いつもどおりの日々。そんな幸せ。

いつもどおりの日々の生活の中で思ったこと等を気まぐれで書いてます。

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9.11

あの9.11から昨日で8年になるんですね。

早い。もう8年か。


昨夜、家帰ってきて、テレビつけたら、ワールドトレードセンターやってた。


グラウンドゼロが映ってた。


その瞬間、3年前に大学の短期留学プログラムで2週間NYに行ったときのこと思い出した。


国連本部で職員さんからのお話を聞くというのがメインだった。

けど、その一方で、色んな名所を回っては写真におさめてた。


その途中でグラウンドゼロにも立ち寄った。
一緒に行ってたみんなは、写真撮ってた。

僕も撮ろうと思った。


でも、そのグラウンドゼロの向かい側にある大きなビルの3個分くらいあるビルが崩れたって思うと、

急に背筋が凍りついたような感じがして、写真撮れなかった。
撮る気になぞ、なれなかった。


こわかった。


『あの事件がなかったら、世界はどうなってたんやろう?』


と、すぐ横にいた友達が言った。



そのときの一言、たまに考える。
確かに、あの事件がなかったら、今世界はどうなってたんやろう?って。


終わったことをいまさら考えてどーすんねん!っていうところもあるけど。
でも、ホンマどうなってたんだろうかね。。

誰もそれは知らない話。




あれから、8年。


人々は、あのような悲劇を二度と起こさぬために、腐心してきている。

国内では、様々な公共施設での警備の強化やら都市設計の工夫、
国境では、入国管理の徹底、
国際では、テロ根絶に向けた各国の政治的意志の結集、その可視的なものとして、国連安保理決議1573(やっけ?笑)の採択や、G8でのテロリストへの核兵器流入阻止への合意、
そして言わずもがなのイラク戦争。など。


やっぱりテロは許されるべきものではない。と思う。

でも、それを起こさぬようにすれば、一体何からすればいいのだろう?

さらに徹底した国境管理?
テロリストの活動基盤を弱めること?
そのために資金源となっているかもしれない国際犯罪ネットワークの根絶?
テロの温床にもなっているかもしれない、いわゆる「崩壊国家」を極限の形態とする脆弱な国に対する開発支援ないし平和構築支援の増強?
グローバル格差とテロの相関関係を重視するという意味でも、やっぱり開発支援/平和構築の強化?
あるいは、国際政治の世界システム論的な構造認識でいくと、そのグローバル格差を生む構造的な世界経済システムの変革ないし修正?


まぁ、変革はさておき、どれも必要やし、どれも実際に行われていることやけど、

その対策の序列の妥当性はあるのかな。
全部同時に!っていうのはわかるんやけど、
限られた政策資源を効率的に分配して有効性を発揮させるためには、何からやっていくべきなのかな。

いますでに政策者が重点を置いている政策がどれなんかは、不勉強ゆえ知らんのやけど。


これから先の政策の方向性はどこへ向いていくのかな〜。


仮に開発支援の増強という方向性になるとすると、
次に問われるのは、その開発援助の手法ですね。

いわゆるPRSPに基づく世銀等の「ガバナンス」重視の貧困削減アプローチ、
各国のODAの援助手法において提唱されつつある「一般財政支援/セクターワイドアプローチ」「セレクティビティ」やら「政治的コンディショナリティ」、

これらの手法を推し進めていくのかどうなのか。

とある学者さんが言ってた。

こういった「ガバナンス」とか「政治的コンディショナリティ」とかいう政治体制そのものの改革を重視する援助の傾向は、
形式上の「民主主義」をもたらしうるが、国際社会からの圧力に対処するという意味合いで民主化が進むだけで、その本質は民主主義体制とは程遠い、新家産主義体制やら権威主義体制が残ってしまう、と。

ということは、未だにテロの温床にもなりかねんということも考えられる。


かといって、税金を預かる方からすると、
有効に税金を使ってアカウンタビリティを果たす必要性から、上記のような援助手法が好まれる。(みたいやね。日本はこの流れに乗ってるとは言い難いけど。)


