鳥獣戯語

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猪子蓮太郎の巻

 藤村が「目覚めたもの(=丑松)の悲しみ」と「向町の39戸」とを切り離してしまったために、丑松の苦しみは内へ内へと向かって行き、出口のない苦しみになります。また、被差別部落が「ああいう風に世の中から嫌われている特別な種族」という偏見をもって描かれたために、後に水平社の糾弾を受け、絶版→修正→復刻という数奇な運命を辿ることにもなりました。

 代議士に立候補した高柳が選挙資金を得るために政略結婚しますが、その相手方たる被差別部落の資産家・六左衛門の屋敷の近くに、丑松が蓮太郎を案内するくだりを、藤村はこう描いています。
「・・・新平民の子らしいのが、七つ八つを頭にして、何か「めんこ」のような遊びでもして、その塀の外に群がり集まっていた。中には頬の赤い、眼つきの愛らしい子もあって、普通の家の子どもといささかも相違のないのがある。中にはまた、卑しい、おろかしい、どう見ても日陰者の子らしいのがある。(中略)・・・こうして無智と零落とを知らずにいるえた町の空気を呼吸するということは、痛ましいとも、恥ずかしいとも、腹立たしいとも、名のつけようのない思いをさせる。『われわれを誰だと思う』と丑松は心に憐れんで、一時も早くここを通り過ぎてしまいたいと考えた。『先生ー行こうじゃありませんか』と丑松はそこに佇み眺めている蓮太郎を誘うようにした。」(第8章)

 まるで動物園の檻の前を見て歩くような眺め方です。しかも藤村は、丑松の目を通してそういう眺め方をさせた上に、「一時も早くここを通過」させようとするのです。これでは、被差別部落民が怒るのも当然でしょう。

 さて、「丑松の父の巻」では、『破戒』を書くにあたっての「藤村の意図」によって歪められた部分について書いてきました。しかしそれだけが藤村の意図ではありません。彼は3つの意図を持って『破戒』を書いています。
 1つ目は、「目覚めたものの悲しみ」で、これはすでに紹介しました。
 2つ目は、藤村の次の言葉に表現されています。
 「書中写すところは種々なる生活状態に触れて光景多様なりといえども要するに鬱勃たる新興の精神を  もって全編を貫きたり」(『破戒』の広告文、『新小説』1906年3月)
 「この作は私が長編小説の最初の試みであった。私は自分の内にも外にも新しく頭を持ち上げてきた鬱  勃とした精神でこの作を貫くべく決心した。」(新潮社『現代長編小説全集』第6巻「序にかえて」  1929年)
 内からふつふつと湧き上がってくる、旧弊を打破しようとする気概が溢れています。そしてまた、世に出てあわよくば時代を動かす存在にならんとする若々しい野心も顔を覗かせています。蓮太郎を行動に駆り立てるもの、丑松の内心を衝き動かすもの、さらには丑松の父の烈しい気性の背景にあるものもまた、この精神です。
 3つ目の意図は次のようなものです。
 「部落出身のゆえに長野師範を追われた心理学講師の話を知人から聞いて、部落民であるという理由だけで、さなざまな迫害を受けねばならなかった悲惨な生涯に感動した」(「『破戒』の著者が見たる山国の新平民」1906年6月=談話)
 丑松のモデルとされる「長野師範を追われた心理学講師」は、大江磯吉という人で、長野を追われ、大阪を追われ、最後は兵庫県立柏原(かいばら)中学(現柏原高校)の校長をしましたが、34歳で亡くなっています。もちろん藤村は大江磯吉のその後は知らなかったと思われますが、この「悲惨な生涯に対する感動」が作品の底流を貫いています。

 1つ目の意図にもかかわらず、『破戒』が不朽の名作として今日でも多くの読者に感動を与えることができるのは、2つ目・3つ目の意図の力だと思います。この力によって、『破戒』は、日清戦争から日露戦争へと続く時代の核心を突いただけではなく、現実にはまだ登場していなかったような人物をも描き出したのでした。それが猪子蓮太郎です。 (つづく)


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