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			<title>Kuzu&#039;s Music Diary</title>
			<description>コンサート、放送、CD／DVDでの音楽体験を、分かち合いませんか。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kuzu_ny</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>Kuzu&#039;s Music Diary</title>
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			<description>コンサート、放送、CD／DVDでの音楽体験を、分かち合いませんか。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kuzu_ny</link>
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		<item>
			<title>音楽に「代役」などあり得ないのだ</title>
			<description>&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;サイトウ・キネン・フェスティバル松本　オーケストラコンサートB&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;（2010.9.5 16:00～　長野県松本文化会館）&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;div&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;チャイコフスキー：弦楽セレナード　第１楽章&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;小澤征爾／サイトウ・キネン・オーケストラ&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;武満徹：ノヴェンバー・ステップス（尺八：三橋貴風&amp;nbsp;　琵琶：田中之雄）&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;ベルリオーズ：幻想交響曲&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;下野竜也／サイトウ・キネン・オーケストラ&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;&lt;br&gt;
&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;小澤さんは、想像以上にアクティブだった。舞台裾でかんたんな挨拶をして来年はばっちり、の約束をしてくれた後、いつものようにオーケストラを迎えながら、痛みを感じさせる足取りで指揮台へ。椅子に腰をかけてから振り始めるのかと思ったら、最初の音から、立ち上がったまま全身全霊を込めた指揮。腰掛けたり立ち上がったりを繰り返すが、心配したような、「思い通りに振れない」もどかしさは感じさせない。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;もちろんわかっていたことだが、小澤さんは指揮台にあがってしまうと、「腰が痛いからこういう振り方」というような中途半端なことはできない。いつもと変わらない勢いで音楽に没入して行くから、１曲だけに止めておかないと、一晩でこわれてしまいかねないのだ。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;この日の演奏では、これまでにないほどの優しい瞬間も聞こえ、小澤さんが「第二の人生」という境地で、決して枯れた音楽をやるようになったのではないこと、いやむしろ新たな色気を感じさせるほど音楽に生命を与えていた。この曲に込めた斎藤門下の「念」のようなものを思うと、この７分間は立派にひとつのコンサートだったと言える。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;&lt;br&gt;
&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;いっぽう当初予定の２曲は、下野さんがそのままの演目で引き受けることになった。それは小澤さんが直々に指名・依託したという。つまり小澤さんの全幅の信頼を得ての登壇。下野さん自身にとっても大変勇気のいることであったろうし、実際大変なプレッシャーもあったと思う。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;コンサート後のマスコミの論調はおそらく、下野さんが立派に代役を務め、コンサートを成功に導いた」ということになるのだろう。終演後のブラヴォーと喝采とは熱狂的と言えるほどで、下野さんの、あるいは下野さんの作る音楽のサポーターがこれほど多いのかと思わせるものだった。小澤さんもその成功を舞台上で祝福し、感謝を表したのだからなおさらだ。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;&lt;br&gt;