どれが正しいなんてないんやけど、
どうしたら、何の矛盾もなくテロをなくすことができるんでしょうか。


これからの大きな課題ですね。

なーんつって。


場合によってはこの先、
ウェストファリア体制からの遺制を引き継ぐ国際社会の秩序構造の変化の時代もくるのでしょうか。

なーんつって。



秋は、変に考えてまうもんです。




では。

最近自分で思うこと

ていうか、この時期になったら毎年物思いにふけることやけど、

日本の過去の歴史を今この年になってたまに振り返ってみるのも趣深いもんやなー、と。


こないだ友達に「歴史好きやろ?」と言われて、そうでもないで〜


とか言ってたけど、やっぱそうなんかも。


最近色んなことの歴史が気になってます。

日本の医療保険制度の歴史、
日本が近代化していった歴史、
戦争に突き進んでいった時代の日本のこと、
国家主権思想の歴史、

などなど…
気になるっていうだけで、勉強してるわけやないけども。


特にこの時期は、日本が戦争に突き進んでいった時代のことを考え込んだりしなかったり。
…明らかにテレビの特番の効果ですがw


この夏、見かけた議論のトピックは、


・日本は今、非核三原則を見直すべきか、それとも維持するべきか


でした。アンテナ張ってたらもっとあったんやろうけども。


実に難しいよね、こういうテーマ。。私には到底分かりっこない話です。



■日本は今、非核三原則を見直すべきなのか維持するべきなのか。

あ、過激なブログに見えるかもしれんけど、私にはそういう趣味はないので、あらかじめご了承を。

このトピックは確か、NHKの討論番組でやってた。学生から公務員、自営業、フォーマルセクター従事者まで色んな人が一同に会して議論する、毎年やってる番組。


何気なく見てると、こんな意見が出てた。
「日本も核を持つ必要がある。それによって力の均衡を保つことで、平和を維持していくという必要がある。」

簡単に言うと、そんな意見やったように思う。
記憶なので、間違ってたらすいませんやけど。


いわゆるバランスオフパワー的な発想なのでしょうか。国際政治理論に精通してるわけでもないので、直感やけど。
確かに現実の世界に核保有国が存在している(NPTで明確化もされとるし。)+今もなお、核開発を手がけようとする国はいくつか存在している

という状況が事実としてある限り、そう考えるのも間違いではないんかな〜とか思いながら見てました。



ただちょっと気にかかったのが、その意見をコメントしてた人が戦後生まれの人だったってこと。

私も戦後生まれ。少なくとも戦争期よりはずっと平和で安定した社会で暮らしてきた。
もちろん、少なくとも<消極的平和>という意味で。

いかなる規範や秩序も、歴史の中で変容を遂げていくものであると思う。

たとえば国家主権の意味が時代の変化に即して変容すべきであると、かつてアナン前国連事務総長が「Two Concept of Sovereignty」で述べたように…
たとえば冷戦の終焉と共に国際社会の環境が変わり、「安全保障概念」の多様化という変容が見られるように…

非核三原則もまた、核保有の現実のバランスの変化という時代環境の変化に即して積極的に見直していく必要はあるのかもしらん。この人の意見のように。


でもでも…個人的には、非核三原則をそう簡単に見直すべきである、とは簡単にいえないなぁと、そのときテレビを見ながら思った。

だってその原則が、凄まじい原爆の経験から生まれてきたものであるから。
いまは確かに時代は変わったかもしれない。
だから政策の原則として、非核三原則を残すことは古いのかもしれない。

でもこれからどんどん生まれてくるのは、
今存在しているこの平和な社会を築き上げる教訓となった過去の戦争のことを知らない世代。


それを思うと、この非核三原則を維持していくことは「理念的な価値」がまだあるように思う。いや、思った。
いまの時代に合ってなくとも、そういった経験があって今の時代があること、その記憶を今後風化させぬためにも、この原則の見直しは端的にするべきではないと思った。

といっても賛否あるのはわかってますが…

少なくとも、”戦後に生まれた者”が、非核三原則の見直しをしていくべきであると簡単には言うべきでない気もしました。



なんかよくわからんくなってしもた。
アホな人がまじめなこと書こうとすると、こういうことになるんですよw



レポートからの逃避として、書きたくなったので書いてみました。

非伝統的安全保障

こないだの日記でニジェールの食糧危機書きました。


そのとき、さらっとタイトルの言葉を使ってました。

”非伝統的安全保障”


