無題
「やすこ」
押し寄せる波が繰り返し「泣けよ、泣けよ」と叫ぶのは、ひょっとしたら情緒不安定な、わたくしの心を
見抜いているのかもしれないし、ひょっとしたら今日が、亡くした女の命日だった事を知っているのかもしれない。いやいや、押し寄せる波が、そんな過去の記憶なぞを知る筈もないのだから、勘ぐり過ぎと気付きはするものの、やはり押し寄せる波は、「存分に泣けよ泣けよ」と繰り返しやがる。
波打ち際に、打ち上げられた小枝を取り上げて、ゆっくりと「やすこ」という文字を白砂に刻んでみた。亡くした女の名前である。しばらくぼんやりと「やすこ」の名前を眺めていると、打ち寄せる波が
染みて「やすこ」の名前を消し去ろうとする。
できるものなら、消し去ってしまいたい「やすこ」との記憶。嫌、消し去ってはならない「やすこ」との想い出。低く垂れ込めた灰色の雲、コートの襟
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