&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;だが、そうした「美談」の陰に、どうしようもない不満を抱えたまま帰路についた人が少なからずいることが、タブーになるべきではあるまい。チャイコフスキーはベルリオーズの代わりにならないし、まして下野さんは小澤さんの代役にはなれないのだ。フェルメールを見に行ったら、代わりにレンブラントが飾ってあった、とか、モネの作品が目玉の展覧会で突然ルノワールに差し変わり、「日本人にはこちらも人気ですから、これでいいでしょう」と言われるようなものだ。「私はルノワールも好きだから、これでいいですよ」という客がどれほどいるのだろう。美術も音楽も同じ。どれほど前もって告知していても同じこと。芸術に「代役」などあり得ないのだ。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;この日のコンサートは、「プログラムの一部変更」ではない。完全に別のコンサートだ。一流のミュージシャンを集めたフェスティバルだから（そしておそらく主役は指揮者でなくオーケストラだから、と運営側は言うだろう）、このタイミングで払い戻しはできない、というのはよくわかる。もちろん私だって、小澤さんにはこれからまだ長く活躍してもらうために、今は休んでいてほしい。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;理屈ではわかるし、小澤さんの無念さも痛いほどわかる。下野さんの努力と「一般論としての」成功に敬意と祝意を表すのにもやぶさかではないけれど、一方で、私にとっては、音楽体験としては非常に残念、ある意味苦痛ですらあり、下野さんにとっても気の毒な思いが捨てきれない一日であった。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;&lt;br&gt;
&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;下野さんの指揮はこれまで数回聞いてきたが、残念ながら気に入ったことは一度もなかった。Hさんと並んで実力と人気を兼ね備えた指揮者に育っていることは十分知っているが、その芸風が全く受け入れられない。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;この夜のプログラム２曲もまさにそれであった。まず武満さんの代表作について言えば、「こんな曲でさえ、これほどに印象が変わってしまうのだ」という驚きだった。２度の実演と数えきれない回数の録音再生で、この曲に対する理解はできているつもりだったのだが、今回は何が起きているのかよくわからない、という実感のまま終わってしまった。ソリストが一新されたこともその一因かもしれないが、印象が別の曲のように変わってしまい、これをプラスにせよマイナスにせよ評価することはフェアではないのだろう、と思う。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;ベルリオーズについては、ただがっかりのし通しだった。一言で言えば、まったく色気のないベルリオーズ。こんなもの私には許せない。ベートーヴェンやブルックナーをやるのなら、そしてそういった音楽のファン向けに演奏をするのなら、こういう表現でいいのだろう。実際、その狙いはぴったり多くの聴衆に受けたようで、演奏後は、真後ろの席から「ブラヴォー」の絶叫、ホールが割れんばかりの喝采であった。この種の音楽が好きな人が多いのは下野さん（そしてHさん）には幸いだ。下野さんが読売日本交響楽団という、その芸風にぴったりのオーケストラのポストにいるのは至極納得がいく。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;色気がない、というのは強面一辺倒、という意味ではない。例えば、第２楽章では徹頭徹尾レガートで音を柔らかくし、彼なりの優美さを丁寧に演出する。その一方終楽章の阿鼻叫喚と熱狂ではなりふり構わない爆発の連続。それをめりはりと呼ぶのはおよそ見当違いだ。結局１５分間ゆでてしまったパスタにラー油を大量にぶっかけて無理矢理ペペロンチーノと名付けるのに等しい不自然きわまりないものが出来上がってしまった。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;もちろん、これはベルリオーズの意図に沿った一つの再現方法なのだろう。あのグロテスクなストーリーラインに沿ってその気持ち悪さを強調するのは、ひとつの見識だ。だが、それは私がこれまで感じてきたこの曲の美しさをことごとく破壊した。ストーリーラインは大事だろうが、純粋に音楽的に美しいことが優先する、と私は思っている。時にあっさりしすぎ、と評される演奏であっても、この表題交響曲のヒロインのもつ妖しい色気と魔性を表現することに長けた指揮者がいる（言いたくないが、小澤さんはその一人である）。だが、そんな要素をすべて切り捨ててしまったのがこの日の演奏だったのだ。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;第１楽章からして、念入りに表情づけをしているのだが、その違和感から離れることができない。第２楽章は先に述べた通りのぬるぬると流れるような芯のなさ。第３楽章は潤いに欠ける。もっとも良さが見えたのは第４楽章だが、それは金管を景気よく鳴らすのを多少ためらった暗さがあったおかげ。ここまででうんざりしていると、第５楽章は耳障りなだけでしかない。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;&lt;br&gt;
