|
学生の8月といえど、
今年の8月は地味に I have lots of things to do 。
でもお盆は帰ってきました。今年の盆は3〜4日くらいの滞在。
そんな帰省中の昨日は8月15日。
終戦記念日ということで、晩御飯のときには戦争の特番が放送されてた。
割と感情論主義者の多い我が家は(笑)、戦争についてあーだこーだと話し合っていたわけですが、
そのうちテレビから「玉砕」という単語が聞こえてきた。
「玉砕」−捕虜になるくらいなら自決をする方が良いという考え方−
この「玉砕」という方針によって多くの方が戦死されていった。
お国のためなら自分の命を投げ出すという行為…今の規範では到底考えられない。
でも当時はその「玉砕」を実行された方も多くいた。
それも軍人だけやなくて民間人までもが。サイパンとかは際たるもの。
そんな番組を観ていると、90歳の祖母が横でポツリとつぶやいた。
「昔、私は親に「あんたが女の子でよかったわ。せやなかったらあんたも兵隊に取られて戦死してたやろうでな〜」て何べんか言われたことあったわ」
と。
その一言を聴いて、改めて「玉砕」を当時の国民は快く受け入れていたわけではない、ということを実感した。
テレビにはサイパンでバンザイクリフから飛び降りて「玉砕」を実行された方の映像が映っていた。
今日のテレビにはなかったけど、これまでに「ひめゆり学徒」の悲劇も見聞した。
これまでの歴史教育で、ある程度国民は進んでお国のために命を捧げることを美徳としてた、みたいなことも習った。
でも、それはきっとギリギリの判断を迫られて最期にとった行動やったんやろうな。
当時は、そういう規範が国民に定着してたんかもしらんけど、でも実際に生き証人の話を聴くと
「玉砕」は本当に国民に深く浸透していたのだろうか、と感じる。
そういや祖父も「玉砕」より捕虜になることを選んでビルマで捕虜生活をしばらくしてた。
そういう話も踏まえると、やっぱり当時の国民も「玉砕」なんて望んでへんたんやろな。
しかし政府は、原爆が落とされる直前に鈴木貫太郎首相が
「一億総玉砕」を掲げたみたいやけど。
でも番組で言ってたように、きっと当時の政府内部でも国民が「玉砕」なんて本当は望んでなく、早く戦争を終結させる必要があると認識していた人もきっといたんやろうな。でもそうは言っても一度始めてしまった戦争を終わらせることが難しかったんやろうな。
哀しい歴史ですね。当時の人々もきっと色んな辛さがあったんでしょうね。
かつて高校の日本史の先生が「日本史を勉強するときに一番大事なことは、その時代を生きた人の生き様をリアルに感じることや!」と言ってた。当時は用語を覚えてテスト対策してたからピンとこなかったけど、
今、その言葉の意味が分かり始めた気がします。
とりあえず・・・
そんな時代の中、玉砕せずに生き抜いてくれた祖父母に改めて感謝したいと思いました。
そんな8月15日でした。
|