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昨日まで、横浜で世界銀行の主催する世界の都市化に伴う経済発展と環境保護の両立の問題を解決し持続可能な開発を維持していくための世界会議が開催されていたみたいですね。

そして昨日出された横浜宣言は
「発展途上国における都市化に対して先進諸国が積極的に支援をしていく」
というものだったそうです。

この会議は基本的に環境と開発の両立を念頭においたものであるため、
横浜宣言で唱えている「発展途上国の都市化への先進諸国の支援」とは具体的にCDMメカニズムを活用して省エネ技術の協力支援を行うというような環境保護の文脈を指していることは明白なことでしょう。

環境と開発の両立を踏まえた都市化の確保は確かに重要なことです。
野放図な都市化を放置し環境問題が深刻すると、結局真っ先に途上国の人々の生活に影響が出てしまい、それこそ「人間の安全保障」が脅かされる状況が増幅してしまいますから。

その因果関係は2007年のUNDPによる人間開発報告書において詳しく検討されているみたいです。読んでないけど。笑


が、環境と開発の両立という側面だけでなく、
福祉の充実を踏まえた都市化の確保という側面からも都市化の問題を捉え、協調していくことが必要であると思います。

都市化の進行は都市という空間における福祉のレベルも低下させてしまう可能性を有しており、福祉の充実ということを配慮せずに都市化を進める事もまた「人間の安全保障」を脅かす要因となりうるでしょう。

実際、過去にレンタルチャイルドの書評でも書きましたが、例えば現代における子どもの人権の真空地帯も都市で起こっている都市問題であり、その背景には、都市化の際の都市設計上の問題が遠隔的にですが関係していると感じるのです。


都市化を進めることの究極の目的は、その社会に住む人々の日常生活の向上というところにあるはずです。
その都市化を進める過程で環境保護の欠落はもちろん、加えて福祉の低下をも誘発してしまっては元も子もないでしょう。



なぜそんなに都市化を考える際の取っ掛かりをわざわざ書いてるのか・・・どっちにしたって都市化の具体的な方法論上大差はないのでは、、、という指摘はあると思います。
書いている私も、概念的な話であって実際には不毛な話である気もします。


ただ、都市化を進める過程には必ず都市設計と都市化実施の一連の政策過程が存在するのであり、都市化を進める際に決定的に重要となってくるのは、都市という空間をどのようにデザインして構築していくのかという都市設計の段階での慎重な検討ではないかと思うからです。

単に環境保護の観点だけに着目した都市設計では、福祉の低下を想定していないために、後々福祉の問題が浮上してきてしまうこともあると思います。

その逆もまた生じる事はあるでしょう。

要は、どんなコンセプトを意識した都市化を進めていくのか・・・という政策過程の上流でのグランドデザインを考える際に、この概念的な検討は非常に重要となってくると思うのです。後々の都市設計の形が変わってくると思うのです。
それに伴って、国際協力の在り方もCDMにとどまらない広範な支援・協力の在り方(例えば前回の日記でもあったような社会保障制度に関する技術支援など)も変化していくと思うのです。


だから、あえて都市化を考える際の着眼点という概念的なことを書いてみました。


今回の横浜宣言がさらに多角的な視点から都市化を考えていく契機となれば良いですね。

「人間の安全保障」のためにも。


おわり。

今日は一番疲れる授業の構成になっていることに、授業が始まってから改めて気付いた。笑
時すでに遅し。


そんな今日、授業中に1年ほど前から気になっていたことを先生が言及した。


「高齢化も地球規模で起こっている課題である」と。

以前NHKでも特集されてたから別に広く認知されているとは思うけど、

テロ・貧困・地球温暖化・感染症・国際自由貿易・平和構築など、いわゆるメジャーな地球規模課題に比べて相対的に、世界規模で生じている高齢化って地球規模課題として認識されていない。

そんなん当たり前やろ、という声も聞こえてくる気がする。
高齢化が世界規模で生じてきているとはいえ、上記のメジャーな地球規模課題と並列して列挙することが妥当なのかどうか怪しいものでもあるから。

周知の通り、地球規模課題という問題は、単に世界規模で生じている問題ということではなく、
問題の引き起こす影響に国境伝播性かつ世代間伝播性があり、そして解決のためには国際関係のアクターが国際的に協調することが必要となる課題であるから。



そう考えると、世界規模で生じてきている「高齢化」は、基本的に国内で解決できる問題ではないのか?別に国際的に協調していく必要のない問題ではないか?協調するとしても、どういう局面で協調するの?
といった疑問が出てくるとは思う。


でも世界規模で高齢化が進むということは、貧困も十分に克服できていない途上国でも高齢化が進展していくということを意味する。

となれば、途上国の行財政能力に更なる試練が降りかかることになって、国家の保護を十分に受けられていない人たちがますます国家の保護を受けられなくなる可能性が高まっていくでしょう。