&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;いまさらだが、オーケストラは呆れるほどうまい。こんなに大音量で鳴らしてもまったく破綻を生じない余裕は例がないだろうし、その大音量が作るカタルシスが聴衆を熱狂させるのも理解はできる。下野さんの芸風が受ける理由もよくわかるし、これだけの支持者がいるのだから、その芸風を守っていくべきだろう。だが、私はごめんだ。二度と彼の演奏会を選ぶことはないだろう。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;&lt;br&gt;
&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;かなりひどいことを書いているとも思う。だが、私は評論家ではないから、これは彼の音楽への批判ではなく、単に好き嫌いを述べたにすぎない。今までも今後も、聴く音楽を自分で選んでいく中で、最も期待をかけて選んだコンサートが、いやもおうもなく望むものと正反対のものになってしまった現実に対するやるせない思いを書かないでいられなかっただけだ。繰り返すが、「音楽に代役はありえない」。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:Helvetica;line-height:normal;&quot;&gt;&lt;span class=&quot;Apple-style-span&quot; style=&quot;font-size:7.5pt;&quot;&gt;今、私が望むのは、小澤さんの約束「来年はばっちり」を言葉通り守ってほしいな、ということだ。これは私がもういちど小澤さんの元気な音楽を聴きたい、という利己的な思いもさることながら、この世界に「音楽が自然に最も美しい形で鳴り響く」瞬間を作り出せる音楽家が必要だからだ。４０年後に下野さんがそうならないとも限らないが、それを見届けるまで待っていられるほど気長でもないし。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kuzu_ny/60047271.html</link>
			<pubDate>Mon, 06 Sep 2010 20:18:28 +0900</pubDate>
			<category>音楽レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>2009ホイリガーの夜</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-5e-16/kuzu_ny/folder/207813/54/58906554/img_3?1257012485&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-5e-16/kuzu_ny/folder/207813/54/58906554/img_4?1257012485&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-5e-16/kuzu_ny/folder/207813/54/58906554/img_5?1257012485&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
今年も新酒の季節が来た。解禁はイタリア、オーストリア、そしてボジョレーの順のはずだが、今年は懇意のオーストリアのワイナリーから２週間もフライングでホイリガーが届いてしまった。どうせ２週間は我慢できないのだから、この週末、封を切る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このワイナリーは、ノイジードラー湖畔のルストにある「エルフェンホフ」。メルビッシュ音楽祭に行ったことがある人なら、途上でこの町を通り、このワイナリーの建物を目にしたはず。多彩な品種の葡萄を使い、それぞれの特徴を生かした個性的なワインを作っている。リースリンクやグリュナーフェルトリナーといったオーストリアらしい白はもちろん、ブラウフレンキッシュ、サンローランなどの赤でのバランス感もなかなかのもので、ルスターレッド、アヴァンギャルドという作品は見事というほかない。今年オープンした青山のカフェラントマン（ウィーンのブルク劇場脇にある名店の日本１号店）でも提供されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここのホイリガーは、果汁の香りをたっぷりと残しながら、甘くべたつかないところまで醸造したタイミングでボトリングされている。蜂蜜のような風味でありながら、中辛口。人によると甘口と言うかもしれないが、後味がすっきりして飲みやすいのが特徴だ。&lt;br /&gt;
