Kuzu's Music Diary

更新がまばらになっていますが、断続的に報告して行きます。

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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 316
ネマニャ・ラドゥロヴィチ(ヴァイオリン)
クワメ・ライアン/フランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団
 ベートーヴェン: ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61
(2007.5.4 21:30 東京国際フォーラム ホールA シュパウン)

公演が終わって1時間。あまりの衝撃にいまだ言葉が見つからない。今まで聞いていたベートーヴェンは、ヴァイオリンは何だったのか。昨年のチャイコフスキーとは比較にならないショックが、おそらくホール中を支配していたと思う。技術とか、情熱とか、当たり前のことを書き綴っても陳腐になるだけ。たった1挺のヴァイオリンから吹き出すように飛び出してくる音は、まさに歌。どんなに速いパッセージも、思いのこもった歌声に聞こえる。しかもその音色が変幻自在で7人の歌手が入れ替わり立ち替わり歌っているよう。何の飾り気もない、ただ音楽を奏でたい、といった熱さに引っ張られ、指揮者もオーケストラもぴったりとついて行く。普通なら伴奏から浮いてしまいかねないほどの個性なのに、だれもを巻き込んでしまう魔法のような力がそこにあった。
黒いスーツに包まれたスリムな長身でステージに現れ、毛足の長いプードルのような長髪を角兵衛獅子のように振り上げる挨拶から、ソロの出番までの長い間を待ちきれないように、オーケストラのパートを演奏して音楽に没入していく姿を見ながら期待を高めていたところに、その期待の遥かに上をいく音色でソロが始まった瞬間から、最後の1音が消えるのを待てずに喝采が始まるまであっという間だったように思う。テンポは総じて速い訳ではないが、まるで時間が伸び縮みしているかのように、あるいは音自体が生きているかのように、音楽が自在に流れ、佇み、踊る。昨年から感じていた潤いと色気のある中音域に、つやのある高域の美しさを増したその「歌声」は、第2楽章の切々たる旋律を見事に歌いきり、第3楽章のカデンツァではクライスラーのお馴染みのパッセージさえお遊びに聞こえるほど、彼だけの音楽を次から次へと繰り出してくる。もちろんとてつもない演奏技巧に裏打ちされてのことだが、それを語るのも恥ずかしくなるほどに、強靭な表現が直接心をわしづかみにする。フランスらしい明るい音色のオーケストラがこの音楽と一体化する様子も驚異的だ。
ネマニャ、いまだ20代前半。このとんでもない才能がまだ50年ももしかしたら60年も音楽を奏で続けることを考えると、末恐ろしい。これからどんな変化を見せて行くのか。録音に収まりきらないそのコンサートならではの足跡を、一歩残らす聞いていきたいくらいの思いに駆られる。
このコンサートを聴けて本当に幸せだった。


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