でもこの言葉、感覚でしか捉えてなかった。


正直、「非伝統的安全保障」を重視すること=「人間の安全保障」を意味する


だと思ってました。


これが間違っているわけではないけども、
これが正しいともまた言い切れないことがよくよく分かりました、昨日。


ちょうど昨日、プレゼンで「非伝統的安全保障」についてやりました。


そんなに難しくないかと思いきや、


フタを空けてみるととんでもなく意味不明。。


ひとつ思ったのは、


「非伝統的安全保障」の課題とされる分野を、「安全保障の問題として大事だ!」と重視する人たちの議論の論理構築をよくよく考えてみると、


同じ言葉を用いているけれども、

その言葉の意味するものが全然違うのですね、


っていう当たり前のことでしたw



その議論の類型の中に、

たまたま「人間の安全保障」の議論と重なり合うところがあったから、

あ、混乱してまうんやなー、と。




かといって今はすっきりしたわけでもないけどね。



言葉って怖いもんですね。

human securityなるものの実施の難しさ…って言ったらいいのかな。
そんな感じのことを感じた。


今日、ていうかさっき、
とある大学の授業でBS世界のドキュメンタリーを観た。


テーマはアフリカ・ニジェールでの食糧危機。


乏しい脳を使ってでの理解では、
およそその番組の構図は、
ニジェールの食糧危機、その背景にあるのは、
・一方でWB/IMFによる20年間のSAP政策の失敗
・他方で国の議会が意味を成していないニジェール側のガバナンスの問題

ゆえに村には骨と皮だけの栄養失調の子供が増え、深刻だが”静かなる危機”が生じているというもの。


この映像の中では、別に”静かなる危機”なんて言葉は使われてなかったんやけど、
ちょっと使ってみた。
昔から言われてるように、こういう栄養失調によるmortalityは戦死者よりも多い。
しかし相対的にメディアに注目されることのない危機。だから”静かなる危機”。

なんてね。


近頃は国連でのMDGsとか世銀での包括的開発フレームワーク、DACの新開発戦略などで度々「貧困削減」が重視されるようになってきているゆえ、もはや静かなる危機ともいえないのかもしれんけど。

でも今回の映像は、
おそらく最も世界的に貧困削減の流れに対して影響力のあるであろうMDGsが出されたあとの2005年に生じた危機。


それを考えると、やっぱりまだまだ”静かなる危機”なのかな。


で、冒頭にも書いたけど、何がhuman securityの実施の難しさなのか、、と。

というのも、according to this video,
2004年の収穫状況を踏まえて2004年には既に2005年のニジェールで食糧危機の警告が出されていたとそうで。ニジェールの元首的な人から。


でも国際社会の支援はすぐには拡大しなかったとかなんとか。たぶん。


すると、そこで例えば「human security」が重視されつつあるのだとたまに耳にする主張を考えると、
やっぱりまだまだhuman securityは流行語にとどまっている側面も否定できないのかもしれんなぁ、と。


決して新しくない問題−途上国の子供たちの栄養失調や感染症、テロなど−をわざわざ「human security」という違う言葉でまとめ上げた意味はどこにあったのか…

それに対する意見はどんなんがあるのかよく知らんけど、
少なくとも"security"という言葉に置き換えて、政策的に優先度を高めようとしたという側面は否定できんでしょう。
実際UNDPは「平和への配当」を開発に振り向けることをひとつの目的として1994年にこの言説を用いておりました。

時代の文脈があるといえど、この概念の意義としては、まだ重要ではあるでしょう。国際協力を実施する側の認識の問題なんやし。

あ、少なくとも開発分野に限ったhuman securityの話ね。


で、話を戻すと(戻ってるんか?w)
するとhuman securityが重要視されてはいるも、それが実行されているというためには、

まさにこういった危機を回避するための何らかの開発援助行動がとられていることもまた必要なのでしょう。ね。きっと。

危機が起こってからでは今までと同じ。
これまで国際政治の重要課題=安全保障の課題に「非伝統的安全保障の課題」があると認識されつつも、
その「非伝統的安全保障」に対してどれほど適切に関与するのか、が必要なのかもしれませんね。

