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藤村以前にも、被差別部落民を小説に取り上げた作家は何人かいました。しかし、いずれも「ひねくれもの」か「犯罪者」の扱いしか受けていません。ところが藤村は、丑松と蓮太郎を明確に『破戒』の主人公とし、しかも丑松の内面的苦悩に自分の苦悩を投影して前面に押し出すことで、最も人間的な存在として文学に登場する当然の権利が被差別部落民にあることを示したのです。
当時の文壇が、『破戒』一篇のために、<穢多の丑松>のためにどれほど大きな衝撃を受け、どれほどの混乱を呈したか、それを如実に表現したのが与謝野晶子でした。
私は「穢多ー新平民」というものを、この通り全編の骨に用いてある事が、どうも快い感じがいた しません。(中略)今日もなお、さような忌まわしい、無情冷酷な、人でなし扱いを受けている人達 があると承りましては、まるで世間が、20年も前、まだ私の子供の時代に後戻りした気がしまし て、あさましいとも何とも、ただ呆れ入るより外はございません。それで作者ができるだけ厚い同情 を以って紹介(ひきあわ)せて下さいます主人公の丑松を、私はどうも正面には眺めかねます。(中 略)私は丑松の運命を司配するものを、忌まわしい穢多事件ではなく、外の原因に取り替えて、そう して丑松のために泣きたいと思います。(与謝野晶子「小説『破戒』其の他」『明星』1906年)
長く市会議員を勤めた父を持つ晶子は、堺の旧い和菓子屋の娘です。彼女は上京して6年目に『破戒』に接して、20年前の幼い頃のことを思い出します。「下男どもが指差して『今お店の前を穢多の娘が通ります』などと教えてくれます度に目をそらして奥へ逃げて入った」自分を思い出します。その幼い頃の気分のまま、彼女はこの感想を書いています。
「今日もなお、さような忌まわしい、無情冷酷な、人でなし扱いを受けている人達がいる」ことを知った彼女は、しかし、「丑松の運命を司配するものを、忌まわしい穢多事件ではなく、外の原因に取り替えて」くれ、と嘆願するのです。日露戦争の「出征」兵士を送る旗の波の中で「君死にたまふことなかれ」と歌って当時の圧倒的な潮流に棹差した彼女が、ここでは子どものように「目をそらして店の奥へ逃げて入ろう」としています。彼女は、恥じらい恐れています。丑松を目の前に突きつけられることで、幼い頃肉親と「下男ども」に垣間見た心の醜さを、自分の中にも発見してしまうことを恐れています。そして、その存在に目を瞑ることで、過去の話として忘れることで、心の安穏を取り戻そうとしています。
与謝野晶子にして然りです。それ以上の世間の偏見と毛嫌いの渦巻く中に、藤村は丑松や蓮太郎を投じたのだと言わなくてはなりません。
(つづく)
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