2009のシールを切ると、そのたまらない香りにうっとり。その味わいは例年以上にフルーティだ。残った糖度が高いのかもしれない。この味わいにあわせるなら、やはりレハールの「メリー・ウィドウ」だろう。メルビッシュの思い出をつまみに、ゆっくりと時間をかけて味わいたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今日はデザートに、マイスター・カヤヌマのカルディナールシュニッテを添えて、コーヒーはユリウス・マインルのプレジデント。できすぎのホイリガーナイトを、いち早く味わってしまった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kuzu_ny/58906554.html</link>
			<pubDate>Sun, 01 Nov 2009 03:08:05 +0900</pubDate>
			<category>音楽レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>引っ越し</title>
			<description>このたび、Kuzu&amp;#039;s Music Diary は引っ越しいたしました。&lt;br /&gt;
新しいアドレスは、&lt;br /&gt;
&amp;lt;&lt;a HREF=&quot;http://music.geocities.jp/kuzu_ny&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://music.geocities.jp/kuzu_ny&lt;/a&gt;&amp;gt;&lt;br /&gt;
です。&lt;br /&gt;
今後ともごひいきに。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kuzu_ny/58505141.html</link>
			<pubDate>Sat, 01 Aug 2009 02:54:54 +0900</pubDate>
			<category>音楽レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>ネマニャの四季は前代未聞　なんとCD録音も予定！</title>
			<description>ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 113&lt;br /&gt;
ネマニャ・ラドゥロヴィチ(ヴァイオリン)&lt;br /&gt;
シンフォニア・ヴァルソヴィア　ジャン・ジャック・カントロフ(指揮)&lt;br /&gt;
　ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「四季」作品8 &lt;br /&gt;
（2009.5.3 13:45 東京国際フォーラム　ホールA &amp;#8211; アイゼナハ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いや、面白かった。ネマニャ・ラドゥロヴィチの四季。バッハとヨーロッパというテーマの中で拾われたヨーロッパのバロック音楽レパートリーではやはり大人気の名曲だけに、ホールAでの公演。バロックをこのホールでやること自体は少々無理があるのだが、致し方ないだろう。オーケストラは、音の強さ・大きさではすっかり安心していられるシンフォニア・ヴァルソヴィア。いやはやポーランド人のパワーはすごい。今回は小編成の複数チームでの出演ではあるまいか。そう思えるくらいの出演回数だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さて、演奏はすごい。午前に聞いたバッハのデュオコンチェルトでもまったくためらいなくエモーションを発散させたユニークな演奏だったが、この四季では、ソリストとしていっそう自由自在な表現で、このイタリアのバロックコンチェルトをすっかりネマニャ色に染め変えてしまった。音量も、この巨大なホールにしては十分に鳴っていたのではあるまいか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まず、最近嫌みなほど正統をふりかざす古楽器系の表現技法などこれっぽっちも感じさせないたっぷりと乗ったビブラート、ロマン派の協奏曲のようなアゴーギグとデュナーミクの変化、さらにはっとするようなフレージングの機微。そのすべてが決して思いに任せた勢いの産物でなく、実は緻密に見通され、計算されているからすごい。相当に曲をこなしてきていると見た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
演奏のユニークさは随所に。例えば「春」の第３楽章は、冒頭から、前楽章のグルーミーなテンポとムードを引きずったまま始まる。これまでに聞いたどんな演奏もここでは春を謳歌するダンスでムードを一転させていたから、これはかなりショッキングだった。今回の演奏でも中間はテンポをあげて、リズミカルな（文字通り）ダンスを奏でる。&lt;br /&gt;
