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5月に孫が生まれました。6人目の孫です。こまめに手伝いに行きますが、母親の手が離せない時には、赤ちゃんを寝かしつけるのが僕の役割。「じいじは寝かせるのがうまいから・・・」とおだてられて、赤ちゃんを押し付けられます。
抱いて揺すりながら子守唄を歌って聞かせるのが僕の流儀です。シューベルトの子守唄、モーツアルトの子守唄、アイルランドの子守唄、コサックの子守唄など西洋のものから、江戸子守唄、五木の子守唄、島原の子守唄、竹田の子守唄など日本のものまで、知っている唄を片っ端から歌って聞かせます。たいてい5曲ぐらいですやすや寝てくれますが、今度は僕のほうが悦に入ってしまって全曲を歌い切るまでやめないのでみんなから笑われます。
先日もそんなふうに歌いながら、ふと気が付いたことがあります。西洋の子守唄の歌い手は母親か父親なのに、日本の子守唄はそうではないということです。『ゆりかごのうた』や『わらびがみ』など比較的新しい唄は別にして、古くから歌い継がれてきた日本の子守唄の歌い手の多くは子守り奉公に出された子どもたちです。
そうか!「子守り」が歌う唄だから「子守唄」か。そういえば西洋では「子守唄」とは言わないで「ララバイ」。ララバイの原語は「あやす」とか「静める」の意味だから、なるほどそれで西洋の唄は親がわが子をあやして寝かせる唄になるわけか。「そんなこと、今ごろ気が付いたんか!」と叱られそうですが、気が付いてしまったものは仕方がありません。そこで今回はよく知られた日本の子守唄について、いくつか考えてみます。
『中国地方の子守唄』
1.ねんねこしゃっしゃりませ 寝た子のかわいさ
起きて泣く子の ねんころろん つら憎さ
ねんころろん ねんころろん
2.ねんねこしゃっしゃりませ きょうは二十五日さ
あすはこの子の ねんころろん 宮参り
ねんころろん ねんころろん
3.宮へ参ったとき なんとゆうて拝むさ
一生この子の ねんころろん まめなよに
ねんころろん ねんころろん
「起きて泣く子の つら憎さ」とはありますが、この唄は母親がわが子に歌っています。西洋のララバイと同じように、つつがなくこの子が育ちますようにとの願いが込められていますね。
『江戸子守唄』
ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな
坊やのお守りは どこへ行た あの山越えて 里へ行た
里のおみやに 何もろた でんでん太鼓に 笙の笛
叩いて聞かすに ねんねしな 叩いて聞かすに ねんねしな
この唄も母親が歌っていますが、坊やのお守りは「あの山越えて里へ行った」とありますので、いつもは子守り奉公の少女がこの子のお守りをしているのがわかります。このように、昔は貧しい家庭の子どもは「口減らし」で奉公に出されました。男の子なら「丁稚奉公」、女の子なら「子守り奉公」が相場でした。昔と言ってもそれほど古い話ではありません。実際、僕の父親も尋常小学校卒業と同時に紙屋さんに丁稚奉公に行きました。「丁稚」というのは雑役係の子どものことで、「年季奉公」と言って3年とか5年とか住み込みで働くのです。「働く」といっても、子どもですから給金はありません。飴玉を買う程度の「おこずかい」が関の山だったそうです。実家に帰れるのは盆と正月の2回だけ。それを「藪入り」と言います。藪入りには雇い主側でもふんぱつして、奉公人に着物や下駄を新調して着せてやりました。
さて、この子守唄の「お守り」さんも藪入りで「あの山越えて」里に帰りました。きっと新しい着物と下駄をいただいたのでしょう、里から戻るときには「坊や」のためにと、両親が「おみや」を持たせてくれました。でんでん太鼓と笙の笛です。
「でんでん太鼓」というのは竹などの柄に紙製の太鼓を付けたおもちゃで、柄にくくりつけた2本のヒモの先に豆の錘がついていて、竹の柄を握って回すとピンと張った紙の太鼓に豆が当たって「でんでん」と鳴るアレですね。しかし、「笙の笛」は何でしょう。神社の祭の雅楽で吹く笙?いえいえ、そんな高価な楽器が少女の親に買えるはずがありません。ここでいう「笙の笛」というのは、村祭で吹く篠笛のミニチュア版のような竹笛で、音も一つか二つ出すのがやっとという子ども用のおもちゃのことらしく、伊勢参りの土産品にもあったとか。
それはさておき、『江戸子守唄』に出てくる「主人」と「奉公人」との関係は、なかなかうまくいっているように僕は感じますがいかがでしょうか。
『五木の子守唄』
1.おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先やおらんど
盆が早よ来りゃ 早よもどる
