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『懺悔録』に先立つ4作において、蓮太郎は、自分の出自について、また出自ゆえに被った迫害の実体験について、世間に訴えたにちがいありません。しかし、その“訴え方”、その“筆の運び”といったものにどうしても彼は納得がいかなかったのではないか、と私は思うのです。
処女作『現代の思潮と下層社会』は自分を放逐した長野で書かれましたが、その後、蓮太郎は長野を捨てて東京に出ています。その背景は定かではありません。
あの先生が長野に居た時分、郷里の方でもとにかくああいう人を穢多の中から出したのは名誉だと 言って、講習に頼んだそうです。そこであの先生が出掛けて行った。すると宿屋で断られて、泊まる 所がなかったとか。そんなことが面白くなくて長野を去るようになった 云々 (第3章)
と、勝野文平が評しているようなことが理由であったかもしれません。それとも、八方道を塞がれた末、文筆で暮らしを立てるために東京に出たのだったかもしれません。
いずれにしても、彼は自分を放逐した長野という“敵地”を自ら捨てて、生活の拠を東京に移したのでした。その意味で、長野で書かれた『現代の思潮と下層社会』とそれ以降の作との間には、彼の生活上に大きな転機があったわけです。
蓮太郎は、丑松が自分の後輩だとは夢にも知らずに、丑松を前にしてこう述懐しています。
僕は仲間のことを考える度に、実に情けないという心地(こころもち)を起こさずにはいられな い。お恥ずかしい話だが、思想の世界というものは、未だ僕等の仲間には開けていないのだね。僕が あの師範校を出た頃には、それを考えて、随分暗い月日を送ったこともありましたよ。病気になった のも、実はその結果さ。・・・ホラ、君の読んで下すったという『現代の思潮と下層社会』ーあれを 書く頃なぞは、健康(たっしゃ)だという日は一日もない位だった。 (第9章)
蓮太郎の処女作は、このような放逐と病魔の二重の痛手の中で、暗澹たる気持ちで書かれたのだということがわかります。その時、彼の目は“自分が「穢多」である”ことに、“「穢多」であるために放逐されたという事実”に、そして“放逐した側のおぞましい言動と行状”に据えられていたにちがいありません。あるいは少し射程を伸ばして、同様に虐げられた小作層にまで彼の目は及んでいたでしょう。
本のタイトルに言う「下層社会」とは、この場合、“長野的現実”の中で蓮太郎が目にした下層社会、すなわち、農具さえ持たない「穢多」であり、田畑を持たない小作農であり、また家族の貧をしのぐために工場で働く紡績女工であっただろうと思います。
やがて長野から東京に出た彼は、そこに何を見たでしょう。彼は初めて見る世界(東京的現実)に目を見張ったにちがいありません。そこに「下層社会」の新しい主人公として、工場労働者を中心とする膨大な貧しい労働者の群を見たはずです。
長野的現実の中で小作農や紡績女工の生活を視野に収めた蓮太郎のことですから、ここでも「倦まず撓まず努め」たことは、十分想像できます。そうして、おそらく彼には「穢多」としての己れの存在にのみ拘らない新しい目が開けたと私は考えます。『労働』『平凡なる人々』『貧しきものの慰め』と続く作品は、そうした視野の広がりの中でこそ生み出すことができたのだと思います。もちろん蓮太郎の著作の中味は一切伏せられたままです。けれども、その題名に注目するならば、『現代の思潮と下層社会』という処女作の題名から連想されてくる中味の抽象性・観念性が、その後の一連の作では払拭され、人間をテーマとした「下層社会」の現実生活により密着したものとなりえた、と想像できるのです。そして、だからこそ彼は確固とした名声を得ることができたのだと思います。
(つづく)
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