まさにこの食糧危機も「非伝統的安全保障」の問題でございますゆえ。



うーん。



でもね、こうやって書いてること自体が一番無責任であるということもまた事実なんやろうな、と思った。

じゃあなんでこんなブログ書いたの?って話やけど。。
それは感じたことを忘れないうつに書きとどめておこうと思ったから。


また消すかもしらんけど。


いかに確固たる国際協調を生み出すのか…そこには間接的に自分たち一般市民の声も関係するわけで。
理論上、ね。政府の姿勢の指針にもなりうるので。

このへんは詳しく勉強してないので、憶測…ていうか全部憶測ゆえ、正確なことはわからん。
しかも実際に官庁で働いているわけではないので、何もわかっていない身、これ以上は書けませんけど。



まぁ、、本当に難しいんでしょうね、いざ実行に移すとなると。
そういう国内世論との兼ね合いしかり、途上国のガバナンスの信憑性しかり。。

実務ではもっと綿密な計算と配慮のもとで実施されているのだと思います。
それでもやっぱりこのニジェールのような危機が生じてしまう、というのは

実際にhuman security(に限らないことやけど)を唱えるだけでなく
実施に移すことがどれほど難しいのか、を物語っているように思えました。



……なーんてね。
井の中の蛙のたわごとでした。

久しぶりに人間の安全保障について書いてみたけど、やっぱわからんわ、これは。

うん。

自己満日記で失礼しました。。


では。

生ける財産

「彼は生ける財産だ。」
「国際社会の財産だ。」
「good manだ」


そう称されながら、
先週の6月3日に、うちの大学にコフィ・アナンさんがいらっしゃいました。
コメンテーターで緒方貞子さんもいらしゃいました。


…すごいね、次元の違う世界の方々です。



滅多にない機会ゆえ、とりあえず申し込んで講演聴いてきたけど、

さすがに前UNSGとだけあって、会場には多くの人々。


講演は、趣旨が「世界のために働くということ」
だったこともあり、学生へのメッセージもあった。


「あなたたちは素晴らしい教育という特権を受けています。しかしその特権を持つということは、責任を持つということと表裏一体です。
その教育によって得た能力を世界のために用いるという責任を負う勇気と行動が何億という人々、とりわけアフリカの人々の幸福や健康を左右するのです。
是非とも、外に目を向けて、自分の能力を世界のために用いようという意志を持ってください。」


的なメッセージやったはず。

まぁ、このメッセージをどう汲み取るのか…
それは人それぞれやと思うけど。



ただ、この言葉から、
アナンさんが想像を超えた苦労とかをしてきはったこと、
その根底に確固たる信念があったこと、
は、よくよく伝わってきた気がした。

それがあってこそ、いまのアナンさんからそんな一言が出たんやしね。


そう思うと、急にアナンさんが光って見えた。

国際公務のプロゆえに、ではなく、その人間としての器の大きさとかゆえに。



あと、話聴いててやっぱり凄いバランス感覚に富んだ方なんやなぁ、と感じた。


考え方とか認識がいろんな場面で重要になりうる国際公務。

やからこそ、その分野で務め上げたアナンさんのバランス感覚は豊かなものがあるような感じがした。


まぁ〜つまりは、
明らかなことやけど、アナンさんはスゲェ人なんやな、と再認識したってことですわw




4年も前、アナンさんがまだ事務総長やった頃に
海外スタディで国連本部に行ったけど、
「国連職員ですら滅多に見かけない」くらいのアナンさん…


まさか日本で拝見させてもらえるとは。



アナンさん見たら、色々と4年前のことが記憶と感覚の奥の方でちらついた。

懐かしい…。
そういえば、4年前のこれが、自分の中では色んなきっかけやったっけな。BLOHに関心持ったこととか、もろもろ。



4年前の自分の感覚とか、ちょっとどんなんやったか、
いっぺんちょくちょく思い出してみようかな。寝る前とかに。

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