このグルーミーな終楽章は、「冬」でも同様で、ちょっと涙を誘うくらいエモーショナルな後味を残す四季になった。今の時代にこんなロマンティックなバロックを堂々と演奏する勇気にも喝采を送りたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実は偶然にもこの後、会場の通路を一人で引き上げるネマニャと出会い、この感動を伝えることができた。CD録音はしないのかと質問すると、なんと「する予定だ」という。メンデルスゾーンの例もあるので、ことしあちこちでこの曲を演奏するなかで、いずれかの機会にレコーディングセッションを持つものと思うが、とにかく今後リリースが楽しみなニュースをいち早く、それも本人の口から聞けたことが大変うれしかった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kuzu_ny/57730573.html</link>
			<pubDate>Wed, 06 May 2009 23:34:07 +0900</pubDate>
			<category>音楽レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>異質な２人のヴァイオリニストの競演</title>
			<description>まず５月３日は、香港シンフォニエッタのブランデンブルク協奏曲第５番と２台のヴァイオリンのための協奏曲、そして組曲第３番。&lt;br /&gt;
ブランデンブルクは、チェンバロのソロが少々荒いのが耳障り。しかし今回のお目当ては、デュオコンチェルトの方。渡辺玲子さんとネマニャというとんでもない組み合わせだけに、どういうことになるのか。&lt;br /&gt;
以前、東京シンフォニーに代役出演した渡辺さんの印象は、どちらかというと端正な演奏。そこにあのエモーションを惜しげもなく発散するネマニャがからむと、どういうことになるのか、これが聞き物。&lt;br /&gt;
バッハだから、しかもデュオだから少しは抑制してしまうかという懸念に反して、舞台上に登場したネマニャは、まず自分のアクションスペースを確保するために、第１ヴァイオリンの座席を少し後ろに移動させるところからスタート。曲が始まると、いつもの彼とかわらない大きなアクションで、全力で音楽を響かせる。こんなロマンティックなバッハは、今や聞かれることは稀だろう。いや、これまでに聞いたどんな実演・録音の演奏でも、バッハに対してこれほど躊躇なくパッションをぶつけたものはなかった。音質的にはなんとかバランスを保った２人のソロだが、その表現の方向性の違いは歴然。そこが面白かったのだけど。&lt;br /&gt;
最後に、組曲第３番。コンチェルトの後では、ちょっとしたクールダウンになったかも。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kuzu_ny/57730110.html</link>
			<pubDate>Wed, 06 May 2009 23:03:46 +0900</pubDate>
			<category>音楽レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>バッハとヨーロッパ　ただし、ちょっと邪道に</title>
			<description>しばらくブログでのコンサート日記をさぼってしまった。ツールのパソコンが不調になったのをきっかけについついウェブとの距離が開いてしまったのだが、今年もゴールデンウィークのラ・フォル・ジュルネを機に再開と、空白期間の補充をと決心を新たにした次第。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というのも、ことしのLFJはバッハ（とヨーロッパ）をテーマに３日間に縮小したプログラム。そのなかからどちらかというと邪道なプログラムを中心に厳選して通うことにしたので、この記録は欠かせない。この３日間は天候は下り坂だったけれど、音楽祭自体はコンパクトに盛り上がった模様。編成が小さく、不況のおりコスト削減には都合が良かったのかもしれないが、何にせよインパクトのある公演はしっかり含まれている。昨今の主流はすっかり古楽器によるオーセンティックな演奏になってしまったが、こういう楽しいお祭りだから、少々道をはずれた演奏を選んでみた。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kuzu_ny/57729934.html</link>
			<pubDate>Wed, 06 May 2009 22:50:32 +0900</pubDate>
			<category>音楽レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>徹底した統率力</title>
			<description>東京交響楽団　第564回 定期演奏会&lt;br /&gt;
2009年2/21（土） 6:00p.m.　サントリーホール&lt;br /&gt;
指揮＝飯森範親&lt;br /&gt;
ピアノ＝岡田博美&lt;br /&gt;
シューベルト：イタリア風序曲 第2番 ハ長調 D.591&lt;br /&gt;
リスト：死の舞踏&lt;br /&gt;