また、医療制度などが十分に整っていない途上国のような環境下では、日本以上に高齢者が真っ先に健康格差に直面し、深刻なQOLの低下と死亡率の格差に直面することになるでしょう。多分。
そうなると、高齢化が途上国でも進むということは、その領域内において生存・生活・尊厳を脅かされやすい人々が拡大するということになる気がします。

さらに、貧困問題も抱える途上国では、相対的に社会的弱者となってしまう高齢者もどう支えていくか・・・という問題になったときに、お互い社会経済的に余裕のない状況では社会全体の連帯感も軽薄になって、より窮屈な社会となってしまわないでしょうか。
もちろんこれは文化の違いを考慮に入れないといけませんが。


いわば、世界規模での高齢化現象は様々な側面から「人間の安全保障」を脅かす潜在的な脅威と転化しうる可能性を孕んでいると思うのです。


全て蓋然性の話であるため何とも言えませんが、高齢化によって途上国の状況がさらに逼迫し、グローバル格差がさらに拡大して「人間の安全保障」がさらに確保されない状況になるような見通しも成立しうるとなると、今後は高齢化というリスクから「人間の安全保障」を確保していくためには、国際開発政策の在り方についても一定の見直しと工夫が求められるかもしれませんね。


国際開発協力の局面における益々の協調の必要性はもちろん高まるでしょう。加えて、国際協力の対象国内の人口構成が変わることになるので国際協力のパラダイムの有効性・効率性・公平性を再び評価し、政策として変化すべきところを再検討することも必要となってくるかもしれません。

その作業を経れば、先進国もコストパフォーマンスの良い国際協力行政を追求することができ、途上国にとっても効果のある国際協力サービスを享受できるやもしれません。

そして深刻なグローバル格差の進行も少しは歯止めがかかって貧困削減(ないし途上国の人々の健康改善)の道が開かれるかもしれません。


例えば、このニュアンスは日本が「人間の安全保障」をODA政策の目標として掲げ、具現策として保健医療セクターへの開発援助に力を入れていますが、その保健医療分野に関する国際協力政策の在り方について違いをもたらしうると思います。

国債保健医療分野における開発協力のキーワードはPrimay Health Care、つまりPHCですが、このPHCも1978年にアルマ・アタ宣言で提唱されて以降、その方法論に関して論争が生じています。
一方では個別疾患のコントロールに焦点を当てて保健医療資源を集中して投じるという方法が有効であるというスタンスがあり、もう1つは、個別疾患をコントロールすることは短期的には費用対効果が良いかもしれないが中長期的に考えた場合にはかえって非効率であるから、そもそも健康を損ねないような保健システムを社会に構築するような方法を実施していくべきであるというスタンスがあります。前者のスタンスは選択的PHCないし垂直的アプローチと言われる考え方で、後者のスタンスは包括的PHCないし水平的アプローチと言われる考え方です。・・・私の乏しい理解では。笑

で、1980年代の経済停滞という社会経済的背景も手伝って、PHCの提唱後しばらくは、国債保健医療分野の開発援助は選択的PHCないし垂直的アプローチに立脚した政策が取られてきました。


しかし近年は、これまでの選択的PHCに則った開発援助政策の効果が期待以下であったことに加えて
『グローバル高齢化のおそらくの原因である「健康転換」が世界規模で生じ、疾患そのものの性質が複雑なものとなりつつあるため個別疾患コントロールの発想は実態に合わない』
という状況変化が生じてきていることから、次第にそのパラダイムは選択的PHCから包括的PHCないし水平的アプローチの方向にシフトしてきつつあるような気がします。


実際、WHOの「健康の社会的決定要因委員会」でchairを務めたイギリスの社会疫学者のMarmot氏は、世界規模で高齢化が進展することを踏まえて健康の社会的決定要因に着目する必要性を主張していました。

おそらく、高齢者の疾患は慢性疾患等が中心であり、それらの疾患を克服して健康を実現するためには社会環境の改善が相対的に重要となり、そういった特徴のある疾患を抱える高齢者が世界規模で拡大していくことを考えると、有効な国際開発政策の在り方に社会環境整備に焦点をシフトさせるといったような、違いをもたらそうという意図があったのだろうと思います。その科学的根拠を社会疫学によって示そうとしたところはあると思います。おそらくですが。


で、

日本が保健医療分野のODAを積極的に行い途上国の人々の健康を確保することで「人間の安全保障」の確保に寄与していこうとするのであれば、上記のような高齢化による状況変化に伴う保健医療分野の開発政策の在り方を見直し、より包括的PHCないし水平的アプローチ的な政策にシフトさせていくことが求められるのだろうと思います。


