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最近、大学院の事例研究で医療政策のことを学んでいることは以前の日記でも書いたけど、
もう1つ、地域医療についても学んでいます。
なので最近は医療政策と地域医療・介護の領域を行ったり来たり。
もともと国際関係ばっかり学んできたはずなのに、国際関係はどこへやら。
完全に国内社会保障・福祉の色に染まっております。
もちろん、これは自分が当初から意図して動いてきているのですが。
UNDP型の「人間の安全保障」を理論的支柱として。
そんな感じで最近、地域医療について学んでおるわけですが、
ついこないだ、危険な感覚に陥っていることに気付きました。
それは、社会的に弱者の人をサポートするとき、
彼等をサポートの「客体」としていかにその人々にサポートを受領させるか、ということだけを考えるという感覚。
具体的に書くと、地域医療・介護でいう社会的弱者とは高齢者のことになるのですが、
少子高齢化や高齢者世帯の変化を踏まえると、地域医療や介護はいかに在るべきであるのか…
を考えていると、気付けば「高齢者を支援してあげなくては」というスタンスで物事を考え始めてしまっているという状態。
でも、高齢者は決して赤ん坊なのではなく、そこには自立心や自尊心などの主観も存在する。当然のこと。
その当然をちゃんと念頭に置くと、逆に何もできない、みたいに扱われることが本当にその人たちにとって良いことであるとは言い難い。むしろ、全くその人のためにはなっていないことの方が多いのではないだろうか。
そんな大事なことを見失っていた気がします…。
この感覚、大学時代に自分が初めて途上国貧困問題について考え出した頃にも陥っていました。
つまり、いかに途上国の貧しい人々を「守り、サポートしてあげるか」という感覚。
しかし根本的に、「援助」一方的にするだけでは客観的に見ても持続的な開発支援にはならないし、
何よりもそれによって現地の方々の主観的な自尊心などを削ぐ可能性もあり、本当に自分達が何か支援をすることで彼らが「幸福」を十分に味わうことができるのか…ということをあの頃は見失っていた。
それに気付いたのは半年間くらい途上国開発を自分なりに勉強してから。
それ以降、常に「援助や福祉支援をするときには、その人にとって本当に意味のあるものとなるためにも相手の主観的観点に立って自分の考えていることを見直す」ということは大事にしようと心に決めてきたはずなのに…
気付けばそれを忘れていました。
忘れていたことが悔しい。
でもいま思い出せて良かった。
これからはちゃんと、自分にとって「大切にしたい感覚」を丁寧に見直して、丁寧に考え、丁寧に行動しようと改めて考えた夜なのでした。
おわり
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