マーラー：交響曲 第7番 ホ短調 「夜の歌」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マーラーの第７は、一昨年新日本フィルで聞いて以来。そのときの演奏は、破綻を来して、何が起きているのかわからないほどの混乱だった。マーラーの交響曲のなかでおそらくもっともまとめるのが難しい曲ではないだろうか。&lt;br /&gt;
今夜の飯森さんは、いつもよりいっそう徹底したコントロールで細かく拍を刻み、指示を与える。破綻することがほとんどないこのオーケストラではあるが、今夜は特に気を配っていたのだろう。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kuzu_ny/56973134.html</link>
			<pubDate>Sat, 21 Feb 2009 23:59:19 +0900</pubDate>
			<category>音楽レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>優しい響きのレクイエム - そして来年はバッハ</title>
			<description>ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 514&lt;br /&gt;
谷村由美子(ソプラノ) ヴァレリー・ボナール(アルト) &lt;br /&gt;
マティアス・ロイサー(テノール) クリスティアン・イムラー(バス) &lt;br /&gt;
ローザンヌ声楽アンサンブル &lt;br /&gt;
ミシェル・コルボ(指揮) シンフォニア・ヴァルソヴィア &lt;br /&gt;
　モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626 &lt;br /&gt;
（2007.5.6 17:00 東京国際フォーラム　ホールA &amp;#8211; シュパウン）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
シューベルトをテーマとした今年のLFJで、僕が最後に聞くのはなぜかモーツァルト。一昨年ペーター・ノイマンとベルリン古楽アカデミーで聞いたこの曲を、昨年フォーレのレクイエムで感動を与えてくれたコルボ翁とローザンヌ声楽アンサンブルの演奏で聞く。巨大なホールAでも、響きが失われないのは証明済み。しかも今回のオーケストラは、ピアニシモでも音が負けることのない、シンフォニア・ヴァルソヴィア。さらに１階５列目中央という最高の席につき、この最高のプログラムに身を預ける。&lt;br /&gt;
これくらい近い席にいると、アンサンブルのブレンドされた音とともに、それぞれの音の粒建ちもしっかり伝わってくる。コーラスは、５日間の出演で少し疲れが出たのかと思われる部分もあったが、弱音での芯の通ったハーモニーはさすが。オーケストラも同様で、トロンボーンがこのオーケストラには珍しく思いがけない外し方をする。今回印象的だったのはバスのイムラーさんの説得力のある歌声。その姿勢同様まったくぶれない歌いぶりにはしみじみと惹き込まれていく。&lt;br /&gt;
全曲が終わったときの後味は、ほっとする優しいものであった。それは、フォーレのときと共通した暖かい響きによるものかもしれない。逆の見方をすると、モーツァルトのレクイエムでこれまで多く経験してきた峻厳な悲しみの色合いが、比較的薄い演奏だったのかもしれない。モーツァルトの悲劇的な最期を知る身にしてみれば、ついレクイエムに悲愴感を求めてしまいがちだが、死者の霊を安らかに慰めるという曲本来の意図を考えると、これが正しいあり方なのかもしれない、とも思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
音楽祭もあと数時間を残し、日没が迫る会場を後にする。中庭にはいっそうの人出がみられた。この天気が初日から続いていたらと、繰り返し悔やまれる。そして来年のテーマは「バッハとヨーロッパ」。バラエティ豊かな演奏がまたたくさん聞けることだろう。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kuzu_ny/53322625.html</link>
			<pubDate>Tue, 06 May 2008 23:08:33 +0900</pubDate>
			<category>音楽レビュー</category>
		</item>
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			<title>個性きわだつ室内楽</title>
			<description>ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 523&lt;br /&gt;
ドミトリ・マフチン(ヴァイオリン) エリーナ・パク(ヴィオラ) &lt;br /&gt;
アレクサンドル・クニャーゼフ(チェロ) マーク・マーダー(コントラバス) &lt;br /&gt;
ボリス・ベレゾフスキー(ピアノ) &lt;br /&gt;
　シューベルト:ピアノ五重奏曲 イ長調 作品114 D667「ます」 &lt;br /&gt;
（2007.5.6 13:45 東京国際フォーラム　ホールB7 &amp;#8211; ショーバー）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
