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蓮太郎の思想とは一体どんなものだったのでしょう。藤村はその中身を具体的に示すことはありませんでした。読者に示された資料としては、蓮太郎が著した5冊の著書のタイトルだけといっても過言ではありません。その5冊とは、処女作『現代の思潮と下層社会』、第2作『平凡なる人々』、第3作『労働』第4作『貧しきものの慰み』、そして最後の作となった『懺悔録』です。
我は穢多なり。これはまさしく「部落民宣言」です。蓮太郎はこの宣言を『懺悔録』の冒頭に据えたのでした。彼のこれまでの人生のすべてをこの一言に収斂したかのような気迫を感じます。言うまでもなく、蓮太郎の価値は何よりも『懺悔録』の著者であるというそのことにあります。もし彼が『懺悔録』を著さなかったならば、丑松の苦悩はずいぶん生ぬるいものになっていたでしょうし、『破戒』一篇の生命力もまた、読書界に一時的な慰めをもたらしただけで潰えていたでしょう。
我は穢多なり。一体彼はどのようにして、この部落民宣言にまで行き着くことができたのでしょうか。彼はなぜ『懺悔録』の冒頭をこの言葉で始めなければならないと考えたのでしょうか。そしてそれはなぜ「懺悔」でなければならなかったのでしょうか。この疑問を解き明かさない限り、『破戒』の核心には迫れません。蓮太郎の昂然たる宣言と丑松のうなだれた告白と、両者の間に横たわる問題に迫ることはできません。わずかながらも作品に示されたいくつかのヒントと、蓮太郎の置かれた状況や心境の変化に関する描写の断片をつなぎ合わせて、この疑問を解き明かしていきたいと思います。
蓮太郎が「穢多」であることを自ら公言したのは、おそらく『懺悔録』が初めてではありません。土屋銀之助にしても勝野文平にしても、あるいは蓮太郎の著作を読んだこともない校長や他の教師にしても、蓮太郎が「長野師範を放逐された穢多」であることをすでによく知っています。つまり、『懺悔録』に先立つ4作のいずれかで、蓮太郎がそのことを明かしたか、あるいはそのことを売り物として出版社が本の広告をすることに著者が同意したか、そのどちらかがあったはずです。
もちろん、彼の出発点はそこにあったし、彼自身それを書かずには著作という行為に何の意味も持ちえなかったでしょう。しかしそれならば、なぜ彼は新しい著作のタイトルを「懺悔」と銘打たなければならないと考えたのか? そこには、奥に押し込められた蓮太郎の内面的な葛藤があります。
(つづく)
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