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そういう同情の仕方を最もよく代表してみせたのが土屋銀之助です。
「猪子先生は穢多だから、ああいう風に考えるのも無理はない。普通の人間に生まれたものが、な にもあの真似をしなくてもよかろうーーあれほど極端に悲しまなくてもよかろう」
「では貧民とか労働者とかいうようなものに同情を寄せるのはいかんと言うのかね」
「いかんと言う訳ではないよ。僕だっても、美しい思想だとは思うさ。しかし、君のように、そう考 え込んでしまっても困る」 (第3章)
塞ぎこんでいる丑松に、銀之助はそう忠告します。ここだけを読めば、蓮太郎の人となり、その思想に関する限り、銀之助の感想は敵意を含んでいません。深刻さこそありませんが、好意すら寄せています。しかし次の箇所を読めば、この好意は、蓮太郎を個として「穢多」から切り離した上での「好意」なのであって、銀之助は<「穢多」の蓮太郎>を毫も認めていないことがわかります。
丑松の下宿を訪れた銀之助と文平は、丑松を前に置いて、蓮太郎についてこんな会話をしたのです。(銀之助はまだ丑松の素性を知りません)
「実際病人は真面目ですからなあ。『死』という奴を眼前に置いて、平素(しょっちゅう)考えてい るんですからなあ。あの先生が書いたものを見ても、何となくこう人に迫るようなところがある。あ れが肺病患者の特色です。まああの病気の御蔭で豪(えら)くなった人はいくらもある」
「ははははは、土屋君の観察は何処までも生理的だ」
「いや、そう笑ったものでもない。見たまえ、病気は一種の哲学者だから」
「してみると、穢多がああしたものを書くんじゃない、病気が書かせるんだーーこうなりますね」
「だって、君、そうとるより外に考えようがないじゃないかーーただ新平民が美しい思想を持つとは 思われないじゃないかーーははははは」 (第3章)
丑松を前に置いて、無頓着な銀之助はそう言ったのです。丑松に降りかかった魔手からこの親友を庇い護ろうと心を砕く銀之助ですが、その善意とは裏腹に、彼の言葉は匕首(あいくち)となって丑松の心を突き刺しました。
友達が帰った後、丑松は心の激昂を制(おさ)えきれないという風で、自分の部屋の中を歩いてみ た。その日の物語、あの二人の言った言葉、あの二人の顔に表れた微細な感情まで思い出してみる と、何となく胸肉(むなじし)の慄(ふる)えるような心地がする。先輩の侮辱されたということ は、第一口惜しかった。賎民だから取るに足らん。こういう無法な言い草は、ただ考えてみたばかり でも、腹立たしい。ああ、種族の相違というわだかまりの前には、いかなる熱い涙も、いかなる至情 の言葉も、いかなる鉄槌のような猛烈な思想もそれを動かす力はないのであろう。多くの善良な新平 民はこうして世に知られずに葬り去らるるのである。 (第3章)
丑松の胸肉を慄えあがらせたのは、「あの二人の言葉、あの二人の顔に表れた微細な感情だった」と、藤村は書いています。思いやりもあり、正直で、曲がったことの嫌いな銀之助といえども、一皮剥いた心の内は、勝野文平と変わらぬ差別意識の持ち主なのです。しかも、自分が口にしたその一言がどんなに親友を苦しめ、辱める結果をもたらすかということは、銀之助の理解するところではありません。
「ただ新平民が美しい思想を持つとは思われないじゃないか」。実に軽い調子で<そのこと>は言われたのです。「猫が捨てられたって何だーー下らない。穢多が追い出されたって何だーー当たり前じゃないか」(第3章)と言ってのけた銀之助は、ここでもまた「穢多」を犬や猫と同列に置いて「美しい思想を持つとは思われない」と言ったのです。そして彼は「ははははは」と笑った。
日頃から、言いたい放題を言って屈託なく笑い飛ばす銀之助ですが、この場の笑いは<屈託のない笑い>にはなっていません。おそらく丑松は「顔に表れた微細な感情」をこの笑いの中に読み取ったに違いありません。それは、相手の(文平の、そして銀之助のとっては「平民・丑松」の)劣情に媚びて同意を求めるような下品な感情でと言わなくてはなりません。
(つづく)
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