連休最終日になってようやく好天に恵まれた東京。国際フォーラムの中庭にも、一昨日とは比べ物にならないほどの人出がみられる。&lt;br /&gt;
今日まず聞くのは、今回選択したプログラムの中ではもっとも正統なシューベルトの曲。演奏者はロシアの超一流ソリストを核にした実に濃いドリームチームだ。&lt;br /&gt;
演奏は、やはり軽快なだけの演奏ではない。そもそも第２ヴァイオリンがない代わりにコントラバスを含むという編成の曲だけに、比較的重心は低いのだが、そのコントラバスがしっかり個性を主張するのに加えて、なんといってもクニャーゼフさんの厚みと幅のある魅力的な音色のおかげで、リズミカルだが音に重みのある演奏になった。クニャーゼフさんは昨年のドヴォルザークで、巨大なオーケストラと対等に渡り合う表現のパワーを聞かせてくれていたが、室内楽の中で、決してうるさくない範囲で朗々と表情豊かに歌い上げる個性はさすが。バランスのよい演奏ではないかもしれないが、聞いて面白い「ます」だった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kuzu_ny/53321535.html</link>
			<pubDate>Tue, 06 May 2008 22:23:22 +0900</pubDate>
			<category>音楽レビュー</category>
		</item>
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			<title>変幻自在　七色のヴァイオリン</title>
			<description>ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 316&lt;br /&gt;
ネマニャ・ラドゥロヴィチ(ヴァイオリン)  &lt;br /&gt;
クワメ・ライアン／フランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団&lt;br /&gt;
　ベートーヴェン: ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61&lt;br /&gt;
（2007.5.4 21:30 東京国際フォーラム　ホールA シュパウン）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公演が終わって１時間。あまりの衝撃にいまだ言葉が見つからない。今まで聞いていたベートーヴェンは、ヴァイオリンは何だったのか。昨年のチャイコフスキーとは比較にならないショックが、おそらくホール中を支配していたと思う。技術とか、情熱とか、当たり前のことを書き綴っても陳腐になるだけ。たった１挺のヴァイオリンから吹き出すように飛び出してくる音は、まさに歌。どんなに速いパッセージも、思いのこもった歌声に聞こえる。しかもその音色が変幻自在で７人の歌手が入れ替わり立ち替わり歌っているよう。何の飾り気もない、ただ音楽を奏でたい、といった熱さに引っ張られ、指揮者もオーケストラもぴったりとついて行く。普通なら伴奏から浮いてしまいかねないほどの個性なのに、だれもを巻き込んでしまう魔法のような力がそこにあった。&lt;br /&gt;
黒いスーツに包まれたスリムな長身でステージに現れ、毛足の長いプードルのような長髪を角兵衛獅子のように振り上げる挨拶から、ソロの出番までの長い間を待ちきれないように、オーケストラのパートを演奏して音楽に没入していく姿を見ながら期待を高めていたところに、その期待の遥かに上をいく音色でソロが始まった瞬間から、最後の１音が消えるのを待てずに喝采が始まるまであっという間だったように思う。テンポは総じて速い訳ではないが、まるで時間が伸び縮みしているかのように、あるいは音自体が生きているかのように、音楽が自在に流れ、佇み、踊る。昨年から感じていた潤いと色気のある中音域に、つやのある高域の美しさを増したその「歌声」は、第２楽章の切々たる旋律を見事に歌いきり、第３楽章のカデンツァではクライスラーのお馴染みのパッセージさえお遊びに聞こえるほど、彼だけの音楽を次から次へと繰り出してくる。もちろんとてつもない演奏技巧に裏打ちされてのことだが、それを語るのも恥ずかしくなるほどに、強靭な表現が直接心をわしづかみにする。フランスらしい明るい音色のオーケストラがこの音楽と一体化する様子も驚異的だ。&lt;br /&gt;
ネマニャ、いまだ20代前半。このとんでもない才能がまだ50年ももしかしたら60年も音楽を奏で続けることを考えると、末恐ろしい。これからどんな変化を見せて行くのか。録音に収まりきらないそのコンサートならではの足跡を、一歩残らす聞いていきたいくらいの思いに駆られる。&lt;br /&gt;
このコンサートを聴けて本当に幸せだった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kuzu_ny/53292541.html</link>
			<pubDate>Sun, 04 May 2008 23:53:47 +0900</pubDate>
			<category>音楽レビュー</category>
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