無断で来なくなる後輩が現れ始め、焦りました。聞けば、「顧問が嫌だ」。
「あたしだって嫌だ」と言ってやりたかったけど、みんな嫌だったと思う。みんな同じこと思ってるけど、ちゃんと部活来てるんだから、と言うしかありませんでした。
入学式や新入部員の勧誘なども終わり、本格的にコンクールの練習をする時期になった頃、私たちは本当に焦っていました。新学期になってから、コンクールの練習にまだ全然取りかかっていなかったからです。
コンクールについて、私たちは顧問にこう言ってありました。
「私たちは楽器が下手で、一曲を完成させるのにとても時間がかかります。1月からコンクールのために練習してきた曲があって、私たちとしてはその曲を演奏出来たらいいなと思うけれど、先生はやりにくいと思います。だから、もし新しくコンクールの曲を決めるのであれば、どうやって決めていくのか、どんな曲にするのか、先生の考えを聞かせてください。」
しかし一向に話が進まないままで、顧問は毎日、新1年生の勧誘のことばかり考えているようでした。「この人は私たちの代のコンクールは、もうどうでもいいと思っているのではないか?私たちは見捨てられているのではないか?」そう思いました。ついに顧問に、コンクールの練習を早くやりたいと言うと、顧問は私たちに何曲か吹奏楽の曲が入っているCDを配りました。「このCDに入っている曲から大会曲を選んでくれ」ということだったので、全員家で曲を聴いて、その後挙手でアンケートを取り話し合いました。
ここで決まればよかったのですが、そのまま話がまとまらなかったのです。決まった曲を練習すればよかったのに、どう見ても顧問は納得のいかない顔をしていました。そしてある日突然、私たちにあるDVDを見せ、「これをやりたい」と。
あの時間は何だったのだと思いました。やりたい曲があるなら、最初からそう言ってくれればよかった。「生徒に決めさせようとしたけど、自分の思い通りにならなかった。だからやっぱりこれをやらせよう」そう言われているようで、あまりにいい加減に考えられているように思えて、納得がいきませんでした。
嘘はつかれる、
部費は横領される、
自分勝手でお金のことばかり考えて、
実力もないのに変なプライドやポリシーばかり。
あたしたち部員のことなんてどうでもいいんだろ!
もう今から新しいコンクールの曲を練習する時間なんてない。
たとえ練習しても、絶対に中途半端な演奏になるし、もちろん県大会になんて行けない。
怒りも頂点に達し、ついに3年生対顧問で、泣きながらの話し合いになりました。
今までの不満を相手に理解してもらうために口にして、時間がないこと、どうしても県大会へ行ける演奏をしたいことを3年生全員が言ってくれました。私だけでは泣くことしかできなかっただろうけど、みんながいてくれたから、あんな状況でも部長として頑張れたのだと、今でも感謝しています。
そして、「前から練習していた曲をやりたい。振ってくれませんか」と顧問に頼みました。
顧問はなかなかうなずいてくれませんでした。泣きながら頼んでも、顧問はそれでも自分の「ポリシー」を突き通したかったようでした。私には、そんな「ポリシー」、理解できませんでしたが。
私たちの様子を廊下から見ていた保護者の助けもあり、ようやくその翌日に承諾してくれました。
部員の前で話をしたあと私は呼び出され、「二度とこんなことはするな」と言われました。
自分のやろうとしていたことを曲げられたことが、よっぽど嫌だったのでしょう。
心の中では毒づきながらも、「はい、ありがとうございました」と言いました。
コンクールに向けての練習がやっと始まりましたが、ここからがまた大変でした。
顧問を嫌って反発する部員が続出したり、とにかく色々問題がありました。
バラバラになりそうな部活の士気を上げるために、大会1週間前から毎日、部活が終わったあと校門の前で全員で円陣を組みました。顧問に見つかるとまたごちゃごちゃと言われるから、見つからないように。
結局この年、コンクールでは銀賞でした。
でも、かなり上位での銀賞でした。悔しかったけど、やり抜きました。
だけど今思えば、あの時やっぱり、顧問もあの円陣の輪に、入れてやるべきだったとも思うのです。
どんなに嫌な奴でも、嫌いにならなければよかった。
せめてあの時だけでも、嫌いにならなければもう少し結果は変わってきたんじゃないか。
あの時はそんなこと全然思わなかったけど、高校でまた吹奏楽をやって、部長をやって、今思うのです。
中3の自分は、部長として間違った対処の仕方をしてしまっていた。
部長なら、もっと部員と顧問が上手くやっていけるよう、そのパイプ役にならなければいけなかったんだ。
そう気づいて、当時の部員たちに申し訳なくなった。…みんな、本当にごめん。
でも、顧問のことは許したわけじゃない。今でもあいつのことは許せない。
なぜなら、あいつはまだ今も中学でのうのうと吹奏楽部の顧問をやっていて、
私たちのひとつ下の後輩たちも、そのまた下の後輩たちも、今の部員たちのことも、苦しめているから。
見ていられなくて、引退したあとに教育委員会にメールまで送ったことがある。そんなの相手にされるわけないってわかっているけど、それでも何かしたかった。
私たちが守りたかった、先輩たちが作ってくれた部活はあいつに潰された。
あいつさえいなければという、憎悪の気持ちがおさまらない。今でも殺してやりたい。
あの時だって、ポケットのカッターであいつの首を切ることだって出来たかもしれない。
ただ、私がそうしないのは手放したくない大切なものがたくさんあるから。家族や友達、自分の未来…。
あいつは今、最近胃潰瘍で苦しんでいるらしい。正直そのまま苦しんで死ねばいいと思う。
そうすれば苦しむ吹奏楽部員も減って、また部活が復活できるかもしれない。
中学生なんてちっぽけだ。
無力で、自分たちで何かを成し遂げたいと思っても、大人の手なしでは何もできない。
当時の私はそれがもどかしくてしょうがなかった。
高校生になって少しは自分たちの力だけで出来ることが増えたけど、どうにもならないことなんかたぶんこの先もいっぱいある。
葛藤しながら生きていくしかないんだ。
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