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蓮太郎は、すでに築いた社会思想家としての地位に安住することを拒否します。彼は「穢多」としての自己表出をそういう弱々しさのまま自作に許しておくことに耐えられません。<それはまだ、放逐の傷口を自らいたわるように甞めていることである。それは依然不自由な精神のありようである。放逐の痛みから自らを解き放つべし>。自戒をこめて、彼は原点に立ち返り、「穢多」としての己が存在を真正面に据えて一歩も退かない地点から訴えることを決意するのです、それが『懺悔録』の冒頭の部落民宣言の意味であり、だからこそ過去を振り返った彼自身にとってそれは「懺悔」でなければならなかったのだ、と私は思うのです。
『懺悔録』が彼にとってそういうものだったとすれば、当然、それを著す前と後とでは蓮太郎の内部の精神状態に大きな変化が生じたはずですが、その変化を藤村は次のように見事に描いています。丑松と二人、草土手に足を投げ出して信州の自然に眺め入る蓮太郎の、内心の「不思議な変化」について、こう書かれています。
起きたり伏(ね)たりしている波浪(なみ)のような山々は、不安と混雑とよりほかに何の感想 (かんじ)をも与えないーそれに向かえばただ心が掻き乱されるばかりである。こう蓮太郎は考えた 時代もあった。不思議にもこの思想(かんがえ)は今度の旅行で破壊(ぶちこわ)されてしまって、 はじめて山というものを見る目が開いた。新しい自然は別に彼の眼前(めのまえ)に展(ひら)けて きた。(中略)一概に平凡としりぞけた信州の風景は「山気」を通してかえって深く面白く眺められ るようになった。 (第8章)
ここでいう「今度の旅行」とは、国政選挙の応援遊説と研究を兼ねた旅行のことであり、『懺悔録』を世に出した直後の旅行のことです。もちろん、「貧民、労働者、または新平民等の生活状態を研究して、社会の下層を流れる清水に掘りあてるまでは倦まず撓まず努める」ほど研究熱心な蓮太郎のことですから、自分を放逐した土地への思いを深く沈めながらも、これまでにも何度か信州を訪れたことがあるでしょう。
注目すべきは、『懺悔録』を書く前の蓮太郎にとって、信州の自然は「それに向かえばただ心が掻き乱されるばかりだった」ということです。「不安と混雑とよりほかに何の感想をも与えなかった」ということです。自然までがそのようにしか見えないほど、人の世の差別と迫害が重く大きく彼の心身に覆いかぶさっていたと言わなくてはなりません。
ところが今度の旅行で、彼は、自然に対するそういう感じ方が<不思議にもぶち壊されている>自分に気付きます。「はじめて山というものを見る目が開いた」、「新しい自然は別に彼の目の前に展けてきた」と、藤村は書いています。いま、蓮太郎の心は自然を自然そのものとして観る余裕を持っています。そしてその自然を美しいと思い、面白いと感じているのです。そこには清々しい解放感が漲っています。
自ら背水の陣を敷き、己れに対する「懺悔」をそっくりそのまま社会に対する「宣言}という高みにおいて書きえたことで、蓮太郎に初めて新しい境地が開けたのです。こうして彼はついに自由を手にすることができたのです。本来の自分を取り戻したのです。そしてはじめて、彼は師範校を追われた屈辱の痛みを克服し、呪縛された心を解き、彼を取り巻く差別と迫害を凌駕する地点に立つことができたのです。
<我は穢多なり>ーそれは、そうしたすべてが一言のうちに凝縮して籠められた言葉だったのです。
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