例えば、顕著であるものが健康保険制度導入に関する国際協力をこれまでよりも重点的に行っていくことは今後においてより重要となってくるかもしれませんね。保健医療分野のODA政策として。

日本のODA政策ではありませんが、実際に過去には国連人間の安全保障基金が、WHOの実施する「地域に根差した健康保険制度の導入」に関するプログラムへの出資を決定しているような事例もあり、高齢化を契機とした「人間の安全保障」への脅威に対処するために、国際開発協力の場面でWHOのケースのように医療保険制度の支援を行っていく意義は大いにある気はします。


幸い、日本は発展途上国型のマクロ経済発展パターンと高齢化パターンを持つ中で国民皆保険を実現している国であるので、国民健康保険制度のデザインを応用した国際協力支援を行っていけるかもしれませんね。過去にJICAが、アジアでの高齢化を見据えて社会保障制度に関する国際協力についての研究報告書を出していますが、なぜかその後あまりJICAの取り組みの中心とはなっていない印象があります。

もっとこの側面を前面に押し出したODA政策を打ち出していっても良いと思います。世界規模での「高齢化」という潜在的な「人間の安全保障」に対するリスクに早期的・予防的に対処していくために。


「人間の安全保障の脅威としての世界規模での高齢化」という視点から、保健医療分野に関する今後のODA政策の再検討が行われることを少し期待したいものです。


このブログが屁理屈すぎて、期待とかアホなこと言ったらアカンとは思いますが。
すみません。


ただ、
とりあえず世界規模で生じている「高齢化」も地球規模の課題、そして「人間の安全保障の脅威」として今後は認識していくことが必要ではないか。その機運が少しずつ高まってきているかもしれない・・・と考えてたのでした。

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ちょっと前のブログで、買った本の感想を書くと書いたことを思い出したので、久々に更新がてら書いて見る。


読みました、石井光太さん著『レンタルチャイルド』。

インドの都市、ムンバイを舞台に物乞いの子どもたちを追ったノンフィクション作品。


とにかく読みごたえのある本でした。

時々、描写がすごすぎて何度も読んでる途中に本を閉じてしまいました。


でも何とか読み切りました。



自らの体を傷つけてでも物乞いをする。一日を生き延びるために。
そんな厳しく酷な現実がそこには描かれていました。


自分が認知していないだけで、世界にはもっとおぞましい現実が無数に存在してるはず。
ここに書かれているのは、そのほんの一部。

でも、そのわずか一部を知ることだけでも、こんなに重いものなのか、と改めて思いました。




この本に主に書かれていることは子どものことだったので、
読み終えた後、しばらく経ってからユニセフハウスに行ってみました。


とある疑問がわいたから。


「こういう現実に置かれている子どもたちの存在をユニセフは果たして認知しているのか?そしてその現実もユニセフは宣伝しているのか?」


というもの。だいたいの答えは分かってたけど・・・。


基本的にユニセフの対象にしている子どもは、アフリカなどの絶対的貧困に置かれている「農村部」の子ども。
あるいは、農村から「出稼ぎ」にきたストリートチルドレンの子ども。


他方で、この本に書かれていた子どもは、「農村」の子どもではなく「都市」の子ども。

しかも農村から「出稼ぎ」に来た子どもではなく、最初から帰るべき故郷や家族がなく、都市に生まれ都市貧困の環境下で生きてきた子どもたち。


部外者がそんなこと言うのもおかしいのは甚だおかしいのですが、


全く想定している子どもの実態が異なっていると思いました。


そして後者の子どもたちっていうのは、基本的に戸籍も何もあったものではないので、その国の国家の保護対象となるかも微妙なのだろうと思います。

しかしだからといって国家の承認によって初めて介入できるユニセフなんかは、そういった子どもたちの人権を保護するための直接的な行動は取れない・・・はず。


だから、レンタルチャイルドで書かれているような子どもたちは、
いわば子どもの人権の「真空地帯」とも言えるのでしょう。


でもそういった「真空地帯」をいかに認知し、そしてそういう現実があることをユニセフとして広報していくことはユニセフのミッションであるはずだ、と思って行ってみました。


が、やっぱり基本的にはそういったユニセフが対象とできない現実についての紹介や広報はほどんどありませんでした。


だからといって、ユニセフの広報体制や方法をとやかく言うつもりはありません。


この問題は、一義的にはその国の政府の保護責任であるから。
主権国家体制の国際社会システムにおいては。


でも、主権国家というバリアーがあるからこそ、市民社会がtransnationalに国際世論を積極的に形成していくことが必要なのだろうとも思います。


だから、立ち戻ってこの本の内容は知っておく必要があると改めて感じました。


この現実は、完全に国家の保護を得られない「人間の安全保障」の真空地帯をリアルに描写するものだから。



感情的な感想を持ったり、あるいは自分の生活と比較して明日から自分の日常に感謝して丁寧に生活しようと感じたりすることも、この本の価値であると思います。


しかしそれだけでなく、
そういった真空地帯の子どもをクローズアップすることで国際社会の在り方やそのために自分達の有する潜在的な役割についても考えさせられるところに、この本の特段の価値があるように思いました。


