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暫くお休みをしていましたが、亡き父の四十九日の法要・納骨も無事済みました。
五男二女を儲けた祖父・祖母の次男として大正の最後の年に生まれ、尋常小学校を出て名古屋の漆屋さんに勤め(奉公ですね)、蒔絵師であった祖父に付いて東京に出て、「東京大空襲」の惨禍を妹を背負ってくくり抜け、区役所が焼けたので徴兵は無いと思いっていたのもつかの間、確り「赤紙」を頂戴し、ほんの短い期間ですが、帝国の守りの為「浜松の高射砲部隊」に配属され終戦を迎えました。
成人するまでの間、そのような情勢の中で人生を送っていた父でしたから、戦後は父なりに一本筋の通った考え方・生き方でした。
昭和30年台に母とお見合い結婚し、決して裕福とは言えない生活の中で3人の子供を育て、仕事は職人として五月人形作成に携わっていました。もうすぐ88歳となるつい最近まで、退職した職場でパートをして働いていました(職人さんが少ないもので)。
ここ30年は特に地域での所謂「民主的活動・行動」に力をいれつつも、個人的には「歴史好き」「旅行好き」でした。
そんな父でしたから、通夜・告別式には思った以上に人が集ってくれました。
私自身ここ数年は実家に帰った際に、機会があれば父母を連れ出して日帰りドライブに誘っていましたが、今年の春先に鴨川シーワールドに行ったのが最後のドライブになりました。
平均寿命を上回っていたとは言え、然したる持病も無かったので突然の死。「いずれは・・・」と頭の隅で覚悟していたとは言え、ショックでした。
出先で倒れた為、実家に戻った時に父は既に葬儀場に安置されていました。
私は結局、葬儀の最後まで父の肌に触れる事は出来ませんでした・・・たぶん「父の死」という現実を、冷たくなったその亡骸から感じ取ると事を拒否したかったのだと思います。
父が亡くなって今思う事は、情けない話ですか「未だに親父の知識には敵わない」って事です。
写真は2008年に群馬県の板倉町のコスモス畑で撮ったもの。この時撮った別の写真が葬儀の遺影となり、今は仏壇に飾ってあります。
脈絡の無い話でしたが、父への感謝と冥福を祈って。
2015年9月7日(月)
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