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私たちは興味深い本を読んでいる最中だ。変貌をもたらすという目的の本だ。しかし酸鼻を極める害を自分自身に与える可能性がある。それについて警告しておきたい。
目を覚ます手段として、書物、または教えや思想体系を見つけたとする。それで見てみれば、記述や説法、ワークショップなどはどれもこれも極めて緻密だ。しかもきちんきちんと筋が通っている。文句なしだ。それで記述の通りに生活していきさえすれば、または思想体系の原理の通りにきちきちに従えさえすれば、目が覚めると思ってしまう。 ところがそれは当てが外れるも甚だしい。 なぜ?そんなやり方では、神の生きている隣在をも、天地創造という運動をも意識的に経験することができないからだ。 この点には重きをどすんと置きたい。極めて重要なんだ。 神の存在という運動は昼夜をおかず、新たになっているものだ。その体験はどの思想体系にも従うものではない。絶対にだ。 しかし生きておられる神を身を以て体験し始めることは、エゴにとっては、不安な経験となる。予測できないので頼りない。 だから筋が通り、きちんきちんと並べた原理をもつ思想体系を求める人々がいる。求め出したら、それにねちねちしがみつく。しかしその人々は、神を体験することに対して、自己防衛にふけっている。なぜなら彼らは、静止したもの、要するに絶対的に頼もしく固定したものを求めているからだ。 でもそんなのは天地創造を体験することにはならない。 ACIMより 大いなる存在と共にだと思想体系はやはり無意味なものに・・・・・ |
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