魅せられて

神社仏閣のコーナーです

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2016年3月31日参拝
佐賀県武雄市の「御船山」山麓に位置している、歴史ある神社です。







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時期は桜の季節
美しい桜が境内を飾っていました









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この神社は流鏑馬で有名ですが
道具を入れてある倉庫の横には塚が…

昔は失敗したら切腹だったのですね









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本当に桜がきれいです









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735年創建か、古いですね〜
しかし、「御船山」をご神体としていた神社であれば
もっとさかのぼる可能性はありますね













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鳥居をくぐり、階段を上ると










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分岐です
まずは「夫婦檜」を見に行きましょう












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想像していたより小ぶりでしたが、なかなか立派な夫婦檜です










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根元だけでなく、樹の中ほどでも結びついていますね〜










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すごい鈴の数!!









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独身の息子も、さっそく鈴を買って結んでいました(*^_^*)









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荒神様があったのでお参りして先へ進みます










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上から見ると、流鏑馬の射手場がはっきりとわかります
結構距離がありますね



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何となく、石垣が城のような感じです!
この階段を上って鳥居(肥前鳥居)をくぐると






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何とも不思議な造りの拝殿・本殿が!!
木ではなく石造りですよ〜?

でも、もっと不思議なのがこの神社のご祭神!











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ご祭神と御由緒です
少し見にくいので、大きく書きだします

主祭神
武内宿禰(たけうちのすくね)

戦前の紙幣にもなっている超有名人ですが、この方を主祭神として祀っている神社は珍しいのです(八幡宮内の摂社に祀られていることは多い。)。
福岡県久留米市の高良大社に祀られているということですが、ここの主祭神「高良玉垂命」は、武内宿禰ではないという説もあります。

相殿神
武雄心命(たけおこころのみこと)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
応神天皇(おうじんてんのう)

御由緒
『武雄神社本紀』によると、神功皇后が三韓征伐の帰途、武雄に兵船を止め、それが御船山に化したとあります。これにより同行していた住吉神と武内宿禰が御船山の南嶽(船の艫)に鎮座し創祀されました。
而して天平7年(735年)初代宮司 伴行頼に『吾は武内大臣である。艫には住吉神がおられ、艫嶽に祀られていても畏れ多く落着かないので、幸い軸嶽に自分を祀るならば、末永くこの地に幸福が訪れるであろう。』との神託がありました。行頼は太宰府を通じて朝廷に奏請し、武内宿禰を主神に、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、武雄心命を合祀し北麓に遷宮したと記されています。
平安時代での旧社格は、九州地区の統治組織「大宰府」の府社とされ、祭礼(さいれい)に国使が参向するなど、杵島郡の鎮守として郡民の崇敬をうけていたばかりではなく、肥前に於ける名社として深く重んぜられていました。また、それらを裏付ける218通にもおよぶ古文書(こもんじょ)が現存しており、九州における神社文書の代表的な遺品とされています。
元永年中(1118〜20年頃)武雄二代領主 後藤資茂が、朝夕秀麗な御船山の麓に鎮座する武雄神社を望み、築城の適地と思い、朝廷に奏請して当社を舳嶽東麓(現在地)に遷しました。
文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いでは、源頼朝が当社に密使を使わせ平家追討祈願をしました。平家を滅ぼした頼朝は、勝利を武雄神社の神徳によるものと感じ、後鳥羽天皇の勅使と名代の御家人を赴かせ『御教書』を送り深謝しました。
この参詣を歓迎して、武雄四代領主の後藤宗明が流鏑馬を奉納し、以来、氏子のてによって『武雄の流鏑馬』は、八百年以上ものあいだ連綿と継承されています。 また、これを機に武雄神社と源氏との関係は極めて密接となり、神社として将軍家の祈祷に当たる関東御祈祷所の使命と、社家として御家人の使命を有し、二重の立場に於いて活動することになりました。
鎌倉中期の元寇では、未曾有の国難に際し、伏見天皇より異国降伏の祈祷の『綸旨』を賜る光栄に浴するなど、国家的な存在でありました。本紀によれば、文永の役の十月二十日の夜、武雄神社の神殿から鏑矢が元軍船目掛けて飛び、元軍は逃げていったとしてあり、また、弘安の役では上宮から紫の幡が元軍船の方に飛び去って、大風を起こしたとあります。この霊験により『九州五社ノ内』と称され、九州の宗社として隆々と栄えた時代もありました。
現在では武雄の氏神社として、また樹齢三千年のご神木を祀る神社として、氏子はもとより全国各地から広く信仰を集めております。










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南嶽に上宮があるのですね
いつか登らねば(うん)











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境内の摂社です












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そして、この鳥居をくぐると












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大クスへの参道があります









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すごい!!











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ちょっとびっくりの大きさと、漂う、ただごとではない雰囲気!










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中に天神様が祀られているとはいえ
とにかく雰囲気が厳かなのです

ここよりも大きい、同じ武雄市若木の大クスを見たことがありますが
雰囲気が全く違うのです!
静かに手を合わせたくなります(はい)




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御朱印です



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