著者の方がそういったメッセージを投げかけるために書いたかどうかは別として。
なんとも勝手な感想なので。


まとまってなくてすみません。


ただ、『レンタルチャイルド』、良い本でした。

8月15日

学生の8月といえど、

今年の8月は地味に I have lots of things to do 。
でもお盆は帰ってきました。今年の盆は3〜4日くらいの滞在。


そんな帰省中の昨日は8月15日。


終戦記念日ということで、晩御飯のときには戦争の特番が放送されてた。

割と感情論主義者の多い我が家は(笑)、戦争についてあーだこーだと話し合っていたわけですが、


そのうちテレビから「玉砕」という単語が聞こえてきた。

「玉砕」−捕虜になるくらいなら自決をする方が良いという考え方−


この「玉砕」という方針によって多くの方が戦死されていった。


お国のためなら自分の命を投げ出すという行為…今の規範では到底考えられない。
でも当時はその「玉砕」を実行された方も多くいた。

それも軍人だけやなくて民間人までもが。サイパンとかは際たるもの。


そんな番組を観ていると、90歳の祖母が横でポツリとつぶやいた。


「昔、私は親に「あんたが女の子でよかったわ。せやなかったらあんたも兵隊に取られて戦死してたやろうでな〜」て何べんか言われたことあったわ」

と。


その一言を聴いて、改めて「玉砕」を当時の国民は快く受け入れていたわけではない、ということを実感した。


テレビにはサイパンでバンザイクリフから飛び降りて「玉砕」を実行された方の映像が映っていた。
今日のテレビにはなかったけど、これまでに「ひめゆり学徒」の悲劇も見聞した。


これまでの歴史教育で、ある程度国民は進んでお国のために命を捧げることを美徳としてた、みたいなことも習った。


でも、それはきっとギリギリの判断を迫られて最期にとった行動やったんやろうな。

当時は、そういう規範が国民に定着してたんかもしらんけど、でも実際に生き証人の話を聴くと

「玉砕」は本当に国民に深く浸透していたのだろうか、と感じる。


そういや祖父も「玉砕」より捕虜になることを選んでビルマで捕虜生活をしばらくしてた。


そういう話も踏まえると、やっぱり当時の国民も「玉砕」なんて望んでへんたんやろな。


しかし政府は、原爆が落とされる直前に鈴木貫太郎首相が
「一億総玉砕」を掲げたみたいやけど。


でも番組で言ってたように、きっと当時の政府内部でも国民が「玉砕」なんて本当は望んでなく、早く戦争を終結させる必要があると認識していた人もきっといたんやろうな。でもそうは言っても一度始めてしまった戦争を終わらせることが難しかったんやろうな。


哀しい歴史ですね。当時の人々もきっと色んな辛さがあったんでしょうね。


かつて高校の日本史の先生が「日本史を勉強するときに一番大事なことは、その時代を生きた人の生き様をリアルに感じることや!」と言ってた。当時は用語を覚えてテスト対策してたからピンとこなかったけど、

今、その言葉の意味が分かり始めた気がします。


とりあえず・・・


そんな時代の中、玉砕せずに生き抜いてくれた祖父母に改めて感謝したいと思いました。


そんな8月15日でした。

先日ちょっと立ち読みした本が気になって今日買ってみました。


石井光太さん著『レンタルチャイルド』。


インドの貧困を描いたノンフィクション。



まだ読み始めたくらいです。


が……

はんぱなく重い。。


ここまで心と頭がずっしり重くなる本、今まで読んだことない。
まだたったの20ページくらいしか読んでないのに…。



ただただ、読んでいて胸が苦しい。辛すぎる。そしてもはや怖い。
でも過酷すぎて怒りとか悲しみとかいう感情も湧いてこない。

描写の問題かもしれへんけど。


今まで自分なりに途上国の現実には向き合ってきたつもりやったけど、
想像を超える。


すでに読み進めるのが怖い。


でも気になるし、これは知っておく必要がある気がするから読みます。
現実として起こっていることなので。


今日はやることあるからもう読まないけど、


夏の間に読もうと思います。
気持ちがずーーーーーーんってなるやろうけど、



読み終わったら感想でも書こうかなと思います。



ただただ、この何とも言えない気持ちをどこかに書きたくて書きました。

明日は広島の日ですね。


no more hiroshima.

毎年のように、この時期は消極的平和について考えつつも、

上記の本読んで積極的平和についても今年は原点回帰も兼ねて考えたいと思います。

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