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小説は丑松が蓮華寺に引っ越すところから始まります。丑松が急に引越しを思い立ったのにはわけがあります。それまで下宿していた宿に逗留していた大日向という資産家が、部落民だということがばれて、その宿を追い出されたのです。降って沸いたようなこの暴虐に、丑松は身の危険を感じ取ったのでした。
放逐された大日向のことを思い、その運命に引き映されてくる自分の将来への憂いに打ちのめされているそのときに、丑松は敬之進の後妻が野良で働く姿に行き会うのです。
まつわりつく5人の子どもたちをけんか腰で叱りつけながら、彼女は一刻を惜しんでせっせと稲こきをしています。烈しく照りつける秋の陽の中で、丑松は藁によの蔭から「この労働の光景(ありさま)」を眺めたのでした。藤村は次のように書いています。
「図らず丑松は敬之進の家族を見たのである。あの可憐な少年も、お志保も、細君の本当の子ではないということが解った。夫の貧を養うという心から、こうして細君が苦労しているということも解った。五人の子の重荷と、不幸な夫の境遇とは、細君の心を怒りやすく感じやすくさせたということも解った。こう解ってみると、猶々丑松は敬之進を憐れむという心を起こしたのである。」
ここに現われた「憐れみ」は、もう同情以上の「親近感」というべきものです。
哀れみの情がそれほど近しいものとなったとき、丑松の心に変化が起きます。
「今はすこし勇気を回復した。明らかに見、明らかに考えることができるようになった。」と、藤村は書いています。そして、丑松の内部から「鬱勃たる精神」が頭をもたげてきて、敬之進とその家族をそういう状態に押し込めている外部の何者かに対して、また、大日向や蓮太郎(彼については別に触れます)や丑松自身を押しつぶそうとする外部の何者かに対し、立ち向かって行こうとします。
藤村は書いています。
「『しかし、それがどうした』と丑松は豆畠の間の細道へさしかかった時、自分で自分を激励ます(はげます)ように言った。『自分だって社会の一員(ひとり)だ。自分だって他の人と同じように生きている権利があるのだ』
この考えに力を得て、やがて帰りかけて振り返ってみた時は、まだ敬之進の家族が働いていた。」
悄然としていた丑松にこのように勇気を回復させ、「自分だって同じように生きている権利があるのだ」という考えを蘇らせたのは、ほかならぬ敬之進の細君の姿でした。「気が狂いそうになる」生活の中で、一家7人の命を支えるために死に物狂いで働く姿でした。
しかもその労働の上がりはといえば、収穫の7割近くも小作料として地主に収めなければならなかったのです。藤村が『破戒』にとらえた「労働」とは、実にこうした厳しい現実生活を支えるものでした。
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