2.おどま勧進勧進 あん人たちゃよか衆(し)
よか衆やよか帯 よか着物(きもん)
3.おどま打死(うっちん)ちゅうて 誰(だい)が泣いてくりゅか
裏の松山 蝉が鳴く
4.蝉じゃござんせん 妹でござる
妹泣くなよ 気にかかる
5.おどま打死(うっちん)だば 道端(みちば)ちゃ埋(い)けろ
通る人ごち 花あぎゅう
6.花は何の花 つんつん椿
水は天から もらい水
こちらの歌い手は明らかに子守りの女の子です。主人と奉公人との関係はというと『江戸子守唄』の場合とはガラリと変わっています。
熊本県の五木はその昔、平家の落人の集落として執拗な差別を受けてきましたが、「地頭」と呼ばれる大地主の所で働く「名子」たちは子どもを奉公人として差し出すことを強要されたようです。
待ちに待ったお盆がきて、子守りから一時解放されて女の子は実家に戻ってきました。女の子には幼い妹がいます。この唄はその妹に聞かせているようにも、また独り言のようにも受け取れますが、難解な言葉もありますので、唄の意味を大阪弁で辿ってみましょう。
1.うちがこの家にいられるんは盆の間だけやさかい 盆から先はおらんで
妹よ 来年の盆が早うくりゃ早う戻るから それまで待っといてな
2.うちはどうせ「勧進」や うちが背たろうてるあの子らは「ええとこの衆」や
ええとこの衆はええ帯にええべべ着せてもろて ほんまにええなあ
*「勧進」は本来寺社建立のための寄付を集めて回ることを意味しましたが、転
じて「物乞い」を指すようになりました。
3.うちらみたいなもん ぽっくり死んでしもうたかて 誰も泣いてくれへん
ああ 裏の松山で 蝉が鳴いてる
4.いやいや蝉やない うちの妹や 頼むから泣かんといて
来年戻ってくるまでずっと気になってしょうがないやんか
5.うちが死んだらお墓はいらん 道端に埋めてくれたらそんでええ
そうしたら通る人ごとに お花を供えてくれるかもしれへんな
6.花は何がええかな つんつん椿がええなあ
家には井戸なんてあらへんさかい 水は天からもらい水や
このように差別の中から生まれた子守唄はほかにもあります。1970年ごろにフォークソンググループ「赤い鳥」が発掘して一世を風靡した『竹田の子守唄』もそのひとつです。京都の被差別部落に伝わる唄ですね。
『竹田の子守唄』
1.守りもいやがる 盆から先にゃ 雪もちらつくし 子も泣くし
2.盆が来たとて なにうれしかろ かたびらはなし 帯はなし
3.この子よう泣く 守りをばいじる 守りも一日 痩せるやら
4.はよも行きたや この在所越えて 向こうに見えるは 親の家
向こうに見えるは 親の家
『江戸子守唄』では、盆・正月の藪入りになると主人は奉公人に着物と下駄を新調してくれましたが、『竹田の子守唄』では「かたびら(=着物)も帯もなし」。年がら年中「ただ働き」だったことがうかがえます。雪の降りしきる中、泣きたいのを必死にこらえながら、ひたすら年季の明ける日を待ち侘びている幼い女の子の子守りの姿が心に迫ってきます。
もちろん、丁稚や子守りの奉公人を雇う側にもやむにやまれぬ事情がありました。大地主は別にして、職人や商売人、農家にしてもみな家族労働ですから、乳飲み子を背負っての重労働は骨身にこたえます。奉公人を雇うことで、女性も一家を支える大黒柱となりえたのです。とはいえ、10歳そこそこの子どもたちが親の家を出て見ず知らずの家で住み込みで働くのはさすがに厳しいものがあります。日本の子守唄はそうした子供たちの心情をよく表しています。
さて、ここまでそうした子どもたちの「健気に耐え忍ぶ姿」を見てきましたが、最後に、耐え忍ぶだけではない彼女たちの姿を紹介します。大阪のある被差別部落に伝わる子守唄です。
『南の庄の子守唄』
1.ねんねする子に 赤いべべ着せて
ねんねせん子に 縞のべべ 聞こえたかい
2.この子死んでも 墓へはやらぬ
焼いて粉にして 白湯で飲む 聞こえたかい
3.旦那よう聞け お家さんも聞け
守りをきつすりゃ 子にあたる 聞こえたかい
4.子にあたれば そぶつにあたる
丈の短い 身の狭い 聞こえたかい
*そぶつ=惣物=盆暮に奉公人のために仕立てる着物
この子死んでも墓へはやらぬ 焼いて粉にして 白湯(さゆ)で飲む・・・なんという激しい情念でしょう。「聞こえたかい」とあるように、この唄は敢えて雇い主に聞かせようという意志をもって歌われています。しかし本当に聞かれてしまったらその仕返しに「丈の短い着物(=そぶつ)を着せられて、肩身の狭い思いをさせられる」ということもわかっているのです。わかっちゃいるけど言わなきゃいられない・・・そういう根性の据わった子守唄だと